春の雪。喪主する君と 二人だけの弔問客

されど『丁稚羊羹』

『ガチャコン~ガチャコン~、、』

田園風景の中を、レトロな近江鉄道の電車が走る。
映画に出てきそうな、田んぼを走る、短い車両は、改築100年を越える、日本最古の駅についた。

「ひ の」と、掲示された看板を確認して、シオンは 駅舎中で 昼御飯をたべる。駅に大きな窓が開けていて、三本の電車レールが 眺めれた。

駅が出来た?改築された?年は、『三代目』が元服襲名する2年程前になるということか。なかなか大した話だと、シオンは 食後のコーヒーを注文に行く。

この牧歌的な田園風景の場所が、かつて 物流商人のシンクタンクだったと、知らなければ思いもよらないだろう。

しかし、日本地図を開いて、北海道を別にみた時、間違いなく この土地は、日ノ本の真ん中に位置する。日ノ本を体に例えば、ちょうど 括れたウエストの臍になる。
そして、この土地を真ん中に、周辺県が、ぐるりと近くに取り囲む不思議な状態になるのだ。

江戸の時代にあっては、政策的情報集団のいる、伊賀や甲賀も すぐ足元。日本海周りも、太平洋周りの海路も とても近い場所なのには、再度 驚く。これに、琵琶湖支流を使うと、大坂からすぐ瀬戸内海にも出れるのだ。

シオンは昼御飯を食べて、 駅をでた。すぐ前にある、レンタルサイクルを借りる。地図も調べているが、どことなく覚えているのは、あの最後の夏に、祖父に生家へとへと、連れられたからだろうか。

目指すのは、祖父一族が氏子頭を務めた社だ。そして、その近くに あるかもしれない、老舗和菓子店。シオンの母親が 話てくれた、幻の菓子を探してである。

この当たりの名産品菓子といえば、2つある。言わずと知れた『丁稚羊羹』と、『いが饅頭』。しかし、シオンの探す菓子は、そのどちらでも無い。

シオンは、レンタルサイクルのペダルを漕いで、山の麓を目指した。

『丁稚羊羹』というのは、笹の葉に羊羹を挟んだ、日持ちする和菓子だが、名前の由来はまさに『丁稚』にある。
近江商人の人材育成というのは、江戸時代にあって、恐ろしく制度化していた。今の企業人事運営並みに、『OJT←オンザ・ジョブ・トレーニング』が徹底的していたのだ。

全国にある支店から、10才になると『初登り』で、本家に奉公にだされる。最初の30日、50日、90日の区切りを設け 試用奉公。この期間の査定で、1度里店に戻って、本家商法を里店で発揮するのだ。
この『試用丁稚期間』に、里店へ戻る際の土産が、『丁稚羊羹』。

これが 曲者なのだ。試用で使いモノにならない人材は、2度と本家に呼ばれない。『初登り』の『丁稚羊羹』で、最後になるか?毎年『丁稚羊羹』を里店に持って帰れるか?そんな、暗黙の了解的なマウンティングが、菓子1つでわかる。

さらに言えば、
エリート商人に為るため、この本家へのOJTを、多ければ年に3回務め修行をする。そうして、
丁稚、手代、番頭、支配人、そして暖簾分けレベルの別家まで、登り詰めるのだ。最後の別家でさえ、『独立別家』と 更に格上の 『日勤別家』とある。
10才で初奉公して、最短で35才で別家となる ハイスペック商人もいたが、約5割が、丁稚段階で辞めるという、賃金手当て厚いがハード企業。完全能力の下克上ワークだ。

後に、八幡市に設立された『商人士官学校』は、『泣く子も黙る八商』と恐れられ、元祖日ノ本MBAとなり本格派企業人を出している。

初めは、安価の『丁稚羊羹』を土産に里店に凱旋し、そこから本家に昇る度に、役が上がれば、土産の菓子も少しずつ高価に変化する。近江商人が『お節料理のお重詰め』を全国に拡げたのは、年末の土産として、諸国集まる菓子、銘品を詰め込んで帰るとこからだともいわれる。そのため、驚くことに、最盛期は この狭い集落に、和菓子屋が40件あったという。

シオンは、まず 氏子頭の神社を探す事にした。


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