【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
「何が?」

「分からない。でも、ごめん。色々と軽く見てた気がして」

「別にいいよ、他人なんだもん。仕方がないことだよ。話さなかったのも、私の方だし」

「でも…」

 言いかけたところで、葵が真剣な顔つきで、ドリアをすくったスプーンを僕の口の中に突っ込んだ。
 あわや喉まで届きそうなそれによって遮られると、

「私が勝手に誘って、でもまことは断らなかった。私、嬉しかったんだよ?」

 と。

「遠いし、無関係だし、一方的に「着いてこい」なんて、普通断らない? でも、まことは違った。それだけで、十分」

「葵…」

「今までは、いつになるか分からないようなものだったから。もう、数日後にはそこに行ける。会える。だから、変な気とか使わなくていい。私をただ、そこに連れて行ってくれたらいい」

「また……随分な言い草だ」

「根無し草な気分だったからね。今は、蕾くらい付いてる気がする」

「随分と詩的な表現だ。桐島さんと気が合うんじゃない?」

 冗談めかして言ってはみたけれど。
 十分、とは。過大評価もいいところだ。
 知っていたのは桐島さん。見つけたのは桐島さん。決断させたのも、桐島さん。

 あの人がいなかったら、僕には何も出来ていない。
 いや、記憶堂なるものすら存在していなかったら、きっと葵のような人の役に立てるなんて——と、今までの僕なら卑屈になっていたことだろう。

 しかし今は、「十分」「嬉しかった」と認められて、心底喜んでいる自分がいる。
 高宮葵という一人の女の子の感謝を、今の僕なら素直に受け止められる。

「ありがとう、葵」

「別に。それと、やっと名前呼んだね」

「え、やっと?」

「うん。脳みそ辿ってみな、大学に行く前に決めたのに、まだ一回も名前、呼んでないから」

「そ…んなことはありそうだ。いや、女の子の名前を呼ぶのって、何か恥ずかしいでしょ?」

「自然に勝手に自分から呼んでおいて何を言ってるんだか。ピザもらい」

「あ、こら」

 躊躇うことなく手を伸ばしてきて、無造作に最後の一切れを頂いていく葵。
 咄嗟に伸ばした手は空を切って、それでも自分の空腹はまだあまり満たされていないと後を追うのだが、

「ふふ。ドリア一口の代償だよ」

 ふと見せられた柔らかな笑顔に魅せられて、僕の手は、それ以上の追随をしようとは思わなかった。
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