あなたのそばにいさせて


 白い顔が、隙間から覗く。
 眩しそうに眉根を寄せたその人は、私達を見て驚いていた。

 ちょっと茶色がかって見えるストレートボブ。おそらく地毛だろう。綺麗に伸ばされている。
 私と同じ158cmくらいの背丈。
 ぱっちりした目の、綺麗な人だった。
 なによりも、消えてしまいそうな、儚げな雰囲気が、印象的だった。

 課長が、素早く駆け寄る。
「橙子さん、大丈夫ですか?もしかしてうるさかったですか?」
 ちょっとオロオロしている。
 彼女は、首を横に振る。
 そして、私と赤木をチラッと見た。
「あ、あいつらは、同じ会社の部下で、偶然通りかかって橙子さんを助けてくれたんです」
 『ああ』と思い出した表情で、彼女は私達に頭を下げた。
「台風で電車が止まったから、しばらく家にいるように言ったんですけど、良かったですか?」
 彼女は頷いて、私達の方を向いた。
「……ありがとう、ございました」
 かすれた、か細い声で、ゆっくりと、彼女は言った。

 課長が固まっていた。
 凄く驚いた表情で、彼女を凝視している。

 彼女は、課長を見て、ちょっとはにかんだ。

 凄く、可愛かった。
 見惚れてしまうほど。

「お邪魔してます。赤木と申します。元木課長にはいつもお世話になってます」
 赤木が立ち上がって頭を下げた。
 私も慌てて立ち上がる。
「藤枝です。私も課長にはいつもお世話になっております」
 私が言うと、彼女は柔らかく微笑んだ。
「……北山、橙子です」
 とてもゆっくりと、一語一語丁寧に話す。
「ご迷惑を、おかけして、すみませんでした」
「あっいえ、とんでもない。私達は声をかけただけなので。すぐに課長が来ましたし」
 私は同意を得ようと課長を見た。

 課長は、さっきと同じ、驚いた表情で、まだ彼女を凝視している。

 私の視線を追って、彼女が課長を見上げる。
「……元木さん」
 彼女は課長をそう呼んで、課長の腕をつつく。

 課長は、その手を取って、引っ張った。
 彼女は引っ張られて、私からは見えなくなる。
 正確に言うと、課長が彼女を抱きしめている。

 私は驚いてしまった。どうしたらいいかわからない。
 目の前でいきなりラブシーンを見せられて、冷静でいられる訳がない。
 赤木もポカンとしていたけど、冷静になるのはやっぱり私よりも早かった。
「……ええっと……藤枝、電車」
「えっ?」
「電車、まだ動いてないか?」
「えっ、あ、ああ、み、見てみる!」
 私は慌ててスマホを取り出して、台風情報を見る。
 でも、見なくてもわかる。
 外はまだ、雨と風が暴れまくっていて、とても電車が動いているとは思えない。

 あたふたと2人で台風情報を調べていたら、彼女が課長を押し戻した。
 課長はしばらく彼女を見つめていて、彼女がちょっと怒った顔をすると、ようやく私達の方を向いた。
「ああ、悪いな……」
 悪い、なんて思ってないのはすぐにわかる。
 早く帰れ、と顔に書いてあるようだ。
「す、すみません、電車がまだ……」
 私達だってできればすぐに帰りたいけど、そうできないのだ。
「……いいんですよ」
 彼女が、また柔らかく微笑む。
「……赤木さん、は、太田フーズの、担当の方ですよね……?」
 赤木が、ピンと背中を伸ばす。
「はい。この度は大変お世話になりました」
 彼女が頭を下げた。
「こちらこそ、お世話になりました」
「おかげさまで、今日のオープンも無事終わりまして、この後2号店3号店と続きそうです」
 赤木は、何故かテレながら話す。

 きっと、彼女の笑顔にやられているに違いない。
 私も、やられてしまいそうだ。
 凄く、素敵な笑顔だった。
 儚げで、それでいて芯の強さを感じる。
 柔らかくて、暖かい微笑み。

