桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞
最強の力
「妻だと?」
「はい」
「証拠はあるのだろうな」
「もちろんです。さあ、こちらへ……我が妻よ」
ウルスィは深名斗から逃れようと駆け出し、海玉の後ろに隠れた。
「……」
深名斗は苛立ちを顕にした。
「妻は我が家の壁を、綺麗にしてくれました。無償で掃除など、家族じゃ無ければやりません」
フツヌシは、海玉の言葉に驚いた。
あの時、海玉様は気づいていたのだろうか?
壁を綺麗にしたのが、礼環だということを。
「我が家をご覧いただければ、わかります」
もちろん本当は、結婚などしていない。
そもそも海玉は、ウルスィが何者なのかを知らない。
だが礼環と瓜二つの彼女が深名斗に傷つけられるのを、黙って見てはいられない。
「もっとマシな嘘は思いつかなかったのか?」
深名斗は海玉を睨みつけている。
「嘘ではありません」
海玉は、礼環に結婚を申し込むつもりだ。
ウルスィが礼環と無関係なはずはない。
結婚する未来が真実ならば、嘘にならない。
深名斗は声を荒げながら、唐突に叫んだ。
「……闇の神・侵偃《シンエン》!」
黒煙があたりを包み込む。
深名斗が唱えた天権《メグレズ》の力で、煙の中から闇の神・侵偃《シンエン》が姿を現した。
禍々しい表情を隠した、背の高い男。
黒ずくめの衣服、帽子、威圧感のある巨体。
大きな鋭い瞳に恐怖が宿り、深名斗だけを見つめている。
「お呼びでしょうか、深名斗様」
「僕に何の断りも無しに霊泉を使用し、そこにいる下僕女を作ったのは何故だ! 最強神にでも、なったつもりか!」
深名斗が発した声が、岩壁に反響する。
海玉は耳を疑った。
今の話……本当なのか?
霊泉とは、高天原にあるブラデレードの事か?
あの泉を使用して、力や肉体を作り上げるとしたら、方法はただ一つ。
原料を放り込んで分解し、術を使って生成するしか無い。
ウルスィが作られたのなら、礼環はどこへ?
海玉の背中から、嫌な汗が流れ落ちる。
考えたくは無いが礼環は、もう……
「いえ! 滅相もございません! 全てはこの女を、深名斗様に捧げるためでございます」
礼環を霊泉に落として、粒子状に分解した。
はじめは殺すだけのつもりだった。
だが光の神・遊子から激しい攻撃を受け、場を取り繕うためだけに、ウルスィを生成した。
どうせ、何の役にも立たない女だ。
深名斗様に捧げてしまえば、ちょうど良い。
侵偃《シンエン》はそう考えている。
「……僕に?」
「はっ。 人間と時の神の魂を併せ持つ女は、さぞかし美味いだろう、と思ったので」
人間と時の神。
そんな魂を併せ持つ神は、彼女以外にいない。
海玉は我を忘れて叫ぶ。
「彼女は私の妻です! 食べ物ではありません」
言葉を挟んだ海玉に向けて、深名斗が怒鳴る。
「お前は黙れ! この大嘘つきめ!」
ウルスィと海玉と深名斗の3体は、ちょうど三角形になるよう立っていた。
フツヌシとモモとカイは、海玉の少し手前あたりでガタガタと震えている。
彼らは運悪く、三角形の中へ入り込んでいた。
「どどどどどどうしよう! フツヌシ!」
「みんな死んじゃうの?!」
「こここここ、ここからは、逃げられない!」
フツヌシは腰が抜けそうになっている。
でも、どうにかしなきゃ!
どうにかって……どうやって?
とにかく、海玉様とウルスィが危ない!
「こちらへ来い! 子供達よ」
海玉はサッと、子供達を自身の後ろに隠した。
「彼女と子供達を連れて帰ります。どうかお許しください。深名斗様」
深名斗の目つきが、一層鋭くなった。
「断じて許さぬ。その女は僕がもらう!」
両腕を高く上げ、深名斗は術を唱えた。
「天権《メグレズ》」
ウルスィはその瞬間、姿を消した。
「あっ!」
誰が止めることが出来ただろう。
彼女はもう、深名斗の腕の中だ。
「……!!」
ウルスィの瞳に、諦めのような何かが宿る。
海玉が叫んだが、もう遅い。
「深名斗様! おやめ下さい!! どうか、おやめ下さい!!!」
海玉は喉に激痛を感じ、首元を抑えた。
「うぐっ!!!」
『声を出すな! 深名斗様がお楽しみなのだ!』
闇の神・侵偃《シンエン》は、深名斗に気づかれぬよう、海玉に向けて術を唱えた。
「……!!」
海玉は、声が出なくなってしまった。
深名斗はウルスィの首元に噛みついて、彼女の血を吸い始めた。
ゴク……
ゴク……
ゴク……ッ
「!!!」
声が出ない海玉は、術を唱える事も叶わない。
「ギャァーーーーーッ!!」
あまりの痛みに発狂し、ウルスィは叫ぶ。
深名斗は自身が完全に満足するまで、ウルスィの血をいつまでも吸い続けた。
フツヌシ達は体が動かない。
目の前で起こっている出来事に、嫌悪感と吐き気が襲う。
行為が終わると、深名斗は汚物でも捨てるように、彼女の体を地面へと叩きつけた。
ドンッ!!!
