熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
「それでは改めて、鏡子様、花様。本日は極楽湯屋つくもにお越しくださいまして、ありがとうございます。これからこの黒桜が、おふたりをお部屋までご案内──」
……ぐぅぅううううぅぅうううぅう。
そのときだ。まるで地鳴りのような音が、つくもの玄関ホールに響き渡った。
一瞬、その場にいる全員が目を見開いて動きを止めたあと、一斉に音の主へと目をやった。
「ご、ご、ごめんなさい……!」
鳴ったのは、花の腹の虫だった。
慌てて花は自分の腹に手を当てたが後の祭りだ。
(ああ……そういえば……)
花はそこでようやく、自分が昼も夕飯も食べていなかったことを思い出した。
昼は引っ越し屋が遅れたせいで食べるタイミングを失い、昼のぶんまで食べてやろうと思っていた夕飯は、熱海の海鮮料理店がお休みで当てが外れた。
(そして今日はもう色々ありすぎて、お腹が空いたとかそんなことすら忘れてかけてた……)
「お前……」
「きゅ、急なお願いだったのに、泊まりを承諾してくださって、ありがとうございます……!」
恥ずかしさで真っ赤になった顔を隠すように俯きながら、花はお礼を口にして八雲へと頭を下げた。
腹の虫に突っ込もうとしたらしい八雲も、突然花がお礼を言うものだから驚いて、続く言葉を飲み込んでしまった。
客観的に見ると花が客なので八雲に頭を下げるのはおかしな話なのだが、花はもうそれどころではなくなっていた。
一番に、大音量の腹の虫を聞かれたという羞恥心。
そして自覚した途端に、空腹が限界に達してしまった。
(何か食べたい、疲れた、休みたい、温かいお風呂に入りたい、眠いから寝たい……)
と、花の頭の中では欲求の嵐で吹き荒れる。