桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

虹色の橋

「石上さん」

 自分が描いた大きな絵を見つめながら、深い考えの中を彷徨っていた結月は、声をかけられて急に我に返った。

「順番が来たよ。行ってらっしゃい」

 クラスメイトの女子が指さしたのは、岩時神社の本殿(ほんでん)である。

 (ひのき)の樹皮で作られた、優美な曲線の屋根が印象的な、赤茶色を基調とした建物だ。

 岩時神楽に関わる人物は、舞台に立つ生徒以外であっても、結月のように美術に関わるメンバーなどもすべて、本殿の中でみそぎの儀式を行う。

 中が六畳ほどしかないため、本殿は外から見ると小さく感じる。

 屋根に施された鬼紋(おにもん)欄干(らんかん)の柱に飾られた擬宝珠(ぎぼし)階段(きざはし)のサイドは黄金色で輝き、結月は神聖さを醸し出す本殿の雰囲気に圧倒された。

 ざわり。

 頭の中で様々な色が、チカチカと怪しげにうごめき出す。

 体感した事のない、本物の恐怖だ。

 それを感じた結月の心は激しく怯え、震え始めている。

 中へは入りたくない。

 意味はわからないけれど、本能がそう訴えている。

 それでも真っ直ぐ前を向き、結月は本殿へと歩き出した。

 ざわり。

 心配そうにウロウロ歩き回っていたクラスメイトの女子は、ようやく結月が来てくれて、ほっとした様子へと変わった。

「すぐ終わるよ」

 黒いTシャツにじっとりと汗がにじむのを感じながら、結月はこくりと頷いた。

「……うん」

 結月は黄金の階段(きざはし)を上った。

 本殿の中へと足を踏み入れると、外から両開きの扉をガン! と閉められ、横木による(かんぬき)をかけられた。

 これで与えられた3分が過ぎるまでは、自分の意志で外に出ることが出来なくなった。

 注意深くあたりを見回したが、真っ暗で何も見えない。

「……?」

 甘くていい香りが、息を吸うたびに全身へと広がってくる。

「……桃の香り?」

 少しずつ、目が慣れてきた。

 建物の中に入ったはずなのに、そこは屋外だった。

 夜の闇が広がっており、燦然と星々が輝いている。

「……!!」

 風の音と、虫の声が聞こえる。

 赤く熟した実や花をつけた、数えきれないほどの桃の木が連なる場所に、結月はいつしか立っていた。

 天空からは七色に輝く大きな橋が、地上まで下りている。

 それは天界と人間世界をつなぐ恐ろしい蛇のように、結月の目に映った。

「…………」

 この世の景色とは思えない。

 ただ茫然と眺めてしまう。

 いつもは無表情の結月だが、この時ばかりは目と口を大きく開けて、驚愕の表情を見せた。

 その橋には、実のついた桃の木がいくつも描かれている。

 禍々しさを感じるほどの美しい風景に、結月は畏怖の念を感じずにはいられなかった。

 これは、自分が住んでいた世界の景色ではない。

 目の奥に焼き付けたり、絵に描くことなどは到底出来ない部類のものだ、と彼女は感じた。

 突然。

 その橋は虹色に輝くシャボン玉が連なった、泡の神ウタカタの姿へと形を変えた。

「やっほー! 光る魂さん!」

 楽しそうにウタカタは、手を振りながら結月に挨拶をした。

「……!!」

 結月は息を飲んだ。橋が変身して喋ったからである。
 
「あ。この姿、怖い?」

 シャボン玉が連なる蛇に似た姿から、ウタカタはパッと、美しくて奇妙な少女の姿へ変身した。

「これならどうー?」

「…………!!!」

 全身が総毛立つのを結月は感じた。

 帰りたい。
 本能がそう叫んでいる。

「誰?!」

 結月は、空をふわふわと飛んでいるウタカタに尋ねた。

 恐怖で声が震えてしまう。

「アタシ? ウタカタだよー」

 9歳くらいの少女の姿に変わったウタカタは、結月に笑いかけた。

 髪の色と目の色は、目まぐるしく七色に変化している。

 これは夢だろうか。

 自分は一体どうなってしまうのだろうと、絶望のような気持ちを結月は感じた。

「……なぜ震えてるの? 虹は生き物。天と地の架け橋だよー?」

 ウタカタは結月に笑いかけた。

「何者?!」

