策士な御曹司は真摯に愛を乞う
「いきなりキスする君の方が、非常識だ」


鏑木さんが大きく顔を背け、苛立ちを抑えて素っ気なく言うと、彼女はふんと鼻を鳴らす。


「そう。鏑木夏芽の唇は、崇高だものね。あっさり庶民に与えてるのが残念だけど」

「ふざけるな」



鏑木さんの怒りの滲む声を聞きながら、私は手の中の万年筆を無意識に握りしめていた。


空気は険悪だけど、口調も会話も遠慮がない。
旧知の間柄のように感じる。
なんだろう……。
幼馴染? 同級生?
……もしかして、許嫁、とか……?


鏑木さんは、鏑木コンツェルン一族の御曹司だ。
三十一歳……いや、三十二歳という年齢からして、むしろ結婚していて当然のような気がするし、許嫁の存在はなにも不思議じゃない。


決まったお相手がいないと決めつけ、もしかして親しくなったんだろうか?なんて、思い上がった自分が痛い。
そんなわけがないと、自分でも一度は妄想を打ち消したのに、こうやって毎日面会に来てくれたりするから、分不相応にも浮かれてしまっていた。


彼は私がエスカレーターから落ちたのを、自分のせいだと思っている。
その場にこの女性が一緒にいたというのは、どういう事情かわからないけど、彼が私を気にして心配してくれるのも、ただの責任、謝罪の意味しかないだろう。


「まあ、今日のところは帰るわ」


彼女は眉尻を上げて、口元を歪めて笑った。
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