医務室の魔女と魔術学院狂騒ディズ
第十二話 光があれば闇が
「……というわけで、女子寮の影事件は、一応解決したと思います。これで、寝不足の生徒も減るんじゃないかと」
 そう言ってフィオーネは、べルギウスとアンヌへの報告を締めくくった。
 結局、ふたりと顔を合わせることができたのは放課後になってからだった。べルギウスはエミールが“クピドの矢”という魔術道具で男子カップルを量産させた事件の対応に追われていたし、アンヌはダリウスたちの女装を手伝ったということで寮母さんにたっぷりと叱られていたのだ。ちなみに、ダリウスたちは寮で謹慎中だ。
「見回ってみたが、確かに影の存在は確認できなかった。……あんなものが自然発生したなんて話は聞いたことがないから、引き続き調査は必要だろうが」
 げっそりと疲れ果てた様子でべルギウスは言う。いつも疲れているけれど、朝と比べると一気に五歳くらい年を取ったように見えて、フィオーネは気の毒になる。
「あの、気休め程度ですけどこれ、疲労回復効果のあるお茶です」
 特別にブレンドしたお茶をしっかりとポットで煮出し、カップに注いでべルギウスに差し出した。その茶葉を袋に小分けにしたものも、瓶につめて渡す。
「すまない。いただくとする」
「私にももらえるかしら」
 言われて、アンヌの前にも同じものを出した。
 フィオーネは、アンヌにも同情していた。きっと面白がって女装の手伝いをしたのだろうけれど、それはダリウスたちが頼んだからであって、さらに元々はフィオーネが彼らを巻き込んだのだから。
「まさか、この年齢になって怒られるとは思わなかったわ。……次は女子寮に入ったりしないよう、よく注意しておかなくちゃ」
 お茶を飲み干すと、アンヌの表情はすっかり明るくなった。そして、その発言からまったく懲りていないことがわかる。
「では、もう戻ることにする。また明日の朝」
 席を立ったべルギウスは、名残惜しそうに丸まって眠るカイザァを見た。きっとカイザァとたわむれて癒やされたかったのだろうけれど、カイザァも疲れたらしくフィオーネと医務室に戻ってきてから、ずっととろとろと眠っている。フィオーネが戦っている間、ずっと上着の中にいたから苦しかったのもあるかもしれない。
「じゃあ、私もお暇するわ」
「はい。お疲れ様です」
 ふたりを送り出すと、フィオーネは椅子にどっかりと腰かけて目を閉じた。走ったり叫んだり全力で物を投げたり、日頃しないことをしたせいでヘトヘトだった。おまけに、心臓はまだ落ち着いていない気がする。
(今日は薬草入りのぬるいお風呂にゆっくり浸かって、お香を焚いてベッドに入らなくちゃダメかな)
 頭の中でつい休むことを考えてしまうけれど、まだすることがある。特に、薬棚の点検と必要な薬草の注文書の作成は、なるべく早く済ませておきたい。
 軟膏などだけ残し、液状の薬の多くは今日ほとんど影のオバケを退治するために投げつけてしまったから。
 あと少し座っていたいという気持ちを振り切り、フィオーネが目を開けると、そこにはダリウス親衛隊の残党、横分けとパッツンがいた。
「……どうかした?」
 疲れてるのに勘弁してよと思いつつも、フィオーネは二人に声をかけた。「用がないなら帰って」という言葉も付け足そうと思ったけれど、これまでとはちがい二人の雰囲気に険がなかったため、言わずにおいた。
「あの……今日はありがとうございました」
 意を決したというように横分けが言うと、パッツンと一緒になってペコリと頭を下げた。その殊勝な態度に驚いて、フィオーネは夢でも見ているのではないかと目をこすった。それに、何に対してお礼を言われているのかわからない。
「女子寮の問題を解決してくださったと聞きましたので」
「それに、一年生たちを守って戦ってくださったとも」
 キョトンとするフィオーネに、ふたりはそう言い足した。
「そのことか。ううん、私はすべきことをしただけだし」
 ようやく理解したけれど、彼女たちの態度の変化にはまだ気持ちが追いつかない。
 まるで憑き物が落ちたかのようだ。それは、本人たちも思っていることらしい。
「こんなことを言うのはすごく虫が良すぎると思うんですけど、私たち、今までどうかしていたんです」
「どうしてあなたにあんなふうに辛く当たっていたんだろうって、今は不思議でならないんです……」
 戸惑い、うろたえた様子で横分けもパッツンも言う。その内容だけ聞けば、何を都合のいいことを……と思うだろう。でも、顔つきも話し方もちがっているのを目の当たりにしているフィオーネは、彼女たちの言うことを信じられた。
「まあ、もうあんな態度をとらないでいてくれるならいいや。それと、下の学年の子たちが医務室を怖がるような噂を流さないでくれるなら」
 フィオーネがそう言って微笑むと、二人は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あの、これ……今日のお礼とこれまでのお詫びを兼ねて……」
 ひとしきり頭を下げると、そう言ってきれいな箱をフィオーネに差し出した。
「……チョコレートだ」
 手のひらに乗るほどの大きさの高級感ただよう箱を開けると、中にはツヤツヤしたチョコレートが並んでいた。
「月に一度、街に行く許可が出たときにみんな買いに行く人気のお店のものなんです」
「もらっていいの? あなたたちの秘蔵のとかなんじゃないの?」
「いいんです。……もし気に入ったら、今度の外出のときまた買ってきてあげます」
「あっ……ありがとう」
