桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

扉工房、再び

 はるか昔、道の神クナドが作った秘密の場所。

 岩時城を囲む、櫓のひとつ。

 その名は『扉工房』。

 最古の水神トワケから撤収するよう求められ、はや数百年…………。

 その場所では現在、一体の神と一人の少年が、向かい合っていた。

 入れ替わってしまった体にお互い、唖然としながら。

 クナドはついに、パニック状態になって叫び出した。

「どーーーーーーーしよ!!」

 紺野の体のまま、扉工房の中をウロウロとせわしなく歩き始めるクナド。

「…………」

 紺野は彼と自分を交互に見つめ、茫然と立ち尽くしたていた。

 目の前にいる、自分そっくりの人物は、道の神クナドなのだろうか。

 今の自分は…………

 肩の下まで黒髪が伸びている。

 白黒ツートン袴に大きな黒羽織を着て、黒樺の杖を持っている。

 この服って、よく見ると道の神クナドのものでは無いか。

 つまりクナドが自分に。

 自分がクナドになってしまった?

「…………和真、ちょっと君の頭についてるやつ、取ってみてくれない?」

「え? どうして」
「いいから!」

 しぶしぶ紺野はクナドに言われた通り、自分の頭についた羽冠を掴み、持ち上ようとした。

 だが冠は、頭から外れない。

「取れませんけど」

「マジで?」

 紺野姿のクナドは、クナド姿の紺野の頭についた羽冠を、ぎゅっと力を込めて外そうとした。

「うわっ! 痛い痛い痛い!」

 両手でいくら懸命に引っ張り、持ち上ようとしても、目の前にいる自分の頭についた羽冠は、びくともしない。

「どうして男の子の血を吸ったくらいで、こんな現象が起こるんだ?」

「────?!」

 『血を吸った』という言葉に潜む恐ろしさに、紺野はゾッとした。

『君も吸血行為、未経験だったんだね。それなのに僕は、君の初めてを奪ってしまった』

 さっきのクナドの言葉が蘇る。

 もしかして自分は、クナドに血を吸われてしまったのだろうか。

 血を吸われたということは、自分は死んでしまうのだろうか。

 血を吸われて体が入れ替わるという話は、どの本でも読んだことが無いけれど。

 ん?
 待てよ。

『血の交換は異性とじゃなきゃ』

 クナドは確か、こうも言っていた。

 つまり、こういうことか。

 彼は、血を吸う相手の性別を間違えたのだ。

 だから疑問を解消したくて、何度もこっちの性別を聞いて来たのか?

