あなたのそばにいさせて


 ダイニングテーブルの上に、具を追加されたピザ、手作りソースのカルボナーラ、サラダが並んだ。ビールと赤ワインもある。
「うわあ……おいしそう」
 お腹が空いていることを差し引いても、おいしそうな料理だった。

「橙子さんは、ワインでいいですか?」
 変わらず、課長は彼女に気を遣う。
 彼女は苦笑して頷き、私達を手の平で指し示す。
 課長はそれを見て、私達のビールがなくなっていることに気付いたらしい。
「2人共、なに飲む?」
「俺は引き続きビールでお願いしまっす」
「私もビールで」
 お酒は弱くはない。でも、今日ここでは酔ってはいけない気がする。

 一緒に水もお願いしたら、彼女が冷蔵庫からハーブウォーターを持ってきてくれた。お手製らしく、ガラスのポットにハーブが入っている。レモンとミントの香りと味で、疲れた体がスッキリするようだった。

「これ、おいしいです」
 そう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「カルボナーラもおいしいです。ソースは手作りですか?」
 彼女は頷いた。
「豆乳を、使いました」
 かすれ気味だけど、綺麗な声。
 課長が、また驚いた顔で彼女を見ている。
「豆乳!だからサッパリ味なんですね。私も今度からそうしよう」
 私が言うと、彼女は微笑む。
 そして、まだ凝視している課長をチラッと見ると、困ったように笑った。
 それを見て、課長は我に帰る。
「すいません……」
 どうして謝っているのかわからないけど、彼女にはわかるようで、首を横に振っていた。
 しゅんとしちゃって、ワンコの耳と尻尾が垂れているみたい。
 赤木が、私の口マネをする。
「今度からそうしよう、って、藤枝カルボナーラ作れんの?」
「失礼な!レシピ見ればできるし!」
「見ないとできないんだろ?さっき橙子さんはなんも見ないで作ってたぞ」
「いいでしょ別に。そこまで料理できないもん。ていうか赤木、どさくさ紛れに『橙子さん』て!」
 そこは課長も黙ってない。
「勝手に名前を呼ぶな」
「いーじゃないすか、その方が呼びやすいし。課長と同じですよ」
「一緒にするな」
 課長は不機嫌丸出しでワインを飲む。
「えー、課長ヤキモチですか?」
 赤木がニヤニヤして言ったら、図星だったらしい課長はむせてしまった。
 隣にいる彼女が背中をさすっている。
「いいですよ。名前で」
 彼女は微笑んで赤木に言った。
「やった、ご本人の許可出ましたからね、課長」
 課長はむせながら、彼女を振り返る。
 彼女は、微笑んで頷いた。
 いいなあ、私も『橙子さん』て呼びたいなあ、と思っていたら、彼女が微笑みを私にも向ける。
「藤枝さんも。良かったら」
「えっ、いいんですか?じゃあ、私も遥って呼んでください、橙子さん!」
 橙子さんは頷いてくれた。
「遥さん、よろしくお願いします」
「あっ、あの、こちらこそよろしくお願いします」
 橙子さんに笑顔で呼ばれると、なんだか恥ずかしい。
「なんで照れてんの」
 赤木が、私までからかう。
「赤木、うるさい」
「じゃあ、俺も『優太くん』て呼んでもらおっかなー」
「赤木は赤木で十分だよ!」
「えー。じゃーあー『赤木くん』でどうですか?」
 橙子さんは、曖昧に笑って赤木をかわした。
 多分、隣の課長が捨てられた仔犬のような目で橙子さんを見ていたからだと思う。
 課長は『元木さん』なのに、赤木が『赤木くん』とか『優太くん』と呼ばれるなんて、課長が許せるはずがない。

 あれ?そういえば、どうして課長は『元木さん』なんだろう。
 一緒に住んでるし、恋人なんだよね。

「藤枝、カルボナーラのレシピ教えてもらえば?」
 赤木が言ってくる。
 呼び方の件は、とりあえずもういいらしい。
「え、できればそうしたいけど。でもご迷惑じゃ……」
 橙子さんを見ると、苦笑している。
「全然、迷惑なんかじゃありませんけど、教えるほどのものじゃなくて……分量は適当だし」
「適当って、本当に料理上手じゃないとできませんよね。凄いなあ、いいなあ課長」
 えっ?という顔で、橙子さんが私を見る。
「だって、このカルボナーラみたいなおいしいご飯を毎日作ってもらってるんですよね?」
 課長に聞くと、照れながら答える。
「あ、ああ、そうだな……」
「橙子さん、他にはどんなのが得意なんですか?」
「あの……得意とか、そういうのは……あんまりなくて……」
 橙子さんは、恥ずかしそうにうつむいてしまう。
 可愛い。
 課長はそんな橙子さんを見て、顔を赤くする。
「橙子さんのご飯は、なんでもおいしいですよ」
 そう言うと、2人で照れている。

 凄く初々しくて可愛い。
 一緒に住むくらいの仲なのに、付き合いたてのカップルみたい。
 見ているこっちが照れてしまう。

「ほほえましすぎて、こっちが照れますよ」
 赤木が、本当に照れくさそうに言うと、橙子さんは顔を赤くした。
 課長も真っ赤になって、赤木をにらむ。
「茶化すな」
「あはは、すいません。なんか初々しくて。一緒に住んで、どんくらいですか?始めたばっかりって訳じゃないですよね」
「……3年」
 ブスッとした課長が答える。

 3年、というと、課長が葉山建設からウチの会社に来た頃からだ。

 課長の転職と、橙子さんとの同棲。

 なにか、関係がありそうなんだけど。
 聞かれたくないから、プライベートは鉄壁で守ってるんだよね。

 初々しい2人を前に、詮索するのはやめよう、と思った。



< 22 / 46 >

この作品をシェア

pagetop