忘れるための時間     始めるための時間     ~すれ違う想い~

# 未来side

# 未来side

もうすぐ背番号発表なのだと達也くんが少し緊張した面持ちで話していた。いつになく笑顔はひきつり、少し自信無さそうに言う達也くんを見ながら、頑張れ!と心から思った。

野球のことはあまり分からないが、一年生大会で見た達也くんや永井くんの姿はとても真剣で、野球に真剣に取り組んでいることがとても良くわかった。そして、いつも調理室の窓から見ているから、二人だけでなく、野球部の皆がどれだけ努力をしているのかも手に取るようにわかった。

永井くんと達也くんの二人はこの中でも特に強い絆で結ばれているように見える。信頼しあっているのだろう。





部活が無い今日は下校が早い。自転車を押しながらふとグランドの方を見る。野球部、サッカー部、陸上部…それぞれに部活の準備で忙しく賑わっていた。

(あっ…。)

永井くんがキャッチャー道具が入っているのであろう大きなバックを持って部室から出てくるのが見えた。

(…?何か元気無い感じ?)

その様子が気になり自転車を押したままそっとフェンスに近づく。体育教官室の影から部室の方を除き見ようとしたとき、バン!と音がして驚き、思わず自転車から手を離してしまった。

「痛っ。」

自転車が倒れそうになりあわてて持ち直したがペダルでむこうずねを擦りむいてしまった。

「後藤さん?!」

練習着の永井くんが駆け寄る。

「大丈夫?足から血が出とるが!」
永井くんが私の自転車を受け取りスタンドを立てて停める。

「いや、バンって音がしてびっくりしたけん自転車のハンドル離してしもぉて…大丈夫じゃんけん。」

足を心配してしゃがみこもうとする永井くんを両手で制す。
永井くんの表情が曇った。
「お…俺のせいじゃ」

「へ?」

「ごめん、保健室!保健室行こう。」

永井くんが腕を引く。
「いや、そんな大袈裟な…」

断ろうとしたが永井くんがぐいぐいと腕を引っ張って行くからついていくしかなかった。
保健室は生徒玄関から入ってすぐ横にある。すぐに保健室に着いた。

「保健の先生、おらんな。」
保健室に入るとキョロキョロと中を確認して先生がいないことに気づいた永井くんは私を椅子に座るように促した。

「永井くん?先生おらんし、うち、大丈夫じゃんけん。」

そう話しかけても私の言葉に耳をかさずに薬棚を開けてゴソゴソする永井くん。

「永井くん?」

もう一度声をかけるが返事は無い。

明らかにいつもと様子が違う…。

永井くんは無言で薬棚から取り出した消毒液とカット綿で消毒を始めた。

「…永井くん?」

もう一度名前を呼んでみた。

「…ごめん。俺のせいで怪我…。」
うつむいたままでその表情は見えない。

「何で?何で永井くんのせい?」

「…俺が八つ当たりして道具バックを投げたりしたけん…後藤さん驚かせてしもぉた。」
振り絞るようにポツポツと話す永井くん。うつむいたままでやっぱり表情は見えない。

何と答えていいかわからずに黙っていると永井くんもまた黙ったままカットバンを足に貼ってくれた。

「永井くん?何かあったん?」

カットバンを貼り終わってもまだ私の足元にしゃがみこみ、うつむいたままでいる永井くんに思いきって声をかけた。

「…。」

永井くんは黙ったまま。

やはり何かあったのかと不安になり、椅子から下りて私もしゃがみこみ永井くんの顔をのぞいてみた。
永井くんはすぐに顔を背けたが、一瞬見えたその顔は今にも泣きそうな、苦しそうな…そんな表情をしていた。

「やっぱり、何かあったん?」たずねながらふと目線を落とすとカットバンのゴミを握りしめている永井くんの右手の手首にテーピングが巻かれているのが見えた。

(もしかして怪我?)
そう思ったときには両手で永井くんの右手を包み込んでいた。

弾かれたように永井くんが私の顔を見る。

「…怪我…したん?」おずおずとたずねる。

(言いたく無いかも知れん。)

聞いてしまってから不安になる。

「この前の紅白戦で暴投よけた時に後ろに転んで…その時に手をついたんじゃけど…」
苦しそうに、振り絞るように話し始める。

「…うん。」

「たいしたこと無いと思ったんよ、そん時は…。その後自主練もしたし…」

話を聞きながら達也くんが先輩につかみかかっていたあの日を思い出していた。
(あの時…。)

