きみがため
「大丈夫だよ。みんな分かってるよ、桜人の気持ち」

私も、光を憎んでなどいない。

桜人の周りの人だって、きっと同じだろう。

そういう思いを込めて言うと、桜人は驚いたような目で私を見た。

それからふっと、再び空を見上げて彼が言う。

「見て。夕月夜だ」

黒、紺、群青色、藍色。

よく見たら、まだ闇になりきれていない空には、上弦の月が、淡い光を放ちながら浮かんでいた。

「夕月夜?」

問うと、「この時期に浮かぶ上弦の月を、“夕月夜”って言うんだ」と桜人が答える。

「夕月夜 ほのめく影も卯の花の 咲けるわたりは さやけかりけり」

空を仰ぎながら、桜人の耳心地のいい声が、和歌を呟く。

モカ色の髪を、夏ぐれの風が撫でていく。

ああ、きれいだと思った。

彼の口からこぼれる言葉同様、彼の存在そのものが、とてもきれいだ。

「どういう意味の和歌なの?」

文学と和歌が好きな桜人は、驚くほど知識を持っている。

だけどそれを、あまり教えてくれることはない。

だから今、彼が素の自分を見せてくれた気がして、うれしくなった。

「“白い弦月の浮かぶ夕月夜に、白い卯の花が咲いている。闇の中でも、それはひときわ輝いて、私の目に映った”……そんな感じかな」

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