桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

ようこそ舞台の上へ

 石牢の鍵が開けられた。

 封印の術が解除され、室内に燦燦と光が差し込む。

「出ていいよ。深名(ミナ)様がお呼びだ」

 久遠(くおん)は、声がした方を見た。

 白銀色の装束を身にまとった、色白で小さな10歳くらいの少年が立っている。

「時の神・(ソウ)です。はじめまして」

 爽と名乗った少年は、紫色の物憂げな瞳を、久遠の方に向けている。

「私は深名様の側近ではない。中立的な立場なので、安心していいよ」

 爽という名前だけは、聞いたことがある。

 彼は鳳凰であり、時の神のトップに君臨する、深名と同じ最古の神だ。

「……はじめまして。久遠です」

 確か爽は、深名の幼馴染だったはずでは…………?

 それにしては若い。

「年齢は、いくつにでも見せかけられるんだ」

 心を読まれたのだろうか。

 言葉にしなかったはずだが。

 古代の神には、底知れぬ力があるということか。

「それより体は大丈夫? 随分ひどい目に遭ったね」

「大丈夫です。食事をもらえたので」

 爽は静かに微笑んで、久遠の灰色の瞳を見ながら「良かった」と頷いた。

 久遠は上等な黒装束に着替えさせられ、純白のマントまで羽織らされた。

「……まるで舞台衣装ですね」

 吐き捨てるような久遠の言葉に、爽は声を上げて笑い出した。

「ははは! 舞台か……その通りかも! ようこそ舞台の上へ。久遠」

 先に桃螺の回廊をすたすたと歩きながら、爽は肩をグルグルと回す。

「私も舞台に立たされているよ。楽しいけど毎日はキツいし、体にこたえる。そろそろ引退して、優秀な部下に交替してもらいたいね……」

 見た目は美少年だが、中身は完全にオッサンである。

 ちゃらんぽらんで寛容な爽の雰囲気は、久遠をどこかほっとさせた。

 爽は後ろを振り返って、ニヤリと笑いながら続けた。

「最強神の部屋に案内するよ。一度行ったことあるんでしょ? 一応あそこが隔離室なんだ」

「ええ……そうだったんですか」

 あのだだっ広くて、寝台以外は特に何もない部屋のことか。

「緑の『龍の目』が情報をバラまいたおかげで、深名様はあの部屋から出られない。いつもボーッとしてた白龍軍団が、今回ばかりはカンカンに怒っちゃってね! 久しぶりに面白いものを見たよ! わはは!」

 爽は刺激に飢えていたのか?

『やったあ! 牢から出してもらえて良かったじゃない! 久遠ちゃん』

 久遠の上等な黒装束の懐に忍び込んだ清名が、無邪気に語り掛けてくる。

「おかげさまでね」

 清名には感謝しかない。

 だが…………

 わざわざ久遠を部屋に呼び出し、深名は一体何を言い出すのだろう?

 事態は好転するどころか、逆に厄介事に巻き込まれていく気がする。

 爽の後ろを歩きながらあれこれ考えてしまい、久遠は小さなため息をついた。










 最強神の部屋に再び案内された久遠は、深名が座る椅子の前に立たされた。

『うっわ……深名の奴、相変わらずふんぞり返ってる』

 清名が装束の中で悪態をつき、プンプン怒っている。

 殺されたのだから当然だ。

 久遠も跪くつもりはない。

「悪かったな、久遠よ。思わぬ誤解だったようだ」

 深名は相変わらず、ふてぶてしい態度を崩さない。

 謹慎中とは名ばかりである。

 以前と大きく違う事といえば、側近である八神が、深名を終始見張っているというだけである。

 誰も彼もが深名に甘い。
 
 誤解とは、何を意味する?

 何に対する謝罪なのだ?

 事実を歪め、久遠に罪をなすりつけたこと?

 清名を殺したこと?

 食事を与えなかったこと?

 言葉には全く重さが感じられないし、深名はどこまでも飄々としている。

 本当は清名に謝って欲しかった。

 だが今、彼がこの場にいる事を、わざわざ深名に知らせたくは無い。

 それに。この男とまともに会話をしたら、殺意がこみ上げるのを抑えられない。

 だから必死で、久遠は平静を保つことだけに集中している。

 沸き上がる疑問だけは、どうにも抑えられないけれど。

 軽々しい「悪かった」の一言で済むと思っているのだから、本当に手に負えない。

 こんな奴が最強神?

 ふざけるな!

 返事をしない久遠に構わず、深名は言葉を続け始める。

「お前に自由をやる。命令に従うならばな」

 いちいち癪にさわる。

『何なのよ、あの言い方!』

 清名はますます怒っている。

 久遠も呆れて言葉が出ない。

「お前を牢に入れておくだけで、白龍達が何かとうるさい。しかも俺はなぜか、謹慎を言い渡された。目下この部屋の中で反省中だ。爽!」

「は」

 八神から少し離れた窓際に立っていた爽は、短く返事をした。

「『天涯』をたのむ」

「……またですか。続けざまにあれをかけると、頭がおかしくなりますよ」

「別に構わない」

 天涯(てんがい)とは、若返りの術のことだ。

 深名は若返りたいらしい。

「俺はしばらく、この部屋で反省する。だが年齢がオッサンでは、深い反省ができない。若者は柔軟な考えが出来るそうだから、ぜひとも天涯をかけてもらいたい」

 馬鹿なのだろうか、この男は。

 ツッコミどころ満載過ぎる。

 人間愛護法の改定はどうした。

 すっかり忘れたとは言わせない。

「肩こりを治したいだけでしょ?」

 爽の言葉に深名は頷く。

「肩こりも治し、考え方も改善させ、若返りたいのだ」

 高天原の神々が悪い。

 こうして処罰もせず甘やかし続けるから、最強の馬鹿が生み出されてしまう。

 好き放題が叶った欲望の権化は、遅かれ早かれ必ず、見るに堪えない末路を辿る。

 自分では気づかないようだが。

「……まぁ、いいでしょう」

 爽は杖を深名に向け、本当に『天涯』の術を唱え始めた。

「え。ちょっと」

 久遠は驚いた。

 最強神の務めがあるのに、爽までもが深名の言う事を聞くつもりなのか?!

