アタシの青春ヒーロー☆彡
【幸せな生活】

☆幸せな家族☆

今思うと、幼い頃の記憶というものは良く覚えているものだ。
その為、現代では3歳までの幼児期が教育の中で一番大切とされている。
今考えると私は、自分で言うのもなんだがいわゆる『お嬢様』で育ったのだと思う。

何不自由なく生活が出来ていて、欲しい物があれば必ずママが買ってくれて、ウザイぐらいデパートに連れて行かれて可愛い洋服を沢山買ってくれていた。

あの時は着せ替え人形のようになっていて飽きた私は、「ママー早く帰ろうよー、どれでもいいよー」とか言っていたけど、とても幸せな事だったのだと思う。

多分ママは自分の子に可愛い洋服を着せるのが楽しかったのだと思う。
流行りの玩具ももちろん沢山家にあった。
そして、毎日15時のおやつにはお菓子が出て来て、晩御飯の後はフルーツが必ず出て来て、大事にしてくれていたのだなと思う。


おじいちゃん、おばあちゃんも大好きだった。

いつも遊びに行くと、

「彩~来たの~!」って嬉しそうに出迎えてくれたのだ。

おじいちゃんと、夏になると虫を取りに行き、取ってきたセミに糸をつけて部屋の中でセミを飛ばしているおじいちゃんを見るのが楽しくて好きだった。

すぐに死んでしまう蝶々やセミを見るのが悲しかったけど。


おばあちゃんとは、小さい子が行くようなメダルゲームのある小さいゲームセンターによく連れて行ってくれた。

お家に帰るとまだ小さいのに、おじいちゃんが花札を教えてくれてよくチラシの裏に手書きで表を書き、おじいちゃんと朝から夜まで花札勝負をして、おばあちゃんに呆れられてたっけ。

障子に穴をあけたり、家の中でシャボン玉をしたり、家の外で花火をしたり、塗り絵に付き合ってくれたり、わがままもいっぱい聞いてくれてとても楽しかったのを今でも覚えている。

自慢のおじいちゃんおばあちゃんだ。



でも、唯一寂しかった事がある。
それは私が2歳になった時、弟が生まれ、弟に手が掛かってママがあまり手を焼いてくれなくなったのだ。
仕方がないし、当たり前といえば当たり前なのだが。

私の弟は、私の2個下で、生まれつきの発達障害(自閉症)だったのだ。
幼いながらお姉ちゃんだし、我慢しなくちゃと分かってはいたけど、弟は可愛がられているのに、私は自分で出来る事は自分でしなくちゃいけなくて、たまには甘えたりしたかったけど、忙しそうなママを見ているとそんな事言えず、弟の面倒を見ながら、言葉は喋れない弟だったけど楽しく遊んでいた。

たまに、どうしてもママの目を引きたくて、毎日甘えられる弟に嫉妬していたずらをして怒られたりしていたけど・・・(笑)


でも、私にはパパがいたんだ!
パパは弟より私を可愛がってくれていた。
幼い頃から小さかった私はよくパパの肩に乗せてくれて、仕事をしながらバンドマンだったパパは、爆音で洋ロックを流しながら、リズムに合わせてよく私を高い高いをしてくれていた。

あの頃は自慢のパパだった。
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