策士な御曹司は真摯に愛を乞う
「囚われのお姫様に、伝えておいてちょうだい。今はゆっくり療養して。元気になった頃に、また会いに来るわ、って」


そう言って、彼女はくるりと踵を返した。


「多香子。何度言えばわかる。もう美雨の前に姿を現すな」

「あなたこそ。いつまでも女々しく縋ってるなんて、らしくないわよ、夏芽」


辛辣に言い放ち、エレベーターホールの方へ歩き出す彼女の背を追って、鏑木さんは大きな歩幅でサンルームから出ていった。


私は、無人のサンルームに、背を向けた。
足音を立てないように、だけど急ぎ足で、廊下を引き返す。
病室に戻ってくると急いでドアを閉め、そこに凭れかかりながら低い天井を見上げた。


意図せずして、立ち聞きしてしまった会話。
私を間に挟んで、二人がなにを言っているのか、全然理解できなかった。
でも、どうにも不穏な空気が漂っていて、うすら寒い気分になる。
一年ほどの記憶が欠落しているという現実に、初めて強い不安を覚えた。


最初、私は、自分を否定されてるみたいだと思ったけど、そうじゃない。
自分のことがわからなくて、思考や感覚にも自信を持てなくなる。
そうして、自分自身が信じられなくなって、ここに存在していることさえ不安になる――。


私は、二人とどんな関わりを持っていたんだろう?
知りたいけど、知るのが怖い。
私は無意識に両肘を抱え込んで、身震いした。
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