嫁入り前夜、カタブツ御曹司は溺甘に豹変する
もうダメなのかな。
ここで婚約解消となったら幼馴染にも戻れないよ。
だって、仁くんの唇の柔らかさも、高い体温も、優しくも荒々しいキスの仕方も知ってしまった。
考えれば考えるほど涙が溢れて頬を伝っていく。
手のひらでそれらを拭いながら、思いきり泣ける場所を求めてひたすらに走った。本当に、気持ちだけはどこまででも走り続けるつもりだった。
わりとすぐに息が上がって手足が前に出なくなる。
限界……!
ふらつきながら立ち止まり、ぜーぜーと肩で大きく息をつく。
汗ばんだ肌を手のひらでなぞってから、おとなしく駅まで歩くことにした。
そもそも走る意味はあったのか。早い段階で仁くんは追いかけてこなくなったし。
ポケットに手を突っ込んで、キーケースとスマートフォンがたしかにあるのを確認する。
スマートフォンはいつも肌身離さず持ち歩いているにしても、鍵を持っているのは奇跡に近い。いつもは仁くんが戸締りをするのだけれど、今朝は私が離れの玄関に鍵をかけなければいけなかったからたまたま持っていた。
目が覚めたら隣に仁くんの姿がなくて、どこに行ったのか気になって二度寝ができなかったから、身支度を整えてから弥生さんのお手伝いをするつもりで出てきた。
それがあんな場面に出くわすなんて。