パパにせんぶあげる。
有名な若手ファッションデザイナーだったママの死は、日本国内だけでなく、世界中で報道された。

当時5歳だったわたしは、ヨーロッパの国際コンクールの会場にいた。参加者の一人だったパパと一緒に、決勝の結果発表を待っているところだった。
審査員からパパの名前が呼ばれ、入賞が決まった直後、たくさんの記者たちがパパを取り囲んだ。記者の口から真っ先に飛び出したのは、祝福の言葉ではなく、ママの訃報だった。
コンクール期間中 外部からの連絡を絶っていたパパは、その時初めてママの死を知らされた。
決勝で賞を獲得したことよりも、パパはママの飛行機事故をきっかけに「悲劇のピアニスト」として注目を集め、世界中に名前が知れ渡った。

あのコンクール会場の眩しいフラッシュの中で、力なく崩れ落ちたパパの姿を、わたしは今でも鮮明に覚えている。


「…花音おねえちゃん? 」
「そこでなにしてるの?」

ママの部屋で立ち尽くしていると、わずかに開いたドアの隙間から、亜美(あみ)ちゃんと亜夢(あむ)ちゃんがこっちを覗いていた。

「あっ、ううん、なんでもないよ。ちょっとボーッとしちゃってて」
「花音おねえちゃん元気がないの…」
「そ、そんなことないよっ、元気だよ!」

わたしは慌ててママの部屋を出ると、二人の頭を順番に撫でた。亜美ちゃんと亜夢ちゃんは、パパと"今のママ"との間に生まれた、5歳の小さな双子の女の子だ。二人は、わたしの本当のママや、この家の事情のことはまだ何も知らない。

「今日は、パパも元気がないの…」
「パパ、どうしたの?」
「ママとケンカしてから地下のおへやから出てこないのよねっ、亜美ちゃん」
「うんっ、ずーっと一人ぼっちでピアノ弾いてるのよねっ、亜夢ちゃん」
「そっか。教えてくれてありがとう」

一階に降りると、地下のレッスン室からピアノの音が聞こえてきた。メンデルスゾーンの『無言歌集』だ。ホ長調の旋律が美しく、どこか憂鬱に響いている。
わたしは階段を降りて、レッスン室のドアの前で立ち止まった。しばらくパパの演奏に耳を傾けていると、不意に、演奏が止まって、中から声が聞こえる。

「花音、おかえり 」

どきっ、と胸が跳ねた。どうしてわたしがドアの前にいると分かったんだろう。少し恥ずかしいような、気まずいような気持ちで、わたしはレッスン室の中に入った。

「ただいま、パパ。急に名前を呼ばれたからびっくりしちゃった」
「花音がちっとも中に入ってこないからさ」

パパはだらしなくピアノにもたれかかって、ほほえんだ。顔が少し赤い。

「どうしてわたしだって分かったの? 」
「そりゃあわかるよ。僕の娘だから」

グランドピアノの足元に、空になったワイン瓶が転がっていた。
明るく陽気なパパ。けれど、少し繊細で、傷つきやすいところがある。最近はママと言い争うことが増えて、こうして昼間からお酒を飲んで酔っ払うことが多くなった。
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