「ギャッ!」
「まあまあだな。半分は人間の味がするが、飲めない味ではない……また飲んでやってもいい」
ウルスィは、絶望感と深い傷を負わされた。
体の痛みと、心の痛み。
目には涙が溢れている。
無表情な顔つきは青白く生気を失い、虚ろで儚くなっていく。
世にも残酷な光景だった。
「おい、お前」
深名斗は海玉を指さした。
「大嘘つきめ! 何が妻だ! まっさらの生娘だったではないか! もう二度と海から出るな!」
「……」
「……返事も出来ぬか」
返事が出来ないわけではない。
声が出ないのだ。
深名斗は海玉に、言葉による呪いをかけた。
海玉は深名斗が生きている間は二度と、自由に海から出られない心と体になってしまった。
それでも海玉は杖を構え、深名斗に向けた。
怒りを通り越した狂気に、支配されている。
声が出ない事を完全に忘れ、死は覚悟の上で。
「生意気な! 身のほど知らずが!」
深名斗は海玉に、殺傷の術を向けようとした。
絶体絶命の危機。
本来ならば海玉は、この瞬間に殺されていた。
だが、そうはならなかった。
岩の神・フツヌシが叫んだのである。
「あるかいどーーーーー!」
ドオーン!!!
「ある、かい、どーーー!!」
ド、ド、ドーーーン!!!
フツヌシはしきりに揺光《アルカイド》と叫んでいる。
海玉から教えてもらっている、最強の術。
まだ練習中で、上手く使えた事は一度もない。
海玉の声が、頭の中をよぎる。
『揺光《アルカイド》が何故、最強の力なのかわかるか? フツヌシ』
『……わかんない』
『悪い神が、それより強い力を使えないからだ』
「揺光《アルカイド》!!!」
それは揺光《アルカイド》では無い。
だが揺光《アルカイド》に似た力だった。
天空から温かな、光る湯が降り注ぐ。
「ギャァ!!」
闇の神・侵偃《シンエン》は一瞬にして、灰になりながら燃え上がり、姿を消した。
今度は深名斗だけを狙い、フツヌシは叫ぶ。
「あるかいどーーーー!」
ザアーーーーッ!!!
「ああああっつ! 熱い!!」
湯は、深名斗の体に直撃した。
渇いた岩を、土を、潤わせ、包んでゆく。
本物の揺光《アルカイド》とは異なるため、大きなダメージは与えられないが、深名斗にショックを与え、怒りを消し去るには充分だった。
「……」
潤った岩から、土から、湯気が生まれる。
湯気は何もかもを隠すかのように、あたりを包み込んでゆく。
海玉はこの隙に、ウルスィと子供達を連れて、深名斗達の目の前から消え去った。
────小癪な!
「深名孤なのか? 奴の力だな!! 忌々しい」
深名斗はフツヌシを見た。
何という子供だ!
