桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
秘密の霊泉
礼環《レーデ》はショックで、顔が真っ青になった。
遊子《ユウシ》が示した光は一直線に、フツヌシの腹の中を指している。
「……っ大変だわ!」
「でも彼、生きているみたいだよ?」
遊子はもう一度杖を向け、光を当てながらフツヌシの腹の中を観察した。
不思議なことに、黒と同格の輝きを持つ、白く光る勾玉も見える。
「もしかして彼、白と黒、二つの勾玉を食べたのかな?」
「ええっ?! 深名孤様の涙も、フツヌシのお腹の中にあるんですか?」
遊子は頷く。
「誰の涙かは知らないけど、白龍神の涙も飲んだみたい。ほら」
光の先端がクローズアップされると、礼環は小さな悲鳴を上げた。
「白と黒の何かがフツヌシのお腹の中で、ぐるぐる回ってる……?!」
遊子は首を傾げた。
「彼が死なないのって、どうしてだろう。白と黒の勾玉を一緒に食べたからかな?」
無感動な声で、思ったままを口にした遊子を、礼環はひと睨みした。
「死ぬ? ……フツヌシがそう簡単に、死ぬわけないじゃありませんか!」
「黒龍側最強神の涙を食べたんでしょ? よほど高位の神でも無ければ死ぬか、頭が完全におかしくなるよ。人間なら、黒い涙の勾玉を触っただけで死ぬんだよ?」
「たとえフツヌシが、最強神・深名孤《ミナコ》様の息子だとしても?」
遊子はフン、と鼻を鳴らす。
「最強神だっていつか死ぬし、万能じゃないんですー。世界にごまんといる最強神の子供達も、必ず死んでく運命なんですー。歴史くらい習ったでしょ?」
「……」
礼環は全身から、力が抜けていくような気がした。
仮に、何らかの要因が重なって、今だけは大丈夫だったとしても。
フツヌシの中に潜む、黒い危険な勾玉を取り除くことが出来なかったら……
彼は死んでしまう?
礼環は激しく取り乱している。
「早く……早くフツヌシを、助けてあげないと!」
「……」
助けるためには飛んで羽ばたいて、フツヌシがいる人間世界まで戻る必要がある。
しかし礼環は人間の血を引いているため、神々の平均の約半分ほどしか力がない。
到着する頃には、体力と精神力の大部分が無くなってしまう可能性がある。
問題は、その後だ。
どうやって彼を助ける?
「────」
途方に暮れ、言葉をなくす礼環に、遊子はさらに無情な声を浴びせかけた。
「さあ。僕との約束を、果たして下さい」
「約束?」
「時間を戻してくれるって約束だったでしょ?『神獣どぎまぎメモリアル3』の『期間限定イベント』で、ジェラちゃんがおかんむりになる前まで」
「あ。はい……そうでしたね」
「そうです」
見ず知らずのフツヌシがどうなろうと、この子には関係無いのだ。
それに、状況を教えてくれたことに関しては、心から感謝している。
お礼の気持ちを込めて、約束を果たしたい。
懐から白い杖を取り出し、礼環は目を瞑って集中を始める。
受付机の上に置かれた、ゲームが刺さった神石に向けて声を上げた。
「螺弦《ゼルレード》!」
遊子の神石ゲームに、紫色に光る『時の術式』が、螺旋を描きながら命中する。
「おおっ!」
石の中央でしきりに点滅していた赤い光が、静かな青白い光へと変わる。
「あっっ! すごい! やった! ジェラちゃんのご機嫌が直ったっ……」
しかし。
きゅるきゅる~ん……
ぷすんっ!
