その上司、俺様につき!
「行ってもいいかどうかではなく、君が来たいか来たくないかだ」
久喜さんは不思議そうに首を傾げると、静かな声でそう言った。
何を考えているのかいまいち掴めないし、私に対する風当たりだけはやたら強いし、ただそこに立っているだけで、どんな時もうんざりするくらいイケメンな久喜さん。
(あの時は、この野郎!としか思わなかったのに……)
彼の言葉を、今までとはまるで違う思いで受け止めている自分に気づく。
「私、私は……」
自覚してしまうほど熱くなった頬。
うなじまで熱を持っているのが自分でもわかる。
この感情が何なのか、はっきりとした名前が今はまだ言えなくても、体は正直に動き出していた。
「―――行きます!」
湧き上がる思いを口にした途端、全身が鎖から解き放たれたかのような、すがすがしい解放感と清涼感が私を包み込む。
「行き、たいです……」
バッグのベルトを握りしめ、素直な気持ちを告白した。
(そうか……私、この人のそばにいたいんだ。この人のことが、もっと知りたいんだ―――)
この思いを単純に”憧れ”や”恋”という言葉に収めていいのか、正直まだわからない。
でも、彼が私がそばにいることを認めてくれるなら、どこまでもついていきたい気持ちでいっぱいになる。
私は久喜さんの隣に並ぶと改めて尋ねる。
「で、どこに連れて行ってくれるんですか?」
同行する意思を告げた私に、彼は安心したように頷いた。
そして、顎をくいっとマンションの方向に向ける。
「このマンションだ」
「……お店が中に入ってるんですか?」
「店? 店など何も入っていない」
お互いにハテナの浮かんだ顔で、相手の反応を窺っている。
「お、お店じゃないんですか?」
先に沈黙に耐え兼ねたのは私の方だった。
どこに連行されるのかとおそるおそる聞いてみると、とんでもない答えが返ってきた。
「ああ。これから君を招待するのは俺の家だ」
「い、え……?」
久喜善人。彼は私を驚かせる天才なのかもしれない。
「安心しろ、下ごしらえは済ませてある。すぐに食事ができる状態だぞ」
そう言って、鼻歌でも口ずさみそうな軽い足取りで、マンションに私を案内したのだった。
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