 ガタガタと震えながら、結月はウタカタに尋ねた。

「うーん。みんなはアタシを、『泡の神』って呼んでるー」

「……?!」

 結月は言葉を失った。

 この少女は自分のことを『神』だと言ったのである。

 頭が狂っているのだろうか。

「あなた、とーっても絵がうまいね! 名前は?」

 ウタカタの肌の色は、七色に変化しながら輝いている。

「結月」

 鳥のように飛んで、ウタカタは結月の周りを旋回し始めた。

「結月。あなたの『光る魂』をちょうだい? だーいじに食べてあげる!」

 右腕を高く掲げ、手首をクルクル回しながら、ウタカタは持っている絵筆を振った。

 すると絵筆から光が飛び出し、七色に変化する分厚いリボンへと変わった。

 そのリボンは包み込むように、(かいこ)のような状態になるまで、結月の体を巻きつけた。

「何するの?!」

「食べちゃうのー!」

 ウタカタは微笑んだ。

「あーあ。エセナちゃんも一緒に来ればよかったのにー! こんなに簡単に、結月を捕まえられたんだものー」

 結月を包み終えた蚕はシュルシュルと小さくなっていき、ウタカタの右手の中にすっぽりとおさまった。

「光る魂、半分こしてあげたのにー!」

 リボンでぐるぐる巻きにされた結月は、意識が朦朧としてくるのを感じた。

「た……すけ……て」

 蚕の中で弱々しく訴える結月に、ウタカタはまた微笑みかけた。

「はははっ! 助けなんて来ないよー!」

 ウタカタは口を大きく開けた。

「さ、いっただっきまーす!」

「…………!」

 結月はその瞬間、蚕の中で気を失った。

「あーん!」

 ウタカタが結月を飲み込もうとした、まさにその瞬間。


「待て!」

 誰かが叫んだ。


 ウタカタは目を大きく見開き、声の主を探そうと、きょろきょろあたりを見回した。


 ゴゴゴゴゴゴゴ!!!


 桃の木が立ち並ぶちょうど真ん中の空間が大きくゆがみ、世界を揺らすような轟音が鳴り響いた。

 闇に化けた本殿の中へ、桃色のドラゴンと黄金の鳳凰が、突然姿を現した。

 大地と梅である。

 ドラゴン姿の大地は桃色の翼をはためかせ、ウタカタに向かって一直線に飛翔してきた。

 あたり一面に広がる桃の木は大きく揺れ、花びらを一斉に舞いあげた。

「その娘を離せ!」

 ゴォーーーーーー!!!

 梅は大地の横を飛びながら、黄金の炎を喉から吐き出し、ウタカタの右腕を燃やした。

「うーっ!!」

 ウタカタは痛みに顔をひきつらせ、急激に力を弱めた。

 その瞬間を、大地は見逃さなかった。

 ビュン!!!

 振り下ろした大地のとがった爪は、ウタカタの右腕を引きちぎった。

 グアッ!!!

 右腕は血を吹き出し、回りながら宙を舞った。

「痛い!!」

 ウタカタは叫んだ。

 握られていた蚕を、逆の手で大地はつかみ取った。

 ウタカタの腕だけが、奈落の底へと落ちていく。

 ぽろぽろ涙をこぼし、ウタカタは大地をキッと睨みつけた。

「何するんだー! あ!! お前は……破魔矢を抜いたドラゴン!!」

 大地はピンク色の髪を風に揺らす、白装束を着た人間の男に変身した。

「てめぇこそ、俺の友達に何しやがる!」

 彼の緑色の瞳は、怒りによって燃えるように揺れている。

 ウタカタは答えず、奈落の底に向かって叫んだ。

「戻ってこいー! アタシの腕ー!」

 声に答えるように、腕は奈落の底から戻ってきた。

「あ!」

 何事もなかったかのように腕は再び、ウタカタの肩におさまった。

「てめえ!」

 驚いて声をあげた大地を見て、ウタカタはけたけたと笑った。

「まだ方法はあるもんねー」

 くるくるー。
 くるくるー。

 何度も宙返りをしながら、ウタカタは体を小さくしていった。

「アタシ、何が何でも『光る魂』をもらうからねー?」

 梅はもう一度、小さくなったウタカタに向けて黄金の炎を吐いた。

 バチバチ!

 バチバチ!

 バチバチ!

 だが。

 炎に焼かれたまま飛び、大地の手に握られた蚕の中へと、小さなウタカタはスルスルと侵入していった。







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