神石ゲームの中央に刺さった石からは、また赤い光が点滅し始めた。
「……ねえ」
「……」
「どういう事?」
「……あらあら~」
「あらあら~、じゃないよ! アナタ、名前なんていったっけ」
「礼環《レーデ》と申します」
ここで自己紹介とは。
「礼環さん? ひど過ぎるよ!! 時間、戻せませんでした~じゃ済まないよ!!」
「えっと……力が抜けちゃって、ごめんなさいね。もう一度やりますから……ところであなたのお名前は」
「遊子《ユウシ》です!」
自己紹介を終えた遊子は、何もかも破壊しかねない剣幕でプリプリと怒り出し、礼環に向けて(断りもなく)天枢《ドゥーベ》を唱えた。
そして、ガックリと首を垂れる。
「礼環さん……あなた今、ぜんっぜん力が無いんじゃん! マックス100だとすると、6くらいしか無いじゃんか!」
「あれ、おかしいですね。ここに来るまでの移動のために、大量の力を使ったにしても、30くらいは残っているはずですが……」
「さっきのショックで力が減っちゃったんだよ! そもそも70くらいはないと飛んで帰れないのに、どうやって帰るつもりだったの? やっぱ計算ができないの? やっぱアホなの? そもそも螺弦《ゼルレード》って、どのくらい力が必要なの?」
激しく責めたてられ、礼環は目を白黒させながら、最後の質問にだけは答えた。
「10くらいの力が、あれば」
「10? え? そんなに少しでいいの?」
「ええ。螺弦《ゼルレード》は小さな時間修理をする場合によく使うんです。法には触れませんので、使い勝手が良くて便利です。このゲーム機の中限定で時間を戻し、遊子が『期間限定イベント』をやり終えたら自動的に『螺弦・解除』がかかって、ゲーム内の『期間限定イベント』分しか時間が戻らないよう設定することも出来ます」
「礼環が10の力を取り戻すには、どのくらい休養が必要?」
「一週間くらい、でしょうか」
「えええ、無理無理。部外者の礼環をこんな極秘空間に一週間も滞在させたら僕、侵偃《シンエン》に殺されちゃう。ここの受付バイト、もう終わりそうだし」
侵偃《シンエン》。
遊子が漏らした言葉の一部を、礼環は聞き逃さなかった。
侵偃(シンエン)とは、悪名高い闇の神の名だ。
自身の娘に、惨たらしい虐待をしているとも聞く。
そんな男も、この場所に関わりを持っている?
「ねえ、螺弦《ゼルレード》を僕が覚えることは可能?」
「覚えたい? あなたが?」
「うん。ゲームの中の時間だけ、自分の好きなように戻せる神術なんでしょ?」
急に礼環は、現実に引き戻された。
時間術は、例え簡単なものだとしても、体得するまでかなりの勉強が必要になる。
ゲームをクリアしたいがために覚えたいとは……理解に苦しむ。
「私が読み込んだ古い教本ならありますが……差し上げましょうか?」
礼環は懐から、小さな深緑色の背表紙がついた本を取り出し、遊子に手渡した。
螺弦《ゼルレード》以外にも便利な時間術が載っている、一番簡単な教本である。
「いいの? ありがとうございます!」
遊子は初めて、礼環を見てにっこりと笑った。
「どういたしまして」
もらった本を大切そうにパラパラとめくる姿はなかなか愛嬌があり、いつものふてぶてしさが消えている。
後に彼が、光の神であるにも関わらず、細やかな時間の修理が出来るようになった背景には、このようないきさつがあった。
パタン。
遊子は本を閉じて懐にしまい、急に叫び出した。
「でもあのイベントだけは今すぐ、クリアしたいんだー!」
「……でしょうね」
ふと、遊子はある事を思い出した。
「そうだ! 裏技を使っちゃおう!」
「裏技?」
「ここにある残りの9粒の黒い勾玉を今すぐ全部、処分するんだ」
「あ、はい。ぜひお願いします!」
危険な勾玉は、早く処分するに越したことはない。
にしても、どうして急に?
「これだけあれば、力を作り出せるかも」
作り出す?
力を?!
