桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

血の記憶

 赤黒い液体が浮かび上がり、道の神クナドはその中へ、トプンと入り込んでいく。

天枢(ドゥーベ)

 誰かを導くために与えられた力をクナドは今、自分のためだけに使っている。

 紺野の体を使って天枢を発動できたことに、自分でも驚いてしまう。

 クナドは紺野和真の血に刻まれた、記憶の中へ。

 深く、深くへ、潜り込んでいく。

 赤、青、黄色、緑、紫、水色、オレンジ…………

 露木さくらの微笑みが、突然パッと現れた。

「…………やった! ははっ!」

 うまく力を発動できたのが嬉しくて、クナドは声を上げて笑い出した。

 どうやらクナドの体には、天枢(ドゥーベ)の力が染み込んでいるらしい。

『紺野君、あーそぼ!!』

「これは、愛するさくらちゃんの声…………だね」

 ベンチに座る和真に話しかけた彼女の笑顔は、クナドの目にもまぶしく映った。

「か~わいい♡」

 蛹から蝶へと変わっていくように、彼女はどんどん綺麗に、美しくなっていく。

 花火の色と同じように、彼女の浴衣が目まぐるしく変わってゆく。

『ごめんね、ちょっと今、読みかけの本が』

『お祭り終わっちゃうよ!!』

 強引で有無を言わさぬ少女の声。

『かくれんぼなら大丈夫でしょ? 鬼ごっこは紺野君、苦しそうだけど』

『…………』

 面倒なような、嬉しいような。

 和真の心が揺れ動く。

『ほら、みんな待ってる!』

 そしてすぐ、折れてしまう。

『…………はいはい』

 紺野和真は毎年欠かさず夏祭りに足を運び、祭りの企画に携わっていた。

 その一番の理由は?

 露木さくらの浴衣姿を、目に焼き付けておきたかったからだ。

 彼女の存在を感じるたびに、心も体もざわついて、甘やかにときめいてしまう。

「ぷっ、ははは! いいね和真!」

 最高!

 クナドは吹き出した。

 およそ純粋さとは無縁の衝動が、彼の原動力となっていたのである。

「僕が知りたいのって、こういう気持ちなんだよね」

 本能で、揺れ動く感情。

 幼少期から露木さくらに振り回され、囚われている紺野和真。

 完全に翻弄されっぱなし。

 だから寝ても覚めても、彼女の事で頭がいっぱいになる。

 紺野和真には露木さくら以外の女性が一人も、目に入らない。

「一途だね! 浮気心ゼロ? エロ心も? …………信じ難いな」

 どこの爺さんだよ、和真。

 クナドは心の中で、紺野にツッコミを入れた。

 本人が横にいたら、怒り狂っていたことだろう。

「……罪な女の子だね。和真の気持ちなんて知らずに」

 知られたくなくて和真が隠し通してきたわけだし、彼女が察するのは難しいか。

 呼吸が常に苦しい。

 少し動くだけで、ゼイゼイと肺が音を立てている。

「…………体が弱いんだね、和真は」
 
 岩時神社の夏祭り会場では、花火の音が体に響いてくる。

 ドドーン!
 
 足の方から震え始め、その時感じた色や香りまでも、鮮やかに蘇らせていく。

 ふいに、神社の拝殿のすぐ横に、良く知る少年の幼い姿が浮かび上がった。

 クナドは、目を見開く。

「大地だ」

 ────ドンッ!

