桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

繋がった世界

 時は、少し戻る。

 久遠は爽と共に、高天原の黒奇岩城(くろきがんじょう)に乗り込んだ。

 異変が起きた、黒い巨木を利用して。

 今は息も上手く出来ないくらい、空気が甘い香りで満たされている。

「お忙しい中、一緒に来ていただいて申し訳ありません」

 袖で口元を覆いながら、爽は久遠に笑いかけた。

「いや、いいんだ。僕も奴らを許せない。まさか生徒達の目の前で大地に、悪趣味な拷問をしていたとは……本当に狂っている。『天螺(テンラ)』には微弱な痕跡が残る。それを辿って場所を特定したら、この城にどうにか着けたね」

「何とお礼を言ったらいいか」

「そんなの、大地を取り戻してからでいいよ」

 鋭い目をした教師たちが、こちらに駆け寄りながら術を唱えている。

「子供だましの術など僕らに効かない事は、解っているだろうに…………」

 爽はチョイチョイと片手を動かし、飛んで来る術を全てあっさりと跳ね返した。

 こちらを睨んている敵は皆、闇の神に操られているようで、すっかり狂っている。

 ウラやクルエンとは違い、黒奇岩城には伽蛇と同じく、残虐を好む者も大勢いる。

 グガイという名の醜くて小さな男が、その代表的な教師だ。

 世の中に恨みでもあるのかこの男、舌なめずりしながら小さな大地を苛め抜いた。

 どの術が効いて、どの術が効かないか。

 徹底的に闇の力を無効化できる大地という生き物に、どんな刃を突き刺せるか。

 異色の生き物である大地少年の研究に、グガイは毎日楽しそうに没頭していた。

 大地が苦痛に顔を歪ませた時など、歓喜に震え上がって飛び上がる。

 滅多に反応を見せない子が、ようやく痛みを感じ始めている!

 この調子で研究を進めれば、痛めつけながら殺す事だって可能に違いない。

 最も有効だったのは、黒玉衡(クスアリオト)

 強大過ぎるその術式は、並大抵の神では作る事が叶わなかったのが幸いし、どうにか大地は命を落とさずに済んだ。

 久遠はそれでも、彼らを許すつもりなど無い。






 ────何も怖くないんだよ。


 声が、大地の頭の中に響き渡る。

 何度もこの声に導かれ、心の危機を脱出してきた。

 呪文のようなその言葉は、小さな彼の脳内に眠る何かを大きく揺さぶった。

 好奇に満ちた千以上の目が、自分へと向けられている。

 とても冷たい視線だ。

 ────でも怖くない。

 考えるんだ。

 どうすればこの場所から、逃げられる?

 どうすればあの子に会える?

 また笑いながら、一緒に楽しく遊べる?

 手を取り合って、未来を語れる?

 とりあえず大地は、全ての現実をシャットアウトし、見ないようにしていた。

 あまりに狂っており、受け止められない時間だから。
 
 グガイが生徒たちに向けて、このように伝えた。

「ようく見ておけ。命令を聞かなければ、お前らもこの桃色の髪みたいになる」

 最後に一度、黒玉衡(クスアリオト)が放たれる。

 その輝きに、学校の外にそびえ立つ黒い巨木が、反応を示した。


 黒い花が、咲き乱れる。


 その花びらは徐々に…………


 黒から桜色へ変わり、ワッと一斉に舞い上がった。


 甘い香りを従えて。


「ちょっと! どういう事? あなた達は一体…………」


 女教師が顔を引きつらせ、悲鳴を上げた。

「便利な道が出来ておりましたので、ここから入らせていただきました」

 黒い巨木の『うろ』の中から、視察団の腕章をつけた10体の白龍が、わらわらと出て来るでは無いか!

 黒奇岩城の面々は人間の謎を解き明かそうとするあまり、白龍側の神達が自分達の領土に侵入するきっかけを、自ずから作っていたのである。

 大地少年を隔離していたはずの黒い巨木は、彼を隔離するどころか心ごと逃がし、知らず知らずのうちに敵が易々と侵入出来る経路を作り上げていた。

 こうして闇の一派の悪事は、細部にわたるまで全て視察団の知るところとなり、彼らの失脚を後押しするきっかけとなった。


 大地を最後に救ったのは、清名の声だ。

『ほらね、何も怖く無いでしょう。大地』

「…………」

『ここは、あなたが生きる場所じゃないわ』

「…………うん」

『さ、龍宮城へ帰りましょう。大地』

「…………うん」

 拷問のたびに大地の心はするりと、清名がいる場所と逃げる事に成功した。

 隔離室と名付けられた高天原の黒い巨木は、人間世界の岩時神社にそびえ立つ、清名が入り込んだ桜の木へと繋がっていたことが後に判明した。


 その場所にだけは一度たりとも、闇の一派が干渉することが出来なかった。





「大地はどこにいる」

『教えるものか!』

 久遠の問いに、グガイが答える。

「大事な息子を今すぐ返せ」

『返すわけが無かろう』

 グガイをはじめとする黒奇岩城の教師たちは、まだ力が有り余っている。

 久遠と爽に術が効かない事がわかると、今度は素手で立ち向かってきた。

 口からは涎を垂らし、暴言を吐き、汚い言葉を喚き散らしている。

 まわりにいる子供達が邪魔だったようで、彼らを蹴り飛ばしながら走る者もいた。

「大事な生徒達を、避難させる方が先だろうに!」

 泣き叫ぶ数名の子供たちを久遠はすかさず術で守り、自分達の方へ引き寄せた。

 どうやら教師たちは、久遠らを殺すことだけで頭がいっぱいらしい。

「小さくてか弱く、罪の無い、優しい子供を傷つけて、少しも心が痛まないのか!」

『生きる価値も無いような、弱者に?』

「かつてはお前らだって、子供だったろう! 守ろうともせず、それでも教師か!」

『得体の知れない他種族の子供を守るために命を張れというのか? お笑い草だ!』

 この言葉が、黒奇岩城にいた教師たちの総意なのか。

 だとしたらこんな城、早く無くなった方が子供達のためだ。

「理解出来ない者になど、割いてやる心は無い────そう言いたいのだな」

 久遠はついに、怒りが抑えられなくなった。


「永遠に許さない」


 静かに術を唱えながら、久遠は目を閉じた。

 杖から風が放たれ、大きく膨れ上がり、巨大な円を描きながら回転を始める。


「────天滅(テス)


