きみがため
そういえば以前に、光がさっちゃんとうまくいってないとお母さんが言っていたことを思い出す。

「それは……」

桜人が、視線を上げて私を見る。

心が軋むほど、悲しげな目だった。

「俺が、真菜や、光の傍にいてはいけない人間だから……」

それから桜人は、うつむき、肩を震わせた。

「ごめん、真菜。ごめん……。悲しませてごめん……」

悲しみが伝染しそうなほど、苦しげな声だった。

細い糸のように頼りなく、今にも消え入りそうな声。

男の人が、こんな風に泣くのを初めて見た。

だけど私は、その姿を異様だとは思わなかった。

きっと彼は、今までも、心の中でずっと泣いていた。

むしろ、泣いている彼の方が、自然な姿なのだ。

彼はきっと、紡ぐ言葉と同じく、繊細な人だから。

「俺がいなかったら、真菜のお父さんは助かっていたかもしれないんだ……」

感極まっているのだろう。くわしい説明もなく、彼は心のままに懺悔を吐き出す。

「俺は、苦しんでる真菜を助けたかった。明るい方に、導いてあげたかった。だけどこれ以上そばにいたら、離れられなくなる気がして……。俺は、君の近くにいてはいけない存在なのに」

泣いている彼は、幼子のように小さく見えた。

そして同時に、たまらなく愛しいと思えた。

私はベッドまで歩み寄ると、桜人の身体を、そっと抱きしめた。

私よりもずっと背の高い桜人の背中は大きいから、すべては抱きつくせないけど、生まれて初めて芽生えたこの想いが伝わるように、きつく、きつく、抱きしめる。

「桜人」

柔らかなモカ色の髪を撫でながら、愛しいその名を呼ぶ。

弱くて、みじめで、消えたいほどダメな自分の中に、こんな強さが眠っているなんて思いもしなかった。

教えてくれたのは、彼だ。

悲しみに沈んだ世界から手を伸ばし、いつも私を支えてくれた。

私はやがて、私を変えてくれた彼に恋をした。

本当の恋は――人を強くする。

与えられるだけじゃない。本当は小さくて弱いこの人を、守ってあげたいと思う。

君のために、生きたいって思う。

「桜人が、好き」

心からの想いは、ごくごく自然に口からこぼれ出ていた。

驚いたように上げられた涙で濡れた顔に、心のままに微笑みかける。

「だから私は――これからもずっと、傍にて欲しい」
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