桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

尊敬と軽蔑のフーガ

 長い回廊には終わりがあった。

 ユラユラと建物が大きく揺れ、今にも形を変えそうになるその寸前、ジンとシュンが城門を開き、マユランはようやく螺旋城の外へと出る事が叶った。

 外の空気は冷たくて爽やかで、とても気持ちが良い。

 はじめて窓ガラス越しでは無く、彼女は本物の空を見た。

 太陽が光り輝いている。

 スズネの気配が消えた後も、頭の中にはあの疳高い笑い声が、響き渡って消えてくれないけれど。

 凶悪なスズネという女と戦ったことにより、正確にわかった事がひとつだけある。

「いくら自分を強くしたって、同じ戦いを何度も繰り返しては全然、意味が無いの。だって一度は勝てたけど、あなた達に助けてもらわなければ私、二度目でスズネに殺されかけたんですもの。戦い方を常に考え、変えていかなければならないのだわ」

 マユランは決して、螺旋城を捨てたいと思ったわけでは無い。

 自分を生み、育ててくれた存在を、心の底から愛している。

 ジンは狼の姿へと変化し、その背中に二つの翼をはためかせた。

 狼の姿なのに鳳凰の翼を持っている。ジンはキメラだったのだ。

 シュンとマユランは彼の姿に仰天し、思わず声をあげた。

「ジン、あなたは……」
「背中に乗って下さい。早く!」

 シュンは先にジンの背に乗り、マユランの手を引いて彼女を自分の前に乗せた。

 天まで届くほどの勢いでジンは飛翔し、螺旋城を見下ろした。

 鳥籠も城の外へ出て、マユラン達の後ろをユラユラと飛んでいる。

 マユランは上空から世界を見下ろして、自分の目を疑った。

 城が二つ存在する。

 巨大蜘蛛の形になった醜くて腐臭を放った城と、白いドラゴンが寄り添うようにして守っている、美しさと清らかさを湛えた城。

「二つの城が…………戦っている?」

 律が奏でるピアノのメロディーが、マユラン、ジン、シュンの耳に届く。

 激しい曲調なのだが、何度も同じメロディーのまま転調を繰り返している。

 転調すると雰囲気ががらりと変わる。

 何もかもを破壊するような、憎悪と狂気を併せ持った曲調。

 何もかもを包み込むような励ましの力を持つ、物悲しくて優しい曲調。

 音楽が激しくなると、醜い螺旋城が優勢になり、黒い花の腐臭が猛威を振るう。

 音楽が穏やかになると、美しい螺旋城が優勢になり、白い花の清らかな香りが猛威を振るう。

 二つが一つになっていきそうな勢いだ。

 転調を繰り返しながら溶け合っていく曲と、同じように。

 城の形が交互に変化した。

グルグルと弧を描き、終わらない戦いを繰り広げている醜い城と美しい城を見て、マユランは声を発した。

「…………やめて」

 悲しくてたまらなくなり、彼女は叫ぶ。

「戦っても意味が無いじゃないの。止めてくれようとしている、あの白いドラゴンがいなくなったらどうなっちゃうの? どちらも同じお城なのよ!」

 どちらの城も結局は、同じくらいに醜くて、汚い灰色になるだけである。

 戦うほどにどちらも穢され、消耗し、互いの真実を、輝きを、見失ってゆく。

 美しい城は白いドラゴンの力を借りてどんどん巨大化し、醜い城を包み込もうとしている。

 白いドラゴンに守られた螺旋城は、マユランがずっと思い描いてきた、まさに理想の螺旋城そのものである。

 そのはずなのに。

 醜い螺旋城を美しい螺旋城が包みこみ、飲み込もうとするたびに、どちらの城も同じように、薄汚れてしまうのは何故だろう。

 周りをグルグル飛んでいる白いドラゴンが、何故かこう言っているように見える。


『お前ら、戦ってる場合じゃ、ないだろーが!! このドアホが!!!』


 二つの時代、二つの螺旋城の戦いは、白くて巨大なドラゴンによって無理やり休戦に持ち込まれようとしていた。

 仲裁に入ろうとした白いドラゴンは力尽きて、白髪の少年の姿へと変わってゆく。

 勇気ある彼の行動にマユランは心打たれ、彼女は上空から大声で叫んだ。

「お願い! 戦いをやめて! 疲れ果てて消耗して、死んでいくだけになるわ!」

 彼女が叫んだ途端、冷静さを欠いていた二つの螺旋城は、何故かどちらもショボンと項垂れてしまい、落ち込んだ様子で小さな小さな形へと委縮してゆく。

 その時、後ろから思わぬ邪魔が入った。

「…………うるさい」

「?」

 マユランの目の前には、風変りな鳥籠がユラユラと空に浮かんでいる。

「お前の声の方がうるさい。ただ上空から叫ぶだけなら、誰にだって出来るだろ」

 鳥かごの中から小さな黒龍が、マユランをぎろりと睨みつけている。

「でも私が叫んだら、二つの城は小さくなりました…………あなたは?」

 ジンとシュンが緊張し、深名斗に対して戦闘態勢を取った。

「…………深名斗だ。早く魂の花を返せ」

 弱々しい声を発する深名斗に対し、ジンはにやりと微笑んだ。

「それは不可能ですね」

 鳥籠の中にいた黒龍はゼイゼイと苦しそうな息をしており、その声は今にも消え入りそうで、弱々しく見える。

「お前には言ってない。……ユナの娘か? なら『時の王』末裔はお前だ」

「…………はい」