 天滅(テス)は、風の神が独自に編み出した、殺傷の術式だ。

 いつしか暴風が、黒奇岩城を包み始める。

 久遠の怒りを具現化したように。

 グガイと教師たちを、鋭すぎるほど鋭い風が激しく切り刻み始める。

 痛みのあまり、彼らは絶叫した。

「ギャアーッ!!!」


「久遠、今はこらえろ! 彼らを生け捕りにして、罪を償わせるのが先だ。殺すのはそれからでも遅く────」


 久遠の肩に触れた途端、爽は、はるか彼方へと飛ばされた。


「あーれー…………!」


 爽の姿は星のように輝いて、その場から消え、見えなくなってしまった。


 久遠の天滅の威力は、それほどまでに凄まじかった。


 白い煙の中から、黒色の炎が浮かび上がり、それが闇の神・伽蛇(カシャ)の姿となった。

「久遠様! どうしてここに…………」

 久遠は伽蛇に返事をしない。

「あの女はどうしたのです。子供を迎えに来ていないのですか? この手で殺してやったものを!」

 血に飢えた伽蛇が言う『あの女』とは、弥生の事を指すのであろう。

「こんな場所に連れて来るものか」

 吐き捨てる様に、久遠は言った。

 あまりにも危険過ぎるため、来たがっていた弥生を説き伏せ、龍宮城で待機させていたのである。

 空中に浮かび上がった伽蛇は、怒り心頭に達した久遠を一瞥すると、ケタケタと笑い出した。

『ちゃんと怒れるじゃないの、久遠様! あの子は死ぬわ…………いい気味ね!』

 伽蛇の体は時々、ちらちらと透き通って見える。

 実体がこの場に存在していないようだ。

『私を無視した報いを、受けるといいわ』

 その時。

 後ろから白龍が六体ほど現れ、伽蛇の両腕をすかさず拘束した。

『ちょっと、いきなり何をするのっ?!』

 突然の出来事に、驚愕の表情を浮かべる伽蛇。

 それもそのはず。彼女を拘束しているのは、世界の『法』を管理する白龍達だ。

 最強神をかたどる腕章をつけて、彼らは伽蛇の近くに姿を現した。

『闇の神・伽蛇(カシャ)。罪の無い子供に長い期間、残虐で卑劣な拷問や監禁をした罪により、我々と一緒に桃螺(トウラ)へ来てもらう。お父上は既に捕まっており、牢の中に入っている』

『何ですって?! どうしてお父様が? この私がそんな悪い事をするわけ無いでしょう』

『これを見ても、果たしてそう言えるのでしょうか』

 一体の白龍が進化した『龍の目』を使って、空中にひとつの映像を浮かび上がらせた。

『あなたが指示した事に、間違いありませんね』

 映像の中では伽蛇本人が、配下のウラとクルエンを呼びつけ、大地をさらに酷く拷問するように命令している。

『──何かの間違いよ! 全てアイツらが悪いの。私は悪くないわ!』

『間違いでは無い。これが真実です。一緒に来てもらいましょう』

 伽蛇は全てを罵りながら、最後の最後まで抵抗を見せた。

 ふと振り向くと、爽が戻ってきていた。

 久遠の肩に手を当てて、にっこりと微笑んでいる。

「良かったな」

「…………はい」

 こうし闇の神・侵偃と伽蛇の企みは、中途のまま未遂に終わったのである。










 大地が龍宮城へ帰って来て、一夜が明けた。

「おはようございます。久遠様」

「眠れたか」

 大広間にて久遠が声をかけると、弥生は微笑みながら頷いた。

「はい。久しぶりに、ぐっすりと」

 昨晩、六歳になる大地と一緒に、弥生は同じ布団で眠りに落ちた。

 大地は今も、布団の中で眠っている。

 起こさずにいてあげよう。

「起きている時も寝ている時も、大地の温もりが伝わって来て……嬉しかったです」

 弥生はしみじみと、大地が生きていることを実感できたという。

 肩が小刻みに震え、彼女の目からは今にも涙が溢れそうになっている。

「温かくて、いい香りがして。大地の命を身近に感じられて、本当に幸せでした」

 酷い目に遭わされた直後だというのに、大地は弥生に笑顔を向けたのだという。

 心底、嬉しそうに。

 久遠は今度こそ、暗くて長かった夜がようやく明けたという気がした。

『女の子と遊んだ』

 大地は弥生に、小さな可愛らしい女の子と手を繋いで遊んだのだと、打ち明けたそうである。

「夢の中で?」

「いいえ。本当に『さくら(・・・)と遊んだんだ』と言っいました」


 大地はもう一度、嬉しそうに声をあげて笑ったという。


 久遠と弥生は、不思議に思った。


 どんなに苦しくて酷い目に遭わされても、大地は楽しかった出来事だけを思い浮かべているかのようだ。


「私もいつか会いたいわ。大地の未来の奥さん…………さくらちゃんに」

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