黙って俺を好きになれ
お互いを紹介する段取りもすっ飛び、どことなく、あいだの空気に電流が走り抜けたような。
パーカーの上にジャンパーを羽織ったジーンズスタイルで、大学生でも通用しそうな彼が着ぐるみを脱いだ顔つきに変わった。気がした。

「・・・アリサワさんでしたっけ。オレが後悔するのは糸子さんを諦めるときって決まってます。手強いライバルもいるんで全力で溺愛中なんですよ。今日はこれから映画と、映画観てる糸子さんを鑑賞しなくちゃいけないんで、すいませんけどカノジョを渡してもらえません?」

口許はふにゃりとして見えた。・・・目の奥はそうでもなかった。

「ツツイ君、・・・だっけ。余裕がない男子はモテないと思うな」

「一秒でも時間が惜しいんですよね。糸子さんの頭ン中にオレをぎゅうぎゅうに詰め込んどかないと、いつまた割り込まれるか分かんないでしょ」

それは梨花に肩を抱かれたままの私に向けられていた。

「もう準備できてる?だったら行こっか」 

掌をこっちに差し出してやんわり笑う筒井君に釣られるように手を伸ばすと。不意に引っ張られた勢いのまま胸元に飛び込んでしまう。

「やっと捕まえたー」

一瞬だけ強く抱き締められ、すぐに解放されるとふやけた笑顔が見下ろしている。

ふと。大仰な愛情表現に慣らされすぎているのか、まるで普通に受け止めてる自分に気付いて。慌てて顔ごと逸らし、振り返ると梨花が冷めた表情で筒井君を見ていた。

「トーコはまだ誰のものでもないからね。この子を困らせたらボクは黙ってないよ」

「そのときは路地裏のゴミ箱でもどこでも転がしちゃってください」

応えた彼の笑みも堂々として見えた。・・・けっこう男らしく。

「ついでだから駅まで送ってあげる」

「えっ?」

唐突にこっちを向いた梨花が私の頭を優しく撫でた。

「遠慮しないで、一晩ベッドで一緒に過ごした仲なんだから」

お礼を言って笑い返すと、後ろから底冷えした空気が漂った気もしたけど。玄関先だったせいだと思う。・・・たぶん。




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