消えた卒業式とヒーローの叫び



 凍てつく風が顔に刺さり、鼻から吸い込む空気によって肺が冷蔵庫と化した。分厚いコートも顔までは守ってくれず、マフラーで必死に口元を覆いながら小さな地元の商店街を二人で歩いた。

 隣を歩く彼女はいつも楽しそうで、今日だってこんな寒い中、瞳に太陽をめいっぱい吸収しながらお店を見て回る。

「ああ、日彩ちゃん!久々だねぇ、調子はどうだい!」

 八百屋のおばさんが、日彩に声をかけた。日彩はそれに気付くと、再び表情に花を咲かせ、走っていく。

「お久しぶりです〜!元気ですよ!最近受験勉強が忙しくて、あまり出かけられなくて〜」

 他愛のない会話に、私は視線を逸らしそっとその場を離れる。自分の足先と、黒い地面が私の世界だった。

 いつものことだ。日彩は年齢層関係なく誰とでも仲良くなれる。

 対して私はそれができなかった。

 日彩ほどになりたいとは思わない。でも、せめて人と目を合わせて会話をすることくらいできるようになれたら、なんてどこかで思っている自分もいた。

「あ、こ、これ……お願いします……」

 隣の肉屋で牛肉を指差し、蚊の鳴くような声で呟く。チラリと視線を上げ、店員の顔色を伺うも、購入する物を迷っている人に向ける目で首を傾げられた。

 心臓が早鐘を打つ。鼓膜にそれが貼り付けられたかのように激しく音を立て、周囲の声など何も聞こえなかった。

 どうしよう。聞こえてなかったよね。もう一回言った方がいいかな。でもさっき言ったのにまた言うなんて……。

 この間約三秒。額を冷気がかけていくも、手はじわりと汗ばんでいた。

「お姉ちゃんー!八百屋さんが値引きしてくれたー!」

 自問自答をして固まる私のところに、両手に袋を持った日彩がやってきた。

 運動靴がコンクリートを弾き、身軽な救世主が現れる。

「あれ?お肉買わないの?すみません、この牛肉五百グラムお願いします」

 私の返答を待つことも無く、彼女は私の何百倍もの明るい声で頼んだ。

 日彩だってわかってる。私が人と関わることが苦手なこと。だが、それを咎めることは一度たりともなかった。

 私の過去について、詳しくは知らないだろう。客観的に見れば、なんて事ない出来事だったのだから。

 私は何も言わず財布からお金を取り出し、前に立つ相手と一切目を合わせること無く、商品を受け取った。

 最小限の敬意を示すため、小さく頭を下げてその場を後にする。背後から「ありがとうございます」と元気な声が聞こえた。


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