「でも、あれから何かボールうまく投げれんで…昨日病院行ったんよ…」

「…うん。」

「全治3週間…て。筋痛めとるっ…て。」

永井くんはそこまで話すと後ろを向いて肩を震わせ始めた。

かける言葉が見つからない。
励ましてあげたいのに…。
「…うん。」
情けない私はただ返事をしてそっと永井くんの大きな背中に手をやることしかできずにいた。

「…さっき…背番号発表だった。」
振り絞る声が震えている。

もう最後まで話を聞かなくてもわかった。背番号はもらえなかったのだろう…。

頑張っている姿をずっと見ていたからその悔しさが背中から伝わってくる気がした。
気がつくと頬を涙が伝っていた。静かに泣く永井くんに何もしてあげられない自分が悔しい。
ギュッと背中に当てた手に力を入れる。

「ごめんなさい。こんな時何も気が利いたこと言ってあげられんで。元気付けてあげたいのに…。」
涙声になる。

永井くんが驚いたようにアンダーシャツの袖で涙をぬぐいながら振り向く。

「後藤さん?泣いとるん?」
頬に永井くんの手が触れる。

「うちが泣いてもどぉにもならんのに…ごめんなさい。」震える声で謝る。

頬を伝う涙を永井くんがアンダーシャツの袖で拭いてくれた。
「ハンカチもタオルも無いけぇ…ごめん。」
苦笑いしながら永井くんが言う。

「こんな時に無理して笑わんでええよ。辛いじゃろ…悔しいじゃろ…。泣いてええよ。」
そう言いながらまた涙がこぼれてしまう。

永井くんがプッと吹き出して笑う。
「後藤さんがそんなに泣いてくれたら俺が泣けんわ」またアンダーシャツの袖で涙を拭いてくれながら少し明るい声で言う。

「…元気出して。」
(うちが泣いたらいけん。)そう思って涙をこらえ、永井くんの顔を見上げながらそう言った時…

永井くんにギュッと抱きしめられた。

驚いた私は少し後ろにのけぞる。椅子の座面が肩に当たりキキッと音をたてた。

それでもまだ永井くんはきつく抱きしめている。心臓がものすごい速さで音をたてる。

どうすることもできず、そっと両手を永井くんの背中に回してみた。
永井くんの鼓動を感じる。私と同じくらいドキドキしているように感じた。

どのくらい時間がたっただろう…お互い何も言わないまま、抱きしめあったまま…。


廊下で話し声が聞こえた。
保健の先生が帰ってきたのだろう。

その声にハッとしたように永井くんの腕がゆるむ。
「ごめん。」
耳元で呟き、離れる前にもう一度ギュッと抱きしめられた。

永井くんが立ち上がり戸口に向く。
「何かいろいろごめん。俺らしくない姿見せた。」
頭をかきながら話すその表情は見えないが少し落ち着いた声になっていてホッとする。

私も立ち上がり、制服のスカートを軽くはたいた。
「そんな、そんなこと…。」
気の利いた言葉は見つからない。

永井くんが振り向き私のスカートの汚れを気にして一緒にはたいてくれる。
「ありがとう。…後藤さん…」
今度は目を見てそう言いかけた時、ガラガラっとドアが空いて保健の先生が入ってきた。

「あら、どーしたん。怪我?」

「あっ、はい。俺のせいで後藤さんが。消毒とカットバン借りました。」
永井くんが礼儀正しく言う。
いつもの永井くんだ。

「あっ、そおそお永井くん。手首の怪我のことでちょっと話があるけぇ。」

「あっ、はい。わかりました。」
永井くんは保健の先生にそう返事をしてからまたこちらを向いた。

「そういうことじゃけぇ、送れんけど。気をつけて帰ってな。」
いつもと変わらない笑顔だった。

「うん、じゃあ、消毒とカットバンありがとう。」
私も笑顔でそう言い、「失礼します」とおじぎをして保健室を出た。

頬が熱い。先生がいたから何とか平静を装ったが、抱きしめられたことに動揺していた。

「何でじゃろぉ…何で…」
頭が動かない。こめかみを指で押さえながら頭を振る。

「未来ちゃん。」

声をかけられ飛び上がるほど驚いた。
固い表情の達也くんが立っていた。

「達也くん?」

いつも朗らかな達也くんの固い表情の理由は永井くんの怪我のせい?背番号のせい?いろいろな事が頭をよぎる。

「…。」

無言のまま達也くんが近づく。
(え?)
いつもと違うその雰囲気に驚き後退りをするがすぐに壁があり、それ以上さがれない。
壁に両手を付き、囲い込むように達也くんが立ちはだかる。

「どうしたん?達也くん?」

達也くんの目が泳いでいる。私の顔を見ているようで見ていない。何か言いたいけど何も言えない。そんな風に見えた。

「達也くん?」

もう一度声をかけた時、ポスッと達也くんが私の肩に頭を乗せた。

(え?)

驚いて何も言えずにいた。


今日はいろいろありすぎで頭が追いつかない…。



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