シンデレラの網膜記憶~魔法都市香港にようこそ
 祖国へ帰りたいタイセイと、中国で家族を養わなければならない追ってたちとの深夜の追走劇は、当然壮絶の極みとなった。タイセイも、道を選んでいる余裕はない。前に空いているスペースがあれば、とにかく突っ込んでいき、ナビが示す日本総領事館の方向を目指して疾走した。
実は香港警察も、交通違反オンパレードのこの無謀な追いかけっこに気付いていないわけでもなかった。しかし、本土の機関との取り決めを守り、どちらかの車が大破して追っかけっこが収まるまで、黙って時が過ぎるのを待っていたのだった。


 在香港日本国総領事館は、MTRセントラル駅の近くにある交易廣場ビル(タワー1)にある。香港警察の黙視の協力もあって、何とかタイセイは追手に追いつかれず、交易廣場ビルまでたどり着いた。
 タイセイはハンドルを切って、チェーンで通行止めになっているビルの車寄せに強引に突っ込む。車は大きな傷を代償に、チェーンを千切り吹き飛ばした。彼は車から飛び出るとエラの手を取って、ビルに駆け込んだ。その直後、黒塗りの車の一団が、タイセイの車を取り囲む。車に二人がいないことを確認すると、ビルに向かって一斉に走り出した。

 総領事館の領事業務窓口は46階だ。タイセイたちはエスカレーターを駆け上がり、3階で エレベーターに乗り換えた。46階へ行くエレベーターは3台。とりあえず、先行してエレベーターに乗れたタイセイは、これで、追手に追いつかれる前に、総領事館へ駆け込む余裕はできたと判断した。
 タイセイは、少し息をついてエラを見た。エラは、体全体で息をしている。必死に走らされて、苦しそうだった。

「エラ、これで何とか逃げ切れそうだよ」

 エラは、ぜーぜー言いながらも、うれしそうにタイセイの言葉に頷いた。汗に光るまつげを揺らして彼に微笑みかける彼女を見て、タイセイは、胸の中に初めて湧いてくる思いに戸惑っていた。愛おしいというのは、こういうことなのだろうか…。
 そしてその思いを自覚した瞬間、彼はいきなり頭をどつかれたような気分になった。重要なことに気付いたのだ。

 日本人の自分は総領事館へ逃げ込めばそれですむ。しかし、重要人物でもないフィリピン国籍のエラを、日本総領事館は受け入れてくれるはずがない。
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