痛み無しには息ていけない

~壱~

喫煙室から休憩所に出てきて、一つ大きな伸びをする。
今朝起きたら増えていた、両腕の無数の引っ掻き傷が、地味に痛い。


「……そうなんだよね。東京からちょっと、出られそうになくて…。うん、うん……。私も逢いたいよ」


椅子に座っている沙織が誰かに電話している。
最近の沙織は、休憩時間に毎日のように誰かに電話している気がする。
沙織がそこまでして電話している相手とは。


「……また彼氏さん?」

「…あ、マコ」


ちょうど沙織の電話が終わったので、声をかけてみる。
沙織はすぐに自分に気付いてくれ、こっちを見上げてきた。
自分はそのまま、沙織の隣の椅子に座る。


「そう、彼氏。このGW、逢えなかったからねー」

「関東近県との行き来、自粛になったしな」


沙織には遠距離恋愛中の彼氏がいる。確か名古屋に住んでるとか。
彼氏さんと沙織はGWに会う約束をしていたそうだが、この原因不明の疫病の影響で、止むなく諦めたらしい。
――よく見ると、沙織の両目の下瞼には、うっすらとクマが出来ている。


「…沙織、眠れてる?」

「……いや、あんまり。何で?」


唐突な質問に驚いたらしい沙織だが、すぐに正直に答えてくれた。


「沙織の両目、クマ出来てる」

「…本当言うと、寝ないで彼氏と電話とかメッセージ送ったりしてるのよ。寝ても夢に出てきて、しんどいしね」


そう言った沙織は目を擦り、流行りの無料通話アプリのメッセージ画面を見せてくれた。
部外者の自分はとてもじゃないが胸焼けは免れない甘々なやり取りが溢れている中で、それでも互いに互いを心配している事だけは、痛いくらいに伝わってきた。


「甘いなー…。ベッコウ飴かよ」

「あはは。そこまで茶色くないんじゃない?」


あまりの甘さに突っ込んでしまうと、沙織には笑って流された。

そしてその中で、自分は一つの言葉に目が釘付けになった。
“夢まで逢いに来て”。
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