 …………何という事だ。

 夢なら早く醒めて欲しい。

 紺野は心からそう思った。

「ああああーーー! やばいやばいやばいやばい!!!」

 紺野の体をした道の神クナドは、頭を抱えながら絶叫し続けている。

 困惑しきったクナドの姿の紺野は、目の前で叫ぶ異様な男を、ただ見つめるしか出来なかった。

 クナドは、未知なるものに直面する事態に慣れていない。

 自身の些細な悩みに直面するたびに、様々な状況を想定した仮世界の『サンプル扉』を出して、進むべき道を選ぶだけで良かったからだ。

 中の様子を見るだけで十分。

 実際に入り込んでその世界を生きたり、体験したりする必要など無い。

 進むべき道は、のぞき見するだけで簡単に決める事ができる。

 そんな便利な方法を使って、クナドは自分に都合が良い道を、いつも即決する事が出来た。

 だがもう、どうあがいても、紺野の体では力が全く使えない。

 今までに出した扉をふと見つめ、クナドは急に、ある事を思いついた。

 扉工房の中をぐるりと歩き、彼は一番異質に見える『白い扉』を探しあてた。

「あった!」

 入らずに、扉ごしに中を覗き込む。

 紺野の顔をしたクナドが急に、表情を凍りつかせた。

 白い扉の中に、獅子カナメをはじめとする、四体の霊獣が見えたからである。

 拷問を受けた自分(クナド)の姿も。

 彼らが動かすガラガラ鳴る台車に乗せられ、意識を失った自分は、神社本殿の外へ運び出されようとしていた。

 その時、大地震が起きて────

 自分は、落ちたのだ。

 バタン。

 目を瞑り、急いで扉を閉めた。

「────思い出した」

 そうだ。あの時────

 獅子カナメが奇妙な形の刀剣に念を込め、三体のカワイ子ちゃん(霊獣)を召喚したのだ。

 白蛇のサワ。
 セキレイのサキ。
 狐のイズミ。

 サワには石に括り付けられ、サキには白い羽冠をかぶせられ、イズミには血を搾り取られ…………

 あの時、サキは言った。

「邪心を殺す『真実の輪(ベリタスワール)』です」

 と。

 どうして忘れていたのだろう。

「『真実の輪(ベリタスワール)』の呪い?」

「?」

 いきなりブツブツと独り言を始めたクナドを、紺野は黙って見つめていた。

 『呪い』という言葉に気味悪さを感じて、話しかける気すら起こらない。

 本人は気づいていないようだが、独り言が駄々洩れとなり、クナドの思考は全て明らかになった。
 
「これって体が入れ替わっても、呪いは解けないって事? あ、そっか。中身が僕のまま高天原へ帰ってしまえば、ミナ様に殺されるのって和真の体だけなのかな? そっか。和真の体が一旦死ねば、和真の魂も死ぬわけだから、その時に僕は、僕の体に戻れるのかも知れない。だったらもう、帰っちゃおうかな。あああもう…………思い通りにならない事なんて今まで、一度だって無かったのに!」

 焦りがMAXになったクナドの、本性の声はまだ続く。

「早く、早く、女の子の血が吸いたい。女の子に会いたい! どうして僕がこんな目に? 大地のせいだ。奴があの破魔矢を抜きさえしなければ、クスコはとうに死んでいた。さっさと高天原に帰れたはずなんだ。人間世界とは無縁でいられたのに!」

 上手く行かない事が嫌い。

 悩みも苦しみも大嫌い。

 扉さえ出せれば。

 腕を振り上げ、必死に叫ぶ。

 だが何も、思い通りにいかない。

「こんな体!」

 紺野の体を使って地団太を踏みながら、クナドはずっと嘆いている。

 聞き分けの無い子供みたいに。

「『こんな体』?」

 紺野の中で、激しい怒りがこみ上げた。

 手の中にある黒樺の杖を、自分の姿をしたクナドに向ける。

 頭の中は妙に冷ややかで、ツンとした痛みが走るようだった。

 目の前にいる哀れな神に向かって、紺野は言った。

「黙って聞いていれば…………」

 もう我慢ならない。

 思い通りにできる他者などいない。

 できたとしてもそれは、自分自身。

 だから欲望を抑え、現状を受け入れ、誰も傷つけぬよう接してきた。

 そんな紺野にとって、虫唾が走るようなクナドの軽薄さが、もう我慢ならなかった。

 この男を黙らせてやる。

「誰かを暴いて、弄んで楽しんで、利用しようとしたりするから、こういう事態に陥るんじゃないですか?」

 相手の心や体を好き勝手に、欲望を満たす為に傷つけ、奪おうとする。

「人は思い通りにならない。そんな事すらわからないなんて」

「わ! 和真、やめて!」

 黒樺の杖の先から、黒い炎が湧き起こった。

 その炎は大きく広がり、紺野の姿をしたクナドの体ごと取り囲んだ。

 ゴオッ! と音を立て、黒い炎が激しく燃え上がったかと思うと、一瞬のうちに小さくなり、ころんとした丸い形を作り上げた。

 やがて。

 今あった出来事が嘘のように炎は消え去り、美しい装飾が施された、銀色の小さな円鏡が、地面へと転がり落ちた。

「…………?」

 クナドの姿をした紺野は、杖をおろしてその円鏡を拾い上げ、透き通るようなその中を、覗き込んた。


 鏡の中には、小さな老紳士と話をしている、大地の姿が映っていた。
 

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