「お前の使命は分析か? ただの何も知らないバカが、綺麗事を並べてどうする。現状に文句を言って泣き叫ぶだけなら、赤ん坊にだって出来るだろう……」

 小さな小さなドラゴンが、鋭い口調でマユランを馬鹿にする。

 彼を知るものたちがこの言葉を聞いたら、即座にこう思うだろう。

 その言葉、そっくりそのままお前に返してやろうか? と。

 マユランは抗議をするように、首を横に振った。

「私は外に出て城の姿を見て、これからどうするべきかを考えている最中なのです」

「そんな事より責務を果たせ」

 深名斗はマユランから、ジンの方に視線を移しながら尋ねた。

「この世界はもう、魂の花など必要無いはずだろ?」

 ジンがその問いに答えた。

「その通りです。しかし、二つの魂の花を抜いてお返しするのは不可能です」

「何故だ」

「魂の花は、白と黒を併せ持ったドラゴンにしか、抜き取る事が出来ないからです」

「そんな奴、昔の僕以外、いるわけ無いだろ…………」

 鳥籠の中の美しい黒龍は、苦しそうに目を瞑った。

 マユランは質問をした。

「魂の花とは何ですか?」

「……やはりお前、ただの馬鹿か。時の王ならば存在を知っていて、当然だろう」

「マユラン様はお若いため、隠された事実を知らされていなかっただけです」

「そんな事は……どうだって良い。両方とも摘み取り……さっさと持って来い」

 深名斗はがくりと体を倒し、鳥籠の中で気を失った。

 ジンは、マユランに説明した。

 『魂の花』は二つ存在すること。

 それらは現在二体になっている、最強神の尾に咲く花であったこと。

 それらをこの世界における『時の王』が管理していたこと。

「では、魂の花を返さなければ、深名斗様は死んでしまうの?」

 ジンは首を傾げた。

「そこまでは私にもわかりません」

 理解が深まるにつれ、マユランは心配になった。

「ねえ、ジン。私は深名斗様と深名孤様に、魂の花を早く返して差し上げたいわ。だって……とても苦しそうなんですもの」

 お人好しのマユランの言葉に呆れ、ジンは再び深名斗を見て深いため息をついた。

「深名孤様が動かない限り永遠に、深名斗様はこの鳥かごの中から、出られないでしょう。彼を救えるのは、もう一人の彼……つまり、深名孤様だけなのですから」

 マユランは納得した様子で、こくりと頷いた。

 目を瞑り、耳を澄ませるとまた、律が奏でる美しい音楽が聞こえ…………

 律が目の前に現れた。

 フワフワと浮かびながら、彼女はマユランを見つめている。

 音楽は転調を繰り返してダイナミックに、世界の歴史を、生死を、始まりを、終わりを語っている。

 目の前で彼女が、微笑みながら包むように、自分を見つめているように感じる。

 演奏という表現を通して律はマユランに話しかけ、応援してくれていた。

『マユラン。私は世界中の誰よりも、ママを一番尊敬している。だってママのピアノは、決して誰にも真似できないもの。最強の悪魔みたいに輝いていて、その魅力の虜になってしまうくらいに素敵なの。…………だから、どんなに練習が苦しくても、私は続けてこられたわ。私もママみたいに、表現してみたくなったから』

 マユランは頷いた。

 律の気持ちが、マユランにはとても良くわかる。

『でもね。私は、ママの事を一番、軽蔑もしている。だってあの人は私を、普通の生き物として育てようとはしなかった。私はママが思う通りに演奏する機械になるために、生まれて来たわけじゃない。私は、私自身として、生きていきたいと思っているだけなのよ』

 矛盾してるでしょ?

 一番感謝しているけど、一番愛しているけど、一番激しく憎んでいるの。

 ママを。

 律の言葉に、マユランは首を横に振った。


「律が言いたい事、わかる気がするわ…………私も両方のお母様を知ったから」

 
 マユランがこう言った途端、音楽が突然、終わりを告げた。


 目の前の、空の上には、白銀色のマントで包まれた装束を身にまとっている青年と、紺色の着物姿の老婆が立っている。

「はじめまして、マユラン」

 青年は、ユナがいつも座っていた瑠璃色の玉座の手すりにつかまっている。

「やっと君を見つけた。私の名は、(ソウ)。こちらは梅」

 マユランは、不思議に思いながら形を変えた玉座を見た。

 スズネが変化した禍々しい時計が、玉座の上にもう乗ってはいない。

「あの時計? 時間で支配しようとする『エセ時の神』がまた利用しようとしたら困るからね、とっくに壊したよ。あと、この玉座はもう、君には必要なさそうだね」

 爽は杖を振り、「天涯」を唱えた。

 玉座は粉々になり、マユランの目の前でパッと消え失せた。

「マユラン。君はこの世界を、どうしたいと思う?」

 爽は鳥かごを自分の手元に引き寄せ、マユランに微笑みかけた。

 黒龍はまた、ウトウトと眠りに落ちている。

「螺旋城はいつの日か……君が管理するつもりなんでしょ?」

 マユランは頷いた。

「時を管理するには、ただ『醜さ』を消し去るだけでは全く意味が無いと思います。今までの出来事を静かな目で見つめ直し、どうすれば醜くなるのを防げるか、考え直す時間を作り、修正と実行を繰り返す…………。それが大事なのだと思います」
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