その上司、俺様につき!
一息つこうとして席を立ち上がると、唸るような久喜さんの声が聞こえた。
「……遠藤、もう帰れ」
突然のことに戸惑ってしまう。
「え、でも」
もう少し、区切りのいいところまで作業がしたかった。
「あと少しなんです」
「―――帰れ」
私の顔も見ずに書類に目を落としたまますげなく対応され、さすがにカチンときてしまった。
「ですが、これが終われば、来週には新しい仕事も手伝えますし!」
強めの語尾で反論を試みる。
「……もう終わるのか?」
やっと書類から顔を上げ、久喜さんが私の顔を見つめる。
「は、はい」
予想外に彼が驚きの声を上げたので、何だかおかしくなってしまった。
「正式には終わったではなく、終わりそうな状態ですが。明日の朝には、完了する見込みです」
いつもやられっぱなしだけど、この時ばかりは久喜さんの鼻を明かせた感じがして、内心ニヤニヤが止まらない。
―――なのに。
「……そんなに仕事がしたいなら、明日の朝、早く出てきて作業しろ」
ふわふわとした弾む気持ちを、目の前でぐしゃっと握り潰された気分だ。
「で、でも!」
「これは急ぎの仕事ではない」
見事なまでにはっきり、きっぱりと言われてしまった。
こうなってしまったら、もう言い返せない。
これ以上は「意見」ではなく、ただの「口答え」になってしまう。
(暖簾に腕押しって言うんだっけ、こういう、手応えがない対応のこと……)
「わかりました。明日、早く出ることにします!」
私は精一杯反抗的な声で久喜さんにそう告げると、大げさに音を立てて帰り仕度をした。
足音荒く部屋を出ると、怒りを廊下のカーペットにぶつけるように、一歩一歩を大げさに踏み出す。
そして、イライラしたままエレベーターに乗り、ロッカールームに向かった。
ほとんど社内の人が退社した時間帯で、本当によかったとつくづく思う。
なぜなら、エレベーター内の鏡に映る自分の顔に、自分でもギョッとしてしまったからだ。
(朝から10歳ぐらい、年を取ったかも……)
かろうじてメイクは保っているが、肌はガサガサ。
目の下はマスカラが滲んで、うっすらと黒かった。
ただでさえ社内では、「敏腕役員の補佐に抜擢された、元営業部の問題児」と好奇の目で見られている。
(こんなやつれ果てた顔で歩いてたら、またおかしな噂を流されちゃう……!)
明日からは昼に一度、しっかりメイク直しの時間をとろうと心に決め、エレベーターを降りた。
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