 驚いた久遠に、爽は目配せする。

 ただの遊びだよ。

 黙って見てて。

 そんな風に諭された気がする。

「…………?」

 爽の杖の先から、光が放たれる。

 シュー…………

 術をかけてもらった深名は、みるみるうちに若返ってゆく。

 人間年齢で言うと50歳前後だった深名は、30歳くらいまで若返った。

「おおお……やった! この体はいいぞ!」

 深名は両手を見ながら、嬉しそうに笑っている。

「続けざまにかけると副作用が出て、体がおかしくなりますから、このへんで」

 自分の両手を見ながら深名は愉快そうに笑い、それから久遠をちらりと見た。

「久遠よ、濁名(ダナ)は人間世界で黒龍に変化した。その後は行方知れずだ」

 深名の言葉で、久遠は急に我に返った。

 濁名が?

 深名は頷き、八神に目で合図した。

 配下の一体が、天枢(ドゥーベ)を唱える。


「ガルルルルル…………!!!」


 よだれを垂らしながら唸り声をあげた黒龍が、壁面に映し出された。

「あれが濁名だ。姿をくらます前の」

 深名の言葉に、久遠は耳を疑った。

 濁名?

 白龍だった頃の美しい姿ではない。

 正気を失った醜い黒龍が、本能のまま片っ端から、老若男女問わず人間を捕まえては、ガツガツと牙を立てて食っている。

「……黒龍化?!」

 はじめて見る。

 久遠は血が散乱したおぞましい光景を見るだけで、気持ちが悪くなった。

「そうだ」

 濁名はもう、頭が完全に狂っている。

 人間を無差別に食べ過ぎたせいだろう。

「久遠よ、お前に命ずる」

 深名は、映像の中にいる濁名を指さした。

「人間世界へ行き、濁名を殺せ」

「…………!」

 神々から批判された途端、非難の矛先を自分から濁名へと移したいがため、急に『濁名の征伐』か。

 確かに狂った濁名は災いの元だ。

 けれど深名は、濁名に光る魂まで持って来させようとしていたくせに。

 一番狂っているのは深名だ。

 久遠の無言を肯定ととらえ、深名は八神の一体に命じて、武器を持って来させた。

 剣身の脇に光り輝く六本の剣の枝が生えた、純白の刀剣である。

「『七支刀(しちしとう)』だ。お前にやろう。濁名を殺すために使え」

 久遠は刀剣を受け取った。

「……ありがとうございます」

 ずっしりとしていて重そうに見えたが、七支刀は意外と軽い。

霊獣王(カン・アル)に与える予定で、この刀剣を作った。だが今のところ、使いこなせる者がいない」

 八神の説明によると七支刀は、霊獣を六体まで召喚できるそうだ。

「お前が使っても良いし、霊獣王(カン・アル)を選んで七支刀を授け、そいつに濁名を殺させてもいい」

 あいつが死ねばそれでいい、と深名は付け加えた。

「龍宮城に、人間世界へ繋がる入り口があるというからな」

「あの場所でしたっけ?」

 爽がふと、聞き返す。

「そうだ。詳しいだろう? 俺の半身があの世界をうろついているからな、穴があった場所くらいは知っている」

 穴? 半身?

 久遠には理解できない。

「濁名はもう、白龍には戻らないだろう。なので久遠、お前が『人間愛護法』第9条改定の承認に加われ」

 何なんだ、急に!

 覚えていたのか、人間愛護法を。

「嫌です!」

 久遠は深名を睨みつけ、きっぱりと断った。

「俺に逆らうのか」

『久遠ちゃん! 逆らうと殺されちゃうよ!』

 清名が心の声で叫ぶ。

 前回と立場が逆だ。

「私は人間を食べる気はありません」

 言いなりになってたまるか。

 久遠にも意地がある。

 しばらく睨み合った後、深名はけたけたと笑い出した。

「ははは! そうか、面白い奴だ。なら他の白龍に頼もう」

「…………」

 天涯の術のおかげで思考が柔軟化したのだろうか?

「殺されるとは思わなかったのか? 清名と同じように」

「殺されるとわかっていても、考えを曲げたりはしません」

「まぁ、冷静なところは気に入った。濁名を殺せたらお前を正式な龍宮城の主に任命し、高天原の八神にも加えてやろう。俺の側近になるのだぞ、大出世だ!」

「…………」

 久遠は頭痛がしてきた。

「光栄だとは思わぬか」

 イヤだ。

 ゼッタイ。

『久遠ちゃん、ここは我慢よ! 「うん」って、とりあえず頷いとくのよ、いい?』


 …………イヤだ。


 頷いたら一生酷い目に遭う。


 ゼッタイ…………


 意地悪な顔つきで深名は、久遠を嘲笑うかのように微笑んでいる。


 久遠は清名と同じ言葉を、今すぐ大声で叫びたかった。



『お前は最低最悪だ!』と。
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