背後にある円状の光に向けて、遊子が術式を唱え始める。
グングンと光の円は広がっていき、礼環が入れるくらいまで大きくなった。
遊子は彼女に円の中へ入るよう促し、自分もその後に続いた。
中は真っ暗闇である。
ツンとするような無音の静けさが広がり、心臓の音が聞こえてきそうな場所だ。
目が慣れてくると、控えめな大きさの、円状で澄み渡った霊泉が姿を現した。
「……綺麗」
見上げると漆黒の夜空に、それぞれ色が異なる七つの月が浮かんでいた。
月の光が幾筋か反射して、澄んだ泉の水底にある砂を、キラキラと輝かせている。
「『ブラデレード』の古い語源は、『秘密の霊泉』」
濃い植物の香りがする中、背後から遊子が、礼環にそっと教えてくれた。
「ここは高位の神でもなかなか、お見せすることが出来ない場所です」
「ではどうして私、中へ入れてもらえたの?」
「今の礼環には力が無いから。この状況に魅せられて頭がおかしくなったとしても、体が動かないはず」
遊子は光の術を唱え、黒い9粒の勾玉を白光で包み込み、霊泉の中へ投げ込んだ。
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
黒い勾玉は泉の中でシュワッと弾けたような音を立て、沈みながら姿を消した。
ゴボゴボゴボ……
跡形も無く勾玉が消えると、七つの月光が、同時に水の中を照らし出した。
まるで問いに答えるかのように、水中から厳かな光が生まれる。
空中に向け、光が沸きあがる。
踊り狂う。
ゴボゴボッ!
ゴボゴボゴボゴボッ!!
浄化霊泉は凄まじい水音を立てながら、月まで届くかの如く噴き上げた。
「わあっ!」
色とりどりの輝き。
見たことの無い美しさ。
奇妙な破壊衝動が、瞬間的に浮かぶ。
すべてを奪い、消し去ってしまいたい、抗いがたい誘惑。
色が、音が、香りが、水の美しさが、全て絡み合って、礼環の中に入ってくる。
染みわたる。
本当に、遊子が言った通り、体が全く動かない。
「どうでした?」
「……素敵」
今まで想像したことも、味わったことも無い気持ちが、心の中で渦を巻く。
しばらくの後、落ち着いた。
「引き込まれそうになったわ……」
「大抵の神々は、この美しさに負けて飛び込むんだよ。この霊泉の中に」
「ええ? 飛び込んだら死んでしまうのでは?!」
「……さあ。死ぬのかな?」
「飛び込むなんて……」
「魅力に心を奪われて、死なんて怖く無くなっちゃうらしいよ。僕はやだけど」
つい先ほどまでなら理解できなかったが、今ならば少しだけ、想像が出来る。
欲望を掻き立てられ、自分を見失うとは、ああいった気持ちなのかも知れない。
「……ありがとうございます。9粒の勾玉は浄化されて、全て消えましたか?」
「浄化といえば聞こえはいいけど、正確には『分解』されて、力が粒子状になっただけなんだ」
「分解……?」
「うん。最強神の涙は、永遠に無くならない。新たな力として生まれ変わるんだよ」
遊子は杖を振った。
サラサラと、白く煌めく光の粒だけが、泉の中から浮かび上がる。
光の粒はクルクルと回りながら、一つの球体を作り出した。
「これは天璣《フェクダ》。分解された粒子を使って、簡単に作れます」
「……すごい」
遊子の杖の先で、まばゆい光があたりを照らしている。
彼は少し微笑むと、もう一度杖の先を回し、光の粒を集め、礼環に向けて呟いた。
「揺光《アルカイド》」
フワッ!
礼環の体の奥底から、熱くて大きなものが、湧き上がってくる。
目がハッキリ見える。
音も聞こえる。
呼吸が楽になった。
感覚が研ぎ澄まされている。
生きている喜びと、ときめきが溢れ出す。
何でも出来そうな、得体の知れない自信が蘇ってくる。
感謝の想いが、止まらない。
「ああ……力が戻った! すごいわ! もしかしてこれ、あなたの力で?」
「良かった、成功したみたいだね。これ、僕の力じゃないよ。光の粒子を集めて、組み合わせただけなんだ。今、100の力を感じるでしょう? 礼環さん」
「100なんてものじゃないわ! 200くらいありますとも! ああ、ああ、ありがとう、遊子!」
まだ小さな子供だというのに、並みの神々とは比較にならない能力の高さである。
「さあ、早く螺弦《ゼルレード》を使って、僕のゲームを……」
礼環と遊子が微笑みあっていると、そこに何の前触れもなく一体の神が現れた。
「ここで、何をしているのです」
ぎょっとして振り向くと、そこには闇の神・侵偃《シンエン》が立っていた。
黒ずくめの衣服、帽子、威圧感のある巨体、大きな鋭い瞳。
引き込まれる魅力に溢れた侵偃は、まるで最強神の涙……黒い勾玉のようだ。
礼環はおろか遊子さえも、彼の気配を全く感じなかった。
「侵偃様、これは……」
遊子が言葉を探しているうちに、礼環は地面にひれ伏し、この状況を詫びた。
「神聖な場所に勝手に入ってしまい、大変申し訳ありません! これには深い訳が」
侵偃は、表情を変えずに返事をした。
「構いませんよ。所詮あなたは人間と神のハーフで、か弱き鳳凰……」
杖を振り上げ、侵偃は礼環に向けて術を唱える。
すると礼環は自分の意志に反して、体が上へ上へと浮き上がってゆく。
「キャッ!」
礼環の体はゆっくりと空中で弧を描き、一直線に落下した。
浄化霊泉『ブラデレード』の中へ。
「侵偃様! 何を!」
遊子が叫んだ時は、もう遅かった。
ドボン!!
ゴボゴボ、ゴボゴボ!
礼環の体は、霊泉の奥底へと沈んでゆく。
「こうするのは当然でしょう。ここは部外者立ち入り禁止なのですから……」
侵偃は顔色を変えず、口元だけ薄ら笑いを浮かべていた。
遊子《ユウシ》が示した光は一直線に、フツヌシの腹の中を指している。
「……っ大変だわ!」
「でも彼、生きているみたいだよ?」
遊子はもう一度杖を向け、光を当てながらフツヌシの腹の中を観察した。
不思議なことに、黒と同格の輝きを持つ、白く光る勾玉も見える。
「もしかして彼、白と黒、二つの勾玉を食べたのかな?」
「ええっ?! 深名孤様の涙も、フツヌシのお腹の中にあるんですか?」
遊子は頷く。
「誰の涙かは知らないけど、白龍神の涙も飲んだみたい。ほら」
光の先端がクローズアップされると、礼環は小さな悲鳴を上げた。
「白と黒の何かがフツヌシのお腹の中で、ぐるぐる回ってる……?!」
遊子は首を傾げた。
「彼が死なないのって、どうしてだろう。白と黒の勾玉を一緒に食べたからかな?」
無感動な声で、思ったままを口にした遊子を、礼環はひと睨みした。
「死ぬ? ……フツヌシがそう簡単に、死ぬわけないじゃありませんか!」
「黒龍側最強神の涙を食べたんでしょ? よほど高位の神でも無ければ死ぬか、頭が完全におかしくなるよ。人間なら、黒い涙の勾玉を触っただけで死ぬんだよ?」
「たとえフツヌシが、最強神・深名孤《ミナコ》様の息子だとしても?」
遊子はフン、と鼻を鳴らす。
「最強神だっていつか死ぬし、万能じゃないんですー。世界にごまんといる最強神の子供達も、必ず死んでく運命なんですー。歴史くらい習ったでしょ?」
「……」
礼環は全身から、力が抜けていくような気がした。
仮に、何らかの要因が重なって、今だけは大丈夫だったとしても。
フツヌシの中に潜む、黒い危険な勾玉を取り除くことが出来なかったら……
彼は死んでしまう?
礼環は激しく取り乱している。
「早く……早くフツヌシを、助けてあげないと!」
「……」
助けるためには飛んで羽ばたいて、フツヌシがいる人間世界まで戻る必要がある。
しかし礼環は人間の血を引いているため、神々の平均の約半分ほどしか力がない。
到着する頃には、体力と精神力の大部分が無くなってしまう可能性がある。
問題は、その後だ。
どうやって彼を助ける?
「────」
途方に暮れ、言葉をなくす礼環に、遊子はさらに無情な声を浴びせかけた。
「さあ。僕との約束を、果たして下さい」
「約束?」
「時間を戻してくれるって約束だったでしょ?『神獣どぎまぎメモリアル3』の『期間限定イベント』で、ジェラちゃんがおかんむりになる前まで」
「あ。はい……そうでしたね」
「そうです」
見ず知らずのフツヌシがどうなろうと、この子には関係無いのだ。
それに、状況を教えてくれたことに関しては、心から感謝している。
お礼の気持ちを込めて、約束を果たしたい。
懐から白い杖を取り出し、礼環は目を瞑って集中を始める。
受付机の上に置かれた、ゲームが刺さった神石に向けて声を上げた。
「螺弦《ゼルレード》!」
遊子の神石ゲームに、紫色に光る『時の術式』が、螺旋を描きながら命中する。
「おおっ!」
石の中央でしきりに点滅していた赤い光が、静かな青白い光へと変わる。
「あっっ! すごい! やった! ジェラちゃんのご機嫌が直ったっ……」
しかし。
きゅるきゅる~ん……
ぷすんっ!
神石ゲームの中央に刺さった石からは、また赤い光が点滅し始めた。
「……ねえ」
「……」
「どういう事?」
「……あらあら~」
「あらあら~、じゃないよ! アナタ、名前なんていったっけ」
「礼環《レーデ》と申します」
ここで自己紹介とは。
「礼環さん? ひど過ぎるよ!! 時間、戻せませんでした~じゃ済まないよ!!」
「えっと……力が抜けちゃって、ごめんなさいね。もう一度やりますから……ところであなたのお名前は」
「遊子《ユウシ》です!」
自己紹介を終えた遊子は、何もかも破壊しかねない剣幕でプリプリと怒り出し、礼環に向けて(断りもなく)天枢《ドゥーベ》を唱えた。
そして、ガックリと首を垂れる。
「礼環さん……あなた今、ぜんっぜん力が無いんじゃん! マックス100だとすると、6くらいしか無いじゃんか!」
「あれ、おかしいですね。ここに来るまでの移動のために、大量の力を使ったにしても、30くらいは残っているはずですが……」
「さっきのショックで力が減っちゃったんだよ! そもそも70くらいはないと飛んで帰れないのに、どうやって帰るつもりだったの? やっぱ計算ができないの? やっぱアホなの? そもそも螺弦《ゼルレード》って、どのくらい力が必要なの?」
激しく責めたてられ、礼環は目を白黒させながら、最後の質問にだけは答えた。
「10くらいの力が、あれば」
「10? え? そんなに少しでいいの?」
「ええ。螺弦《ゼルレード》は小さな時間修理をする場合によく使うんです。法には触れませんので、使い勝手が良くて便利です。このゲーム機の中限定で時間を戻し、遊子が『期間限定イベント』をやり終えたら自動的に『螺弦・解除』がかかって、ゲーム内の『期間限定イベント』分しか時間が戻らないよう設定することも出来ます」
「礼環が10の力を取り戻すには、どのくらい休養が必要?」
「一週間くらい、でしょうか」
「えええ、無理無理。部外者の礼環をこんな極秘空間に一週間も滞在させたら僕、侵偃《シンエン》に殺されちゃう。ここの受付バイト、もう終わりそうだし」
侵偃《シンエン》。
遊子が漏らした言葉の一部を、礼環は聞き逃さなかった。
侵偃(シンエン)とは、悪名高い闇の神の名だ。
自身の娘に、惨たらしい虐待をしているとも聞く。
そんな男も、この場所に関わりを持っている?
「ねえ、螺弦《ゼルレード》を僕が覚えることは可能?」
「覚えたい? あなたが?」
「うん。ゲームの中の時間だけ、自分の好きなように戻せる神術なんでしょ?」
急に礼環は、現実に引き戻された。
時間術は、例え簡単なものだとしても、体得するまでかなりの勉強が必要になる。
ゲームをクリアしたいがために覚えたいとは……理解に苦しむ。
「私が読み込んだ古い教本ならありますが……差し上げましょうか?」
礼環は懐から、小さな深緑色の背表紙がついた本を取り出し、遊子に手渡した。
螺弦《ゼルレード》以外にも便利な時間術が載っている、一番簡単な教本である。
「いいの? ありがとうございます!」
遊子は初めて、礼環を見てにっこりと笑った。
「どういたしまして」
もらった本を大切そうにパラパラとめくる姿はなかなか愛嬌があり、いつものふてぶてしさが消えている。
後に彼が、光の神であるにも関わらず、細やかな時間の修理が出来るようになった背景には、このようないきさつがあった。
パタン。
遊子は本を閉じて懐にしまい、急に叫び出した。
「でもあのイベントだけは今すぐ、クリアしたいんだー!」
「……でしょうね」
ふと、遊子はある事を思い出した。
「そうだ! 裏技を使っちゃおう!」
「裏技?」
「ここにある残りの9粒の黒い勾玉を今すぐ全部、処分するんだ」
「あ、はい。ぜひお願いします!」
危険な勾玉は、早く処分するに越したことはない。
にしても、どうして急に?
「これだけあれば、力を作り出せるかも」
作り出す?
力を?!
背後にある円状の光に向けて、遊子が術式を唱え始める。
グングンと光の円は広がっていき、礼環が入れるくらいまで大きくなった。
遊子は彼女に円の中へ入るよう促し、自分もその後に続いた。
中は真っ暗闇である。
ツンとするような無音の静けさが広がり、心臓の音が聞こえてきそうな場所だ。
目が慣れてくると、控えめな大きさの、円状で澄み渡った霊泉が姿を現した。
「……綺麗」
見上げると漆黒の夜空に、それぞれ色が異なる七つの月が浮かんでいた。
月の光が幾筋か反射して、澄んだ泉の水底にある砂を、キラキラと輝かせている。
「『ブラデレード』の古い語源は、『秘密の霊泉』」
濃い植物の香りがする中、背後から遊子が、礼環にそっと教えてくれた。
「ここは高位の神でもなかなか、お見せすることが出来ない場所です」
「ではどうして私、中へ入れてもらえたの?」
「今の礼環には力が無いから。この状況に魅せられて頭がおかしくなったとしても、体が動かないはず」
遊子は光の術を唱え、黒い9粒の勾玉を白光で包み込み、霊泉の中へ投げ込んだ。
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
ドボン!
黒い勾玉は泉の中でシュワッと弾けたような音を立て、沈みながら姿を消した。
ゴボゴボゴボ……
跡形も無く勾玉が消えると、七つの月光が、同時に水の中を照らし出した。
まるで問いに答えるかのように、水中から厳かな光が生まれる。
空中に向け、光が沸きあがる。
踊り狂う。
ゴボゴボッ!
ゴボゴボゴボゴボッ!!