「お前、名を何という」
「フツヌシ」
最強神・深名斗は、フツヌシに興味が湧いた。
「フツヌシ。なぜ、あの嘘つきを庇った」
「海玉様は嘘つきじゃない。お師匠様だ!」
「そうか。なら師匠が殺されるのは辛いだろう。言う通りにすれば、お前の師匠は殺しはしない」
「……何をすればいいの?」
「高天原へ来い」
深名斗は、その場で黒い灰と化した侵偃《シンエン》に命じた。
「お前の体が元通りになったらこの子供を、高天原へ連れて行け。抵抗するならば、即刻殺せ」
……承知いたしました。
どこからともなく、侵偃《シンエン》の声がした。
死んではいなかったのだ。
フツヌシの心は再び、恐怖に包まれた。
深名斗は消え去り、侵偃《シンエン》の姿も見えないので、フツヌシはその場から逃げるように、走りながら海玉の家に帰った。
「ただいま……」
返事はない。
静かな室内は真っ暗である。
奥の広間に入ると、フツヌシの方を見ようともしない海玉がいた。
モモやカイはもう、家に帰っているようだ。
ウルスィも、家の中にはいない。
いくら声をかけても、海玉は反応しない。
いつもと様子がまるで違う。
ショックを受けたせいだろう。
フツヌシに感謝を伝えることも、今の状況を説明することもできず、ただただ項垂れ、海の奥深い場所に家を移し、海玉は出てこなくなった。
ここで彼が、フツヌシを気にかける行動をとっていれば、未来は変わったかもしれない。
フツヌシは、深名斗から高天原へ来いと言われた件を話したがったが、海玉は海の家に閉じ籠り、一切話を聞こうとしなかった。
そして、月日が過ぎた。
驚いたことに、町に滞在していたらしいウルスィが妊娠し、あっという間に子供を産んだ。
ウィアンである。
やがてウルスィが姿を消し、ウィアンは宿屋の主人に引き取られ、息子同然に育てられた。
スクスクと成長したウィアンは、フツヌシに懐くようになった。
そして何年か過ぎ、フツヌシがあの出来事を忘れそうになった頃……
侵偃《シンエン》が戻って来た。
約束通り、その場に居合わせたウィアンと共に、フツヌシはあっという間に高天原へと連れ去られた。
その直後に、最強神の反転が起こった。
「どこじゃ……!」
深名孤はキョロキョロと、あたりを見回した。
「海玉よ、フツヌシはどこへ行ったのじゃ?」
「存じません。気づいたら、いなくなっていました……」
その頃には海玉の頭が、かなり狂っていた。
「連れ去られたのでしょう。深名孤様が放置していたからです。全てはあなた様の責任です」
深名孤は耳を疑った。
「海玉よ、おぬし……どうしたのじゃ」
「お帰り下さい。何もお話する事はありません」
無責任にもほどがある。
その上海玉は、深名孤を決して、自身の屋敷に入れようとしなかった。
だが、深名孤は、海玉を怒らなかった。
「何があったのかは知らぬが、海玉よ。おぬし自身をあまり責めぬようにな。おぬしの言う通り、フツヌシの件は全て、ワシの責任じゃからのう」
「はい」
「証拠はあるのだろうな」
「もちろんです。さあ、こちらへ……我が妻よ」
ウルスィは深名斗から逃れようと駆け出し、海玉の後ろに隠れた。
「……」
深名斗は苛立ちを顕にした。
「妻は我が家の壁を、綺麗にしてくれました。無償で掃除など、家族じゃ無ければやりません」
フツヌシは、海玉の言葉に驚いた。
あの時、海玉様は気づいていたのだろうか?
壁を綺麗にしたのが、礼環だということを。
「我が家をご覧いただければ、わかります」
もちろん本当は、結婚などしていない。
そもそも海玉は、ウルスィが何者なのかを知らない。
だが礼環と瓜二つの彼女が深名斗に傷つけられるのを、黙って見てはいられない。
「もっとマシな嘘は思いつかなかったのか?」
深名斗は海玉を睨みつけている。
「嘘ではありません」
海玉は、礼環に結婚を申し込むつもりだ。
ウルスィが礼環と無関係なはずはない。
結婚する未来が真実ならば、嘘にならない。
深名斗は声を荒げながら、唐突に叫んだ。
「……闇の神・侵偃《シンエン》!」
黒煙があたりを包み込む。
深名斗が唱えた天権《メグレズ》の力で、煙の中から闇の神・侵偃《シンエン》が姿を現した。
禍々しい表情を隠した、背の高い男。
黒ずくめの衣服、帽子、威圧感のある巨体。
大きな鋭い瞳に恐怖が宿り、深名斗だけを見つめている。
「お呼びでしょうか、深名斗様」
「僕に何の断りも無しに霊泉を使用し、そこにいる下僕女を作ったのは何故だ! 最強神にでも、なったつもりか!」
深名斗が発した声が、岩壁に反響する。
海玉は耳を疑った。
今の話……本当なのか?
霊泉とは、高天原にあるブラデレードの事か?
あの泉を使用して、力や肉体を作り上げるとしたら、方法はただ一つ。
原料を放り込んで分解し、術を使って生成するしか無い。
ウルスィが作られたのなら、礼環はどこへ?
