旦那様は懐妊初夜をご所望です~ワケあり夫婦なので子作りするとは聞いていません~

 景虎も知らない職場に行くわけじゃない。景虎と同じ会社、彼の父親の秘書室なのだから、行先は目と鼻の先だ。

 パニックになっても、意識消失しても、社長から景虎にすぐ連絡が行くはずだし、そんなことで死にはしない。

「記憶がなくても、普通の人と同じように生きたいの! お願い!」

 自分では記憶がない以外は健康そのものだと思っているので、病人扱いされるのは心外だ。

 駄々をこねると、景虎はふうと小さくため息をついた。何かを諦めたような顔だった。

「わかった。道に迷ったらいけないから、必ずタクシーを使って、短時間で帰ってくること」

「わーい!」

 両手を挙げて喜ぶと、上田さんがクスクスと笑った。

「まるで初めてのお使いに行くお嬢ちゃんみたいですねえ」

 ……たしかに。

 静かに手を下げ、私はその発言を聞かなかったことにした。


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