いつの間にか結婚したことになってる

12 お掃除には危険がいっぱい

 撫子がチャーリーに連れられて扉を開くと、石造りの重厚な地下室の倉庫が二人を迎えた。
「片付けがいがあるでしょう?」
 倉庫は元の世界でいうドームくらいの高さはあって、ぽつんとした頭上の頼りない光だけでは全貌がまったく見えなかった。
 物が天井近くまで詰め込まれていて、消防士が使うような特殊な梯子を使わないと上まではとても届かない。
「でもあんまり汚くはないね。不思議」
 ほこりも塵も見当たらないからだろうか。物は多くて圧迫感はあるが、触ることに抵抗はなかった。
「こちらです。むやみに手をつけると僕もわからなくなりますから、まずは目的のものから片付けましょう」
 チャーリーは黒い機材を手に、先に歩いていく。
「それって何?」
 黒い機材は古い脚立付きのカメラのような形をしていた。
「プロジェクターですよ。昔風に言えば映写機ですね」
「ああ、映画見るための機械なんだ」
 木製でごつごつした形は見慣れなくて、博物館にありそうなくらい古そうだった。
「オーナー、部屋で映画見てたのかな」
 猫が見る映画ってどんなものだろう。撫子は首を傾げて、ちょっと見てみたいと思った。
 チャーリーは右に曲がったり左に曲がったり、案内もないところをすいすい歩いていく。自分だけで来たら百パーセント迷ったと、撫子はありがたくチャーリーの後をついていった。
「ここです」
 チャーリーが鼻を動かして立ち止まる。どうやら彼は匂いで場所を覚えているらしい。
 そこにはスクリーンが数十枚とフィルムがぎっしり詰まったケースが積み重なっていた。
「新しいものもあるんだね」
「そちらはこの間使ったばかりですから。時々当ホテルでは上映会を開催いたしますし」
 最新鋭と思われる自動映写機と映画館にあるような巨大スクリーンも丸めて壁に立てかけてある。
「僕がすす払いをしますので、撫子様は片づけを」
「了解」
 チャーリーははしごをたてかけるなり、するすると器用に上っていく。あっという間に一番上に辿り着くと、片足を梯子に絡めてすす払いを始めた。
「昔々のお話です」
 あ、またチャーリー君があの歌を歌ってる。撫子は耳に留めながら思った。
 撫子はオーナーの部屋から持ってきたフィルムをどこに片付けようかと思案する。
「あ、ここだ」
 フィルムボックスを開けていると、その中にぽっかりと空いたスペースがあった。撫子はそこに持参のフィルムを仕舞うと、ふと床に落ちてきたものを拾ってみる。
「ほこりのわりに汚くないなぁ」
 チャーリーが上から払い落しているものは、手で触ってみるとまるで霧のように溶けてなