谷間の姫百合 〜Liljekonvalj〜

彼女たちは今世紀(十九世紀)に入ってから、いきなり台頭してきた新興の商人の娘だ。

リリの父親がまだ若かりし頃、スウェーデン王国をはじめとする北ヨーロッパでは、伐採して切り拓かなければ農地にならない針葉樹林は「お荷物」以外の何物でもなかった。

しかし、産業革命に成功して世界の一等国となった英国やフランスなどの中央ヨーロッパでは、建物だけでなく造船などでも製材の需要が高まっていた。

他に先駆けていち早くそれに目をつけたリリの父親は、船舶で英仏へ木材を輸出するために、この国第二の都市で港町でもあるイェーテボリを拠点にして「シェーンベリ商会」を興した。

同じ頃、エマの父親はリリの父親のようなイェーテボリの「貿易商」たちが高い船賃を支払って英仏の蒸気船で物資を運んでいることに気づいた。
そこで、貿易商たちに「我が国の船舶で運べるようにしないか?」と出資を持ちかけて「カッセル汽船」を立ち上げた。


そのようにして豊かな財力を手にした者が、次に欲するのは「名誉」だ。

だが、彼らのような成り上がりの階級が、おいそれと手にできるものではないということは、じゅうぶん承知していた。
事実、一八六六年に第一院と第二院の二院制議会が始まるまでは、貴族・聖職者・市民(商工業者や弁護士などの中産階級(ブルジョワジー))・農民によって分けられた四身分制の議会が、国王陛下のもと歴然と存在していた。

自分たちが叶えられないのであれば、せめて子どもたちには……そう考えた彼らは、我が子の「教育」に力を注いだ。

しかしながら、娘たちに(ほどこ)す「女子の教育」となると、教会での日曜学校か、または機織(はたお)りなど伝統的な手仕事(スロイド)を教わる職業訓練的な場くらいしかなく、父親たちが望む「どんな晴れやかな場に連れて行っても恥ずかしくない、洗練されたマナーを身につけた淑女(レディ)」に育成してくれそうなところは、どこにもなかった。

そもそも、貴族階級の令嬢たちは幼き頃より、まだ見ぬ夫のために「()き家庭人」となるべく、雇い入れた住み込みの女性家庭教師(グヴァナント)から、行儀作法のほかダンスや刺繍などを学ぶのだ。

二人の父親は、そちらを(なら)うことにした。

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