コミュ障
昔から嫌なことがあった時ほど筆が進むタイプだった。




もともと不満は外ではなく内に向けるタイプだったから、そんな自分を責めないようにと勝手に逃げ場にしていたのかもしれない。




この企画が始まって書き進めたシナリオを見るとなんとなくそれが分かってしまった。




日に日に疲れていったのは事実だが、そのせいかどんどん面白くなっていく気さえする。




それは悔しいけれど、今までみたいに自分に嫌悪感を持っていても仕事は進まない。




ここからうんと面白くなるように書くだけだ。




そう思って打ち込んだ一週間は、毎日くたくただった。




ディレクターに専念するようになった阿部は自分のデスクに戻らず、彼のサポートがどれだけ効果があったかということも思い知らされた。




常に私の前を走っていたのだ。




でも、そこで諦めて後ろを向いて見ると、いつの間にか後ろから高村くんという若い人が物凄い勢いで駆け寄ってくるのが嫌でも目に入る。




彼はもともとやりたがっていた漫画という仕事ということもあってか、順調に周りに認められていた。




新入社員で暴走しかけることも多かったが、パートナーである野々宮さんが上手いこと舵を取っているらしい。




もともと、私は物語が書ければそれでよかった。




でも、それがどれだけ悲しいことかを今になって知ることとなったのだ。




書き上げた達成感から燃え尽きなのか、屋上でセンチメンタルに浸っていると、後ろの扉が開く音が聞こえた。




「ちょ、ちょっと・・・」




「まずいですってサボるなんて」




「大丈夫大丈夫!この時間誰もいないから」




私が振り返ると、そこには野々宮さんと高村くんの手を引いて屋上に入ってきた阿部がいた。




「誰もいない、ねぇ?」




じと、と野々宮さんに見られながらも阿部はいつも通りの笑顔を浮かべていた。




「見られて困るような人は、って意味だからセーフだって」




いつだかのように屋上の手すりに身体を預けながら阿部はポケットからタバコを取り出した。




共犯者になれ、と高村くんにも勧めながら、彼は大きく煙と息を吐き出した。




「みんな気合い入りすぎ・・・。焦ることと急ぐことは違うって昔なんかで見たよ?」




笑いながらジャケットのボタンを外してリラックスした顔の阿部は、チラッと私を見た。




「ほら、一足先に自分の仕事を終えてサボってる人がいるんだから、見習おう?」




サボってるわけじゃない、と笑うと、私の笑顔を見て毒気を抜かれたように野々宮さんも笑って手すりに身体を預けた。




「今回の一番の功労者を見習うというのは間違ってないわね。・・・シナリオ、大好評だったわよ」




そう私に笑いかけてくれる野々宮さんとは、ここ一週間で仲良くなれた気がする。




それもこれも阿部のお陰だとは、悔しいから思いたくなかったのだが。




「単純に仲良くなれた真中と一緒にいたいからじゃなくて?」




「・・・なっ」




恥ずかしそうに赤くなった彼女を見ながら、阿部と高村くんは笑った。




「ずっと言ってたもんな、あんな素敵なお話を書く人と仲良くなれたら嬉しいって」




「・・・っそ、そうよ」




羞恥から阿部を睨んでいた野々宮さんは、腕を組んで生意気そうな笑顔で頷いた。




その表情を見せてくれたことが嬉しくて、私も二人と同じように笑ってしまう。




「ごめんね、野々宮さん」




「え・・・何が?」




謝られる謂れはないと首を傾げた野々宮さんを見つめながら、私はゆっくりと考えを言葉にしていった。




「ずっと、私は物語が書ければそれで良かった。人付き合いは今も変らず苦手だし、話すことも得意じゃないけれど。でも、前みたいに誰もいなくて良いから一人で物語を書いていれば良いとは思わなくなった。だから、私と話に来てくれた野々宮さんに嫌な思いさせてたんだなって気がついた。・・・だから、ごめんなさい」




しっかりと頭を下げると、野々宮さんは慌てた様子で首と両手を振っていた。




「そして、私みたいな人間と仲良くなりたいって言ってくれて・・・私の書いたお話を素敵って言ってくれて」




ずっと見つめながら私は今まで言えていなかった分も込めてしっかりと大きな声を出した。




「野々宮さん。本当にありがとう」




彼女に以前言った言葉と同じ。




そして彼女の反応もまたあの朝と同じだった。




恥ずかしそうに赤くなりながらも素直に頷いた彼女を見て、私は自然と笑顔になれた。




「一人で物語が書けたらそれで良い。他には誰もいなくて良い。前の真中なら思ってそうだもんな」




からかうように笑いながら振られた高村くんは、困ったように頭をかいていた。




「高村くんも、ごめんなさい。せっかく同じシナリオライターとして来てくれたのに私に余裕がなくて・・・話しにくかったと思う」




「・・・そんなことないです」




彼はフォローしてくれたが、それは嫌というほど自分でも分かる事実だったから、私は首を振った。




「ううん。謝らせて?・・・それと、私が遅らせてしまったせいで急な仕事になったのに、素敵な漫画をありがとう」




「い、いえ・・・真中先輩のおかげで、漫画を書くって夢も叶ったので、感謝してます」




彼は照れ臭そうにそう言うと、私に向かってありがとう、とそう言った。




たった五文字の言葉なのに、その響きはあまりにも眩しくて重たい。




こんな素敵な言葉を今までちゃんと言えなかった自分にしっかりと怒ってやりたかったが、今はそんな気分になれない。




今はそれよりも、改めて後輩に感謝を伝えたかった。




「高村くんも、本当にありがとうね」




「っはい」




嬉しそうな笑顔を見て、私の心も少しだけ暖かくなった。




ちゃんと言えるようになって成長した気分で、とても嬉しかった。




もう少しちゃんとお礼を言いたかったが、どうやらそれは叶いそうになかった­­­­­­­。




勢いよく開けられた扉の先で、イラストのサブリーダーが慌てた様子で手を振っていたのだ。




「野々宮さん!高村くんも!こんなところにいたのねっ。手直しがきたのお願い二人がいないと漫画は分からない」




ここに来た時のように、二人はサブリーダーに腕を引かれて行ってしまう。




もう少しここにいたかったとばかりに不満そうな二人だが、その困った表情の中にはしっかりとしたやる気も感じられた。




だから、手直しとは言っていたがきっとあの二人ならなんとかするのだろう。




そう思えて私は一人で笑って見送った。




そんな私を見ながら、阿部は携帯灰皿にタバコの吸い殻を捨ててしみじみと口を開いた。




「本当、真中は変わったよな」




「・・・そうかな?」




変わりたいと思ったのだが、それが本当に実行できているのかは自分では分からない。




ただ変化はあるとは思う。




しっかりとコミュニケーションを取るように努力もしている。




けれど、それが自分の理想とするところまでいってはいないとも思うから、変わったのだと素直に思う事はまだできていなかった。




「まだ足りないところもあるんじゃない?でも少なくとも前の真中より今の真中の方が好きだよ、俺は」




「・・・」




そんなことを簡単に言う男は変わらない。




少し熱くなった顔を風に晒しながら、私は大きく息を吐いた。




「阿部とここで話して、次の日野々宮さんにありがとうって言えた時からこんなに世界の見え方が変わると思わなかった」




「見え方が変わったんだ?」




「・・・うん」




ありきたりな表現かもしれないが、私の世界に明るい色が加わったように思えた。




「一人で、誰にも好かれなくて良いから物語を書ければいいって、今だったら良くそう思ってたなって」




「・・・そうだな。それは、すごく寂しくて傲慢な考えだよな。俺も一年目の時そう思ってたよ」




「・・・少し遅かったかな、気がつくのが」




「早い遅いじゃないでしょ。それはたまたまチャンスが無かっただけ。気がついたことが大事なんだよ」




二人で見上げる空は、あの人は違って青くて、どこまでも高く広がっていた



ゲームを作るという事は沢山の人間がいて初めてできる事だ。




でも、それは物書きにも同じことが言えるのだろう。




確かに生み出してから完成するまでは全て一人で行っているのだが、そのただの文字列は、誰かに読んでもらって初めて物語となるのだ。




友達付き合いも下手だった私は、本を書いている時が生きていられる実感があった。




でも、それは裏を返せば誰かの目に止まって初めて本当の意味で生き始める。




私は、一人でいい、と思いながら、必死に世界と繋がる何かを探していたのかもしれない。




「言葉って不思議だね。前に阿部も言ってたけど」




「ん?そうだな…言葉って面白い」




「阿部が言ってたよね。thank youがごめんなさいなのは違和感があるって」




「・・・あぁ」




「その時は、心の中で感謝して、それでもいろんな考えを汲み取ると、申し訳なくてごめんなさいなんだって思ったけど。それじゃダメなんだって思ったよ。・・・幾ら心で思ってても心は誰にも見せられない。言葉って自分の心を伝えるものなんだね」




「なるほどね。心か、良いねその表現」




表現と言えば、と彼の言葉を拾って私は少しだけ恥ずかしくて笑いながら下を向いた。




「阿部だったらさ、I love youはなんて訳すの?」




「・・・俺?んー・・・なんだろうな。それを聞くってことは真中は何か見つけたの?」




「・・・ふふっ、うん」




あまりにも気障な考えかもしれないと考えただけで恥ずかしさでにやけてしまうが、それでもなんとなく彼にはこの考えを伝えたかった。




「ありがとう、なんじゃないかな?thank youもsorryもごめんなさいなら、thank youもI love youもありがとうでいいでしょ?」




「あははっ、確かに。良い訳なんじゃないか?」




「阿部のは?」




「なんだろうなー・・・。その言葉の意味を一緒に探してください、は?」




「うわ、気障!」




初めてするそのふざけたやり取りが可笑しくて、私は阿部と一緒に大笑いした。




何処までも広い雲一つない青空に私たちの声が吸い込まれていく。




思えば彼と同期で入社してから、一番濃い数ヶ月だった気がする。




私が変わるきっかけも、私の事を仕事だけじゃなくてただ昼食を食べに行く時だけでもサポートしてくれていたのも彼だ。




それに気がつくことができたし、それのおかげか初めて友達というものが出来たのも彼のおかげかもしれない。




そう伝えると彼は心外そうに首を振った。




「もともとは真中が魅力的じゃなかったら野々宮も興味持たないだろ」




俺のおかげじゃない、と心からそう思っているのだろう。




当然のように彼は頷いていた。




それでも。・・・それでもだ。




「ありがとう」




どうしてもこの言葉を阿部には一番伝えたかった。




私の新しく見え始めた世界を、彼に伝えたかったから。




このありがとうは英語にするとなんなのか、それはいずれ見つけられたらいいな、とそう思った。
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