 お礼とお詫びの品を渡すという目的を達成できたからか、横分けとパッツンはそそくさと医務室を出て行ってしまった。
 チョコレートと一緒にポツリと取り残され、フィオーネは呆然としつつ、とりあえずいろいろなことが片づいたのだろうと安堵の息をついた。
 でも、今日はまだゆっくりさせてもらえないらしい。
「今度は何?」
 窓のほうから不審な音がして、フィオーネは立ち上がった。ダリウスかと思ったけれど、たぶんちがうだろう。アンヌ先生のことすら叱りつける寮母さんが、そんなに簡単に謹慎中の生徒の脱走を許すはずがない。
 だから、窓の外にいるのはほかの誰かだ。
「やっほー」
「……エミールか」
 窓を開けると、その外にはエミールがしゃがみこんでいた。
「何でドアから入らないの?」
「僕、今は追われる身だから」
 てへぺろっと可愛く舌を出しつつ、エミールは窓枠を乗り越え、医務室に入ってくる。スカートからのぞく足に一瞬目のやり場に困ったフィオーネだったけれど、彼が一応男子であることを思い出した。
 そして、今日のダリウスたちの悲惨な姿を頭に浮かべ、改めてエミールの女装の完成度の高さに感動する。
「ねぇ、何で男子カップルを量産したの? 先生に怒られるってわかってるのに」
 とがめるつもりはなく、ただ素朴な疑問としてフィオーネは尋ねた。女子寮の後片付けで忙しくて騒動を目にしていないから、わりと気楽に聞けたのかもしれない。
「んー? 娯楽を提供しただけだよ。たまにこういう盛り上がることをしてさ、みんなのストレスを発散させてあげなきゃと思って」
 窓枠に腰かけて足をプラプラさせながら、楽しげにエミールは言う。そんなことを言って本当は自分が面白いじゃないかと思うけれど、彼がダリウスや学院の雰囲気を気にかけていたことも思い出す。
「大義があるのは結構だけど、あんまり騒動起こしちゃダメだよ。べルギウス先生、死んじゃうよ?」
 一応、医務室の先生として注意しておく。でも、エミールは笑っただけだ。
「あ、それ。人気の店のチョコだ。どうしたの?」
 フィオーネの手の中の小箱に気づくと、エミールはひょいと一粒つまんで食べてしまった。
「横分けとパッツンにもらった。女子寮で噂になってた影を退治したから、そのお礼とこれまでのお詫びだって。……何か、憑き物が落ちたみたいになってた」
「ふーん。……何も変なものは入ってないから、食べても大丈夫だよ」
 どうやら勝手に食べたわけではなく、毒味をしてくれたらしい。
 安心して、フィオーネも一粒つまむ。小さな粒なのに、その中に上品な甘さがつまっていて、口の中の温度であっという間にとけてしまう。その美味しさに、フィオーネは目を見開いた。
「フィオちゃん先生、おつかれ。僕も影の噂は聞いてたんだけど、女子寮のことだから手出ししにくくて……これで、女子たちの雰囲気は大分よくなるんじゃないかな」
 エミールは二粒めに手を伸ばしながら、笑顔でフィオーネをねぎらった。
「やっぱり、あの子たちの雰囲気が変わったのって、影がいなくなったからだったの……」
「確かにフィオちゃん先生に攻撃的だったのは影の影響があったかもしらないけど、何でもああいうもののせいにしちゃうのはダメだと思うな。どうせ、『変な者に心を支配されていたんです。正気にもどったら、何が何やら……』みたいなこと言ってたんでしょ? 自分の中の悪意を正当化するのはダメだけど、責任転嫁はもっとダメだ」
 影のオバケのせいにして、フィオーネはまるっと彼女たちのことを許そうとしていた。でも、プリプリ怒るエミールの言葉に、まだ気を抜けないのだなと思い直す。
 できれば彼女たちとも仲良くしたいけれど、自分の中の悪いところを何かのせいにしてしまえる人は、きっとまた簡単に同じことを繰り返すから。うんと反省しなければ、人はなかなか変われない。
「でもまあ、どこかに悪意とかを増幅させるような装置か仕組みが存在してるんじゃないかとは思うんだよね……」
 ゆっくりとチョコレートを味わっていたエミールが、考え込むようにそう言った。その意味深な言葉に、フィオーネはべルギウスが言っていたことを思い出す。
「そういえばべルギウス先生も、あんなものが自然発生するわけないって言ってた。……何かあるの?」
 裏山と寮の空気が似通っていることが、フィオーネの中で引っかかっていた。その嫌な共通点は、あの影と絶対に無関係ではないはずだ。
「んー……光があれば闇があり、好きな人がいれば嫌な人もいるってことかな。今のところ、僕の口から話せるのはそのくらい」
 フィオーネの問いにエミールは悩むそぶりを見せたけれど、結局そう言って曖昧に笑った。
 何か核心に触れようとしたのに、はぐらかされた気がする。でもそれが、フィオーネを拒絶したわけではないこともわかった。
「フィオちゃん先生が学院に来てくれて、すごく感謝してるんだよ。フィオちゃん先生の存在は、確実に学院の空気を良くしてくれてる。……自覚ないだろうけどね。だから僕は、フィオちゃん先生の味方だよ。今はそれだけ覚えていて」
 エミールはくしゃくしゃとフィオーネの頭を撫でると、サッとまた窓から出て行ってしまった。頭に触れた手の感触は思いのほか男っぽくて、フィオーネは不覚にもドキッとしてしまった。……相手は禁断の美少女(だが男だ)なのに!
「一体、この学院には何があるんだろう……」
 エミールに対するドキドキによって一瞬忘れかけていたけれど、フィオーネの胸にはそんな疑問が、ポツリとシミのように残った。
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