海玉の背中から、嫌な汗が流れ落ちる。
考えたくは無いが礼環は、もう……
「いえ! 滅相もございません! 全てはこの女を、深名斗様に捧げるためでございます」
礼環を霊泉に落として、粒子状に分解した。
はじめは殺すだけのつもりだった。
だが光の神・遊子から激しい攻撃を受け、場を取り繕うためだけに、ウルスィを生成した。
どうせ、何の役にも立たない女だ。
深名斗様に捧げてしまえば、ちょうど良い。
侵偃《シンエン》はそう考えている。
「……僕に?」
「はっ。 人間と時の神の魂を併せ持つ女は、さぞかし美味いだろう、と思ったので」
人間と時の神。
そんな魂を併せ持つ神は、彼女以外にいない。
海玉は我を忘れて叫ぶ。
「彼女は私の妻です! 食べ物ではありません」
言葉を挟んだ海玉に向けて、深名斗が怒鳴る。
「お前は黙れ! この大嘘つきめ!」
ウルスィと海玉と深名斗の3体は、ちょうど三角形になるよう立っていた。
フツヌシとモモとカイは、海玉の少し手前あたりでガタガタと震えている。
彼らは運悪く、三角形の中へ入り込んでいた。
「どどどどどどうしよう! フツヌシ!」
「みんな死んじゃうの?!」
「こここここ、ここからは、逃げられない!」
フツヌシは腰が抜けそうになっている。
でも、どうにかしなきゃ!
どうにかって……どうやって?
とにかく、海玉様とウルスィが危ない!
「こちらへ来い! 子供達よ」
海玉はサッと、子供達を自身の後ろに隠した。
「彼女と子供達を連れて帰ります。どうかお許しください。深名斗様」
深名斗の目つきが、一層鋭くなった。
「断じて許さぬ。その女は僕がもらう!」
両腕を高く上げ、深名斗は術を唱えた。
「天権《メグレズ》」
ウルスィはその瞬間、姿を消した。
「あっ!」
誰が止めることが出来ただろう。
彼女はもう、深名斗の腕の中だ。
「……!!」
ウルスィの瞳に、諦めのような何かが宿る。
海玉が叫んだが、もう遅い。
「深名斗様! おやめ下さい!! どうか、おやめ下さい!!!」
海玉は喉に激痛を感じ、首元を抑えた。
「うぐっ!!!」
『声を出すな! 深名斗様がお楽しみなのだ!』
闇の神・侵偃《シンエン》は、深名斗に気づかれぬよう、海玉に向けて術を唱えた。
「……!!」
海玉は、声が出なくなってしまった。
深名斗はウルスィの首元に噛みついて、彼女の血を吸い始めた。
ゴク……
ゴク……
ゴク……ッ
「!!!」
声が出ない海玉は、術を唱える事も叶わない。
「ギャァーーーーーッ!!」
あまりの痛みに発狂し、ウルスィは叫ぶ。
深名斗は自身が完全に満足するまで、ウルスィの血をいつまでも吸い続けた。
フツヌシ達は体が動かない。
目の前で起こっている出来事に、嫌悪感と吐き気が襲う。
行為が終わると、深名斗は汚物でも捨てるように、彼女の体を地面へと叩きつけた。
ドンッ!!!
「ギャッ!」
「まあまあだな。半分は人間の味がするが、飲めない味ではない……また飲んでやってもいい」
ウルスィは、絶望感と深い傷を負わされた。
体の痛みと、心の痛み。
目には涙が溢れている。
無表情な顔つきは青白く生気を失い、虚ろで儚くなっていく。
世にも残酷な光景だった。
「おい、お前」
深名斗は海玉を指さした。
「大嘘つきめ! 何が妻だ! まっさらの生娘だったではないか! もう二度と海から出るな!」
「……」
「……返事も出来ぬか」
返事が出来ないわけではない。
声が出ないのだ。
深名斗は海玉に、言葉による呪いをかけた。
海玉は深名斗が生きている間は二度と、自由に海から出られない心と体になってしまった。
それでも海玉は杖を構え、深名斗に向けた。
怒りを通り越した狂気に、支配されている。
声が出ない事を完全に忘れ、死は覚悟の上で。
「生意気な! 身のほど知らずが!」
深名斗は海玉に、殺傷の術を向けようとした。
絶体絶命の危機。
本来ならば海玉は、この瞬間に殺されていた。
だが、そうはならなかった。
岩の神・フツヌシが叫んだのである。
「あるかいどーーーーー!」
ドオーン!!!
「ある、かい、どーーー!!」
ド、ド、ドーーーン!!!