浄化霊泉は凄まじい水音を立てながら、月まで届くかの如く噴き上げた。
「わあっ!」
色とりどりの輝き。
見たことの無い美しさ。
奇妙な破壊衝動が、瞬間的に浮かぶ。
すべてを奪い、消し去ってしまいたい、抗いがたい誘惑。
色が、音が、香りが、水の美しさが、全て絡み合って、礼環の中に入ってくる。
染みわたる。
本当に、遊子が言った通り、体が全く動かない。
「どうでした?」
「……素敵」
今まで想像したことも、味わったことも無い気持ちが、心の中で渦を巻く。
しばらくの後、落ち着いた。
「引き込まれそうになったわ……」
「大抵の神々は、この美しさに負けて飛び込むんだよ。この霊泉の中に」
「ええ? 飛び込んだら死んでしまうのでは?!」
「……さあ。死ぬのかな?」
「飛び込むなんて……」
「魅力に心を奪われて、死なんて怖く無くなっちゃうらしいよ。僕はやだけど」
つい先ほどまでなら理解できなかったが、今ならば少しだけ、想像が出来る。
欲望を掻き立てられ、自分を見失うとは、ああいった気持ちなのかも知れない。
「……ありがとうございます。9粒の勾玉は浄化されて、全て消えましたか?」
「浄化といえば聞こえはいいけど、正確には『分解』されて、力が粒子状になっただけなんだ」
「分解……?」
「うん。最強神の涙は、永遠に無くならない。新たな力として生まれ変わるんだよ」
遊子は杖を振った。
サラサラと、白く煌めく光の粒だけが、泉の中から浮かび上がる。
光の粒はクルクルと回りながら、一つの球体を作り出した。
「これは天璣《フェクダ》。分解された粒子を使って、簡単に作れます」
「……すごい」
遊子の杖の先で、まばゆい光があたりを照らしている。
彼は少し微笑むと、もう一度杖の先を回し、光の粒を集め、礼環に向けて呟いた。
「揺光《アルカイド》」
フワッ!
礼環の体の奥底から、熱くて大きなものが、湧き上がってくる。
目がハッキリ見える。
音も聞こえる。
呼吸が楽になった。
感覚が研ぎ澄まされている。
生きている喜びと、ときめきが溢れ出す。
何でも出来そうな、得体の知れない自信が蘇ってくる。
感謝の想いが、止まらない。
「ああ……力が戻った! すごいわ! もしかしてこれ、あなたの力で?」
「良かった、成功したみたいだね。これ、僕の力じゃないよ。光の粒子を集めて、組み合わせただけなんだ。今、100の力を感じるでしょう? 礼環さん」
「100なんてものじゃないわ! 200くらいありますとも! ああ、ああ、ありがとう、遊子!」
まだ小さな子供だというのに、並みの神々とは比較にならない能力の高さである。
「さあ、早く螺弦《ゼルレード》を使って、僕のゲームを……」
礼環と遊子が微笑みあっていると、そこに何の前触れもなく一体の神が現れた。
「ここで、何をしているのです」
ぎょっとして振り向くと、そこには闇の神・侵偃《シンエン》が立っていた。
黒ずくめの衣服、帽子、威圧感のある巨体、大きな鋭い瞳。
引き込まれる魅力に溢れた侵偃は、まるで最強神の涙……黒い勾玉のようだ。
礼環はおろか遊子さえも、彼の気配を全く感じなかった。
「侵偃様、これは……」
遊子が言葉を探しているうちに、礼環は地面にひれ伏し、この状況を詫びた。
「神聖な場所に勝手に入ってしまい、大変申し訳ありません! これには深い訳が」
侵偃は、表情を変えずに返事をした。
「構いませんよ。所詮あなたは人間と神のハーフで、か弱き鳳凰……」
杖を振り上げ、侵偃は礼環に向けて術を唱える。
すると礼環は自分の意志に反して、体が上へ上へと浮き上がってゆく。
「キャッ!」
礼環の体はゆっくりと空中で弧を描き、一直線に落下した。
浄化霊泉『ブラデレード』の中へ。
「侵偃様! 何を!」
遊子が叫んだ時は、もう遅かった。
ドボン!!
ゴボゴボ、ゴボゴボ!
礼環の体は、霊泉の奥底へと沈んでゆく。
「こうするのは当然でしょう。ここは部外者立ち入り禁止なのですから……」
侵偃は顔色を変えず、口元だけ薄ら笑いを浮かべていた。