 仲間達と鬼ごっこをして遊んでいた小さな大地が、和真にぶつかってしまったらしい。

 体勢を崩して、和真はベンチから転がり落ちた。

『あ、わりぃ!』

 大地は和真に謝った。

 10歳くらいの大地は、和真の腕をつかんで元の場所へと戻す。

『大丈夫だよ。怪我してない』

 血の記憶の中に大地が存在していることに、クナドは驚いた。

 和真が感じた畏怖の念と不快感が、体じゅうに広がってゆく。

 その何年か前に和真は偶然、見てしまったのである。

 大地が、桃色のドラゴンの姿に変身した姿を────

 誰にも打ち明けたことは無い。

『一緒に遊ぼうぜ』

『…………君は人間なの?』

 はじめて交わした会話はちぐはぐで、キャッチボールが出来ていない。

『半分な』

『……半分?』

『どうだっていいだろ、そんな事! お前もほら、早く来いよ!』

『わっ!』

 和真はグイっと引っ張られ、仲間の輪の中へ入ってゆく。

 誰もがなかなか破れない、紺野和真が作り出す『見えない壁』を、大地とさくらだけは軽々と超えてしまうようだ。


「さて。どこから入り込もうかな」

 本物の魂の中へ。

 運良く『さくらと和真が二人っきりの教室』へと、血の記憶が飛んでいく。

「何この記憶。超甘酸っぱい……」

 肩と肩がくっつきそうな距離で、紺野がさくらに勉強を教えている。

「ここだっ! 和真! ここで彼女に触れるんだ!」

 クナドは念を送り、和真の魂に干渉しようとした。

 だが。その力は空しく、通り過ぎてしまう。

「…………あれ。ダメか」

 彼女の甘やかな香りを、いつしかクナドが思いっきり吸い込んでいる。

 和真の心臓の音がうるさい。

 普段は聖人君子みたいに、澄ましているくせに。

 好きな人にはほんの少しでいいから近づきたいと、誰もが願う。

 冷静を装っているくせに、彼女の前では動揺が隠せないらしい。

 これで和真を、自由自在に操れる。

 自分の思い通りに。

 さあ、強く求めるんだ。

 強く…………

 紺野和真の正体は、やっぱり18歳のただの少年なのだから。

「こんなにドッキドッキしてるわけだし、邪念のひとつ持って当然」

 そうならないと出番が無い。

 和真はさくらからそっと離れ、距離を保つように心がけている。

 そんな涙ぐましい努力をしている和真に、彼女はちっとも気づいていない。

「…………和真~」

 クナドの眼差しは少しだけ、哀れみを含んだ温かいものへと変わった。

「大地から奪うんだよ、和真。目の前にこれだけチャンスが転がってる」


 血の記憶が廻る。


 雨の日。
 二人だけのバス停。


 彼女の白い首筋を至近距離でつい、見てしまう。

 和真が何かを言ったとたん、さくらは恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「今だよ和真! さぁ、彼女に気持ちを伝えて」

 クナドはイライラし始めた。

「ああもう! こう!」

 もう一度、クナドは強く念を送る。

 和真の手が少しだけ、さくらの手にチョッと触れた。

「────よしっ!」

 だが。

 和真は真っ赤になり、彼女に慌てて謝って、すぐに手を引っ込めてしまう。

「…………ヘタレが!」

 駄目だ。

 紺野和真に恋愛は、ハードルが高すぎる。

 これじゃどーにもならない。

 血の記憶はまた廻る。

 混雑したバスの中。

 思いがけず密着しそうになった彼女の、唇をつい見つめてしまう。

「ここ!!」

 クナドは思いっきり力を使い、和真の体に影響を与えようとした。

 しかし。

 バスの壁に手をつき、彼女が誰にも触れないように、守ってあげただけだった。

「────絶好のチャンスだったのに!!」

 バカ野郎!

 その綺麗な顔はただの飾りか?

 ここで使わずいつ使う?

 クナドには、紺野和真が理解できない。

 淡い淡い、恋心。

 実らせることを求めないなんて。

「…………ありえない」

 何故奪わない?

 これでは魂に入り込めない。

 独占欲は?

 嫉妬心は?

 執着心は?

 クナドは疑問でいっぱいになった。

 ドロドロとしていて当たり前。

 純粋さなどとは無縁の、感情という名の大海で、溺れ続ける羽目に陥って当然。

 深過ぎて泳ぎ切れず、必死でもがいて当たり前。

 そこでまた、血の記憶が蘇る。

 憧れと、怒りと、嫉妬と、醜い感情を、和真は大地から教わっていく。

 紺野和真に深い影響を与えたのは、年に一度の夏祭りで会う大地だった。

 さくらの心を奪ったのは、他でも無い大地である。

 彼女はいつだって、大地に会う時が一番わくわくしていて嬉しそうだ。

 気持ちがざわつく。

 大地は楽しそうに、さくらと二人で笑い合っている。

 さくらしか目に入らない少年が、自分以外にも、もう一人。

 気になって仕方がない。

 だが、お似合いの二人だ。

 遠い場所から紺野和真は、仲が良い二人の様子を見つめ続けていた。

 その光景を思い出すたび、血が炎のように燃える。

 手に入らなくても仕方ない。

 自分にひたすら言い聞かせる。

 クナドの表情は、何故か曇った。

「こんな気持ち…………僕にも昔は、あったかも知れないね」

 ただ純粋に想う和真の気持ちに、徐々に影響され始めてしまう。

 駆け引きでは無く、彼女を心から大切にしたい、という気持ちだ。

 やがてクナドの中で眠っていた記憶が、次々と呼び覚まされていく。

 何故、こんなに悲しいのだろう。

 こんなに苦しいのだろう。

 こんなに切ないのだろう。

 ────────あれ?

 気づかぬうちにクナドは、和真の血に宿る魂に、触れてしまった。

 その途端、涙が溢れた。

 いくつも、いくつも。

「君を、幸せにしてあげようと思ったのに…………」

 和真の魂は、ぴくりとも動かない。

「ホント、頑固だねぇ…………」

 苦笑いするしか無い。

 もう、和真を諦めるか?

 それよりも………

 和真と昔の自分を重ね、彼の魂に触れたせいで、呼び覚ましてしまった。


 クナド本人の過去の記憶を、全て。


 自分よりも相手に、幸せになって欲しいと願う気持ちまで────


< 67 / 160 >

この作品をシェア

pagetop