フツヌシはしきりに揺光《アルカイド》と叫んでいる。
海玉から教えてもらっている、最強の術。
まだ練習中で、上手く使えた事は一度もない。
海玉の声が、頭の中をよぎる。
『揺光《アルカイド》が何故、最強の力なのかわかるか? フツヌシ』
『……わかんない』
『悪い神が、それより強い力を使えないからだ』
「揺光《アルカイド》!!!」
それは揺光《アルカイド》では無い。
だが揺光《アルカイド》に似た力だった。
天空から温かな、光る湯が降り注ぐ。
「ギャァ!!」
闇の神・侵偃《シンエン》は一瞬にして、灰になりながら燃え上がり、姿を消した。
今度は深名斗だけを狙い、フツヌシは叫ぶ。
「あるかいどーーーー!」
ザアーーーーッ!!!
「ああああっつ! 熱い!!」
湯は、深名斗の体に直撃した。
渇いた岩を、土を、潤わせ、包んでゆく。
本物の揺光《アルカイド》とは異なるため、大きなダメージは与えられないが、深名斗にショックを与え、怒りを消し去るには充分だった。
「……」
潤った岩から、土から、湯気が生まれる。
湯気は何もかもを隠すかのように、あたりを包み込んでゆく。
海玉はこの隙に、ウルスィと子供達を連れて、深名斗達の目の前から消え去った。
────小癪な!
「深名孤なのか? 奴の力だな!! 忌々しい」
深名斗はフツヌシを見た。
何という子供だ!
「お前、名を何という」
「フツヌシ」
最強神・深名斗は、フツヌシに興味が湧いた。
「フツヌシ。なぜ、あの嘘つきを庇った」
「海玉様は嘘つきじゃない。お師匠様だ!」
「そうか。なら師匠が殺されるのは辛いだろう。言う通りにすれば、お前の師匠は殺しはしない」
「……何をすればいいの?」
「高天原へ来い」
深名斗は、その場で黒い灰と化した侵偃《シンエン》に命じた。
「お前の体が元通りになったらこの子供を、高天原へ連れて行け。抵抗するならば、即刻殺せ」
……承知いたしました。
どこからともなく、侵偃《シンエン》の声がした。
死んではいなかったのだ。
フツヌシの心は再び、恐怖に包まれた。
深名斗は消え去り、侵偃《シンエン》の姿も見えないので、フツヌシはその場から逃げるように、走りながら海玉の家に帰った。
「ただいま……」
返事はない。
静かな室内は真っ暗である。
奥の広間に入ると、フツヌシの方を見ようともしない海玉がいた。
モモやカイはもう、家に帰っているようだ。
ウルスィも、家の中にはいない。
いくら声をかけても、海玉は反応しない。
いつもと様子がまるで違う。
ショックを受けたせいだろう。
フツヌシに感謝を伝えることも、今の状況を説明することもできず、ただただ項垂れ、海の奥深い場所に家を移し、海玉は出てこなくなった。
ここで彼が、フツヌシを気にかける行動をとっていれば、未来は変わったかもしれない。
フツヌシは、深名斗から高天原へ来いと言われた件を話したがったが、海玉は海の家に閉じ籠り、一切話を聞こうとしなかった。
そして、月日が過ぎた。
驚いたことに、町に滞在していたらしいウルスィが妊娠し、あっという間に子供を産んだ。
ウィアンである。
やがてウルスィが姿を消し、ウィアンは宿屋の主人に引き取られ、息子同然に育てられた。
スクスクと成長したウィアンは、フツヌシに懐くようになった。
そして何年か過ぎ、フツヌシがあの出来事を忘れそうになった頃……
侵偃《シンエン》が戻って来た。
約束通り、その場に居合わせたウィアンと共に、フツヌシはあっという間に高天原へと連れ去られた。
その直後に、最強神の反転が起こった。
「どこじゃ……!」
深名孤はキョロキョロと、あたりを見回した。
「海玉よ、フツヌシはどこへ行ったのじゃ?」
「存じません。気づいたら、いなくなっていました……」
その頃には海玉の頭が、かなり狂っていた。
「連れ去られたのでしょう。深名孤様が放置していたからです。全てはあなた様の責任です」
深名孤は耳を疑った。
「海玉よ、おぬし……どうしたのじゃ」
「お帰り下さい。何もお話する事はありません」
無責任にもほどがある。
その上海玉は、深名孤を決して、自身の屋敷に入れようとしなかった。
だが、深名孤は、海玉を怒らなかった。
「何があったのかは知らぬが、海玉よ。おぬし自身をあまり責めぬようにな。おぬしの言う通り、フツヌシの件は全て、ワシの責任じゃからのう」