「橙子さん、まだ寝てなくて大丈夫ですか?なにかあったかいの、飲みますか?」
 課長は、彼女にぴったりと寄り添っている。
 なんだか、まるで飼い犬みたい。ちょっと可愛い。
 彼女は頷いて、キッチンに向かった。飲み物は自分で入れるようだ。
 課長は彼女についていく。

 ……ぶんぶんと振っている尻尾が見えそう。

「今、夕飯を用意しようかと思ってたんですけど、橙子さん食べられますか?」
 彼女は頷きながら戸棚を開けて、何かを探しているようだ。
「あ、カップは今あいつらに出してて」
 課長が言うと、微笑んで湯呑みを出す。
 それから、冷蔵庫の引き出しを開けた。
 彼女が開けた引き出しは冷凍室だったようで、そこからピザを出した。
 課長がそれを受け取る。
「いいですね。でも4人で足りるかな」
 課長がそう呟くと、彼女は冷蔵庫の隣の棚を開けた。スパゲティの麺を取り出して課長に見せる。
「わかりました。橙子さんは、まだ休んでてください。俺やりますから」
 課長は心配そうに言って、またオロオロし出した。
 彼女は、首を横に振って、微笑んだ。
 課長はまだ心配そうだったけど、
「じゃあ、無理しないでくださいね」
 と、引き下がった。
 そして、2人は微笑み合って、それぞれに料理を始めた。

 なんだか凄くいい雰囲気。
 きっと、毎日こうして過ごしているんだ、ということがわかる。

 私と赤木は、手持ち無沙汰でキッチンの2人を見ていた。
 それに気が付いた彼女が、冷蔵庫から缶ビールを出して課長に渡す。
 私達に出すように、と視線を送った。
 課長は、そのビールを持ってこちらに来る。
「座ってていいぞ。2人共、今日は働いたんだからゆっくりしてろ」
 こんなに優しく、課長に言われたのは初めてだった。
 赤木も、同じことを思ったらしい。
「課長……今日は優しいっすね」
 ニヤッと笑う。
 課長は平然と言った。
「ビールは1本で良かったな。はい、藤枝」
 私にだけビールをくれた。
 赤木は『あっ!』となって、
「かちょ〜、課長はいつも優しいです〜」
 と、猫撫で声で言った。
 課長は、はいはい、と赤木にもビールを渡す。

 そしてキッチンへ戻って、料理を続ける。
 ピザに具を散らしながら、彼女の様子を見て、上の棚にある物を取ってあげたり、鍋に水を張ったり、とにかくフォローしていた。

 課長だって疲れているはずなのに、そんなのどこかへいってしまったようだ。
 彼女がいるから、なんだろうな。

 私と赤木はリビングから2人の様子を見ていた。
「元木コレクション、増えたか?」
 赤木がニヤニヤしているので、私はにこにこと答えた。
「うん、ものすごく。永久保存版がいっぱいできそうだよ」
「そっか」
 あっさりと返事して、赤木はキッチンに目を向ける。
「あの2人、いい感じなんだけど、なーんか……」
「なに?」
「んー、なんか、なんかなあ……」
 ぶつぶつ言っている。なんだと言うんだろう。

 それにしても。
「課長って、ほんと、北山さんが大好きなんだね……」
 私達の視線の先には、嬉々として彼女を気遣う課長の姿がある。
「だから言ったろ?まあ、あそこまでメロメロだとは思わなかったけどな」
「ワンコの尻尾が見えるようだよ」
「課長のイメージ変わったんじゃねえの?」
「変わった。でもいい方にね。こんなこと言っていいのかわかんないけど、可愛い」
「幻滅はしねえの?」
「しないよ。仕事はクールでプライベートは甘々っていう、ギャップがいいんじゃない」
 赤木は苦笑した。
「藤枝は、結局課長ならなんでもいいのな」
「だって、ファンだし」
「そっか」
 赤木はクックッと笑っている。
 なにがそんなにおかしいのかと、ちょっとムッとしたけど、気にせずに課長と彼女を見ていることにした。



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