桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

気枯れ(ケガレ)

 結月は不思議な場所で目が覚めた。

 体の感覚がいつもと違う。

 フワフワとしていて、とても軽い。

 あたりには澄み渡った空のような青い色が、どこまでも広がっている。

 天と地の境目が、わからない。

 ふと見下ろすと、水面のように光を反射する場所に、結月の体が横たわっていた。

 黒いTシャツにブルージーンズ姿の結月は目を閉じており、まるで眠っているように見える。

「…………!」

 驚いて今の自分を確認し、結月は悲鳴を上げそうになった。

 手足の形はかろうじて見えるが、体が透き通って、青々として見える。

 体の感覚がほとんど無いので、頼りなくフワフワと空中を飛んでいる。

 結月は急に恐ろしくなった。

 空気のようになった今の自分は、実体と切り離されてしまっている。

「……助けて」

 横たわった体の方は、中身が空洞になっているのだろうか。


 体を元に戻して。


 ここから出して。


「助けて……『さくら』!!」


 結月の口から飛び出したのは、大好きな親友の名だった。

 すると。

 今の『声』が実体化して色をつけ、薄桃色へと変わっていった。

「……?」

 声はさらに色づき、明るいけれど優しい、濃くて鮮やかな桃色へと変わった。

 まるでそれは、さくらの優しい微笑みのように、結月の目には映った。

「さくら?」

 結月がさくらの名を呼ぶと。

 白いキャンパスのような世界に浮かんだ桃色は、音も立てずにその姿を、結月の親友である露木さくらの姿へと変えていった。

「……」

 結月はこの光景に、息を飲んだ。

 さくらは白装束を身にまとい、完全に『筒女神』の姿になって、透き通った結月へと笑いかけた。

「はじめまして、魂さん! アナタはとーっても、綺麗ねー! 青い色が、どこまでも続いてるー……」

 さくらが喋った。

 結月はさくらの喋り方に、強烈な違和感を感じた。

「……さくらじゃないの?」

 はじめまして、ってどういう事?

 涙が出そうになった。

 目の前にいるさくらは誰?

 どうして笑ってるの?

 ここはどこ?

 助けてよ。

 結月は戸惑うばかりだった。

 ふと思いついたようにさくらは、地面に横たわる結月の体を指さした。

「これは気枯れ(ケガレ)

「……?」

 さくらは結月の魂の方に手を伸ばし、ぎゅっと抱きすくめた。

「……!!」

 急にさくらは、結月の透き通る魂の、左側の首筋に牙を立て、がぶりと強く嚙みついた。

 ごく。

 ごく。

 ごく。

 ごくごく。

 喉を鳴らす音が鳴る。

「……はぁっ……おいしいー!」

 息継ぎをするために一度、結月の首からパッと顔を離したさくらは、恍惚の表情を浮かべつつ、違う顔へと変わっていった。

 瞳の色は虹色へ。

 髪の色も虹色へ。

 いつしかその顔は、泡の神ウタカタへと変わっていた。

 結月はいつもの気力がどんどん、無くなっていくのを感じた。

「ありがとー! 美味しかった!」

 ウタカタは顔を真っ赤にし、最大級の興奮状態で叫んだ。

「あなたは、やっぱり『光る魂』!!」

 この声が、源となった。

 青々とした世界は七色に変化し、虹が幾重にも巻かれたような、巨大な竜巻を湧き上がらせた。

「『光る魂』ばんざーい!」

 抑えきれなくなったかのようにその竜巻は、いくつもいくつも、その源泉からほとばしった。

 何度も何度も竜巻は結月の魂を生き物のように包み、グルグルグルグルと凄まじい迫力で、結月の本体ごと吞み込んでいった。

 虹に巻きつかれながら、自分が描いた絵が急に、結月の頭の中で鮮やかに蘇った。

 岩時神社(いわときじんじゃ)(まつ)られた5体の神々と、岩時町の人々が100人ほど綿密に描かた、あの巨大な絵だ。

 夜の闇は、深い青色。

 凛とした表情で立つ主神(しゅしん)は、少しだけ微笑みを浮かべている。

 結月の親友、さくらがモデルとなっている、筒女神だ。

 『岩の神(いわのかみ)』、『時の神(ときのかみ)』、『泡の神(あわのかみ)』、『道(未知)の神(みちのかみ)』が、守るように彼女を囲んでいる。

 七色の髪と七色の瞳を持つ、絵の中の『泡の神』と、結月はまともに目が合った。

 悪戯をする子供のように、泡の神は片目を閉じて、微笑んで見せた。

「……!」

 湧き上がる。

 急激な勢いに包まれながら、遠い昔の記憶が結月の脳裏にいくつもいくつも、蘇った。











 




 フワッ。

 桜の花が満開の、暖かな春の陽気。

 結月は空を飛んでいた。

 岩時神社に続く太い参道が、下方に広がっている。

 一番高台の場所に建つ岩時神社も、坂のふもとにあるカフェ・ノスタルジアも、そのすぐ近所に建っている青い屋根の自分の家も、結月が浮かんでいる空の上から一望できた。

 気づくと結月は岩時神社のご神木、桜の木の上空を、フワリフワリと飛んでいた。

 その巨大な桜は、太い幹と太い枝を持っているにも関わらず、花も葉も実もつけない裸のまま、年中枯れた状態だった。

 木の下で、小さな女の子が二人、話をしている。

 結月は空から、その女の子達を見守った。

「私はさくら。あなたは?」

『……あれは』

「結月」

『これは私の、過去の記憶?』

 結月が岩時町に引っ越して来た日。

 その記憶を再現しているのだ。

 4歳だった。
 
 引っ越しの後片付けと挨拶周りで、バタバタと忙しそうな両親の目を盗んで、一人で一番高台にある神社まで、こっそり来てしまったのである。

 そこで、さくらと初めて出会った。
 
 今ごろ大慌てで、両親が自分を探しているとも知らず。

「ともだちになろう、ゆづきちゃん」

 さくらが笑顔でこう言うと、結月は頷き、小さな声でそれに答えた。

「……結月でいい」

「じゃあ私のことは、さくらって呼んでね」

「……うん」

 言葉には出来なかったけれど、結月はすごく嬉しかった。

 さくらが自分に「友達になってね」と、言ってくれたことが。

 友達がいなかった結月にとって何よりも幸せで、思い返すたび涙が浮かぶくらい、大切な出来事だった。

 初めての、大切な友達。

「私の家、すぐ近くなの! 今から遊びに来て!」

 小さなさくらは急に、小さな結月の手を引っ張った。

「え。今から?」

「うん! えへへ」

「……ふふ」

 二人は笑いながら、少し急な坂を駆け下りていった。

 岩時神社から続く参道の、坂のふもとに建っているカフェ・ノスタルジアが見えてくる。

『さくらの家だ』

 さくらの両親は、代々続くこの『ノスタルジア』という名の店で長年、働き続けている。

 チリン!

 ドアが開く音が鳴る。

「ただいまー!」

 小さな結月の手を引きながら元気よく、小さなさくらが挨拶をした。

「おかえりー、さくら」

 誰かの返事が奥から聞こえる。

 魂だけの結月は、二人の後に続いて、店内へと忍び込んだ。

 カチャカチャと食器が鳴る音。

 香ばしいコーヒーの香り。

 ゆっくりとしたいつもの、ピアノジャズの音楽が、心地よいリズムで店全体に流れている。

『懐かしい』

 店の奥のカウンターの中で、エプロンをつけてグラスを磨く男性が返事をした。

「おかえり、さくら」

「ただいま、お父さん!」

「おや、小さなお客様だね。はじめまして」

「さっき友達になったの!」

 さくらは何だか誇らしげである。

「結月っていうの。結月、この人が私のお父さんだよ」

「よろしくね」

 さくらの父である露木英吾が、カウンター越しに、結月に笑いかけた。

「…………」

 英吾と目が合った小さな結月は、さくらの後ろへ隠れてしまい、ぺこりと頭を下げるのが精いっぱいだった。

「…………」

 そんな結月に、英吾は優しい口調で話しかけた。

「さくらと仲良くしてやってね」

 小さな結月は、英吾に向かってこくこくと、何度も頷いて見せた。

『今なら挨拶くらい、できるのに』

 小さな自分に呆れるうちに結月は、気づくとまた別の虹に飲み込まれ、違う場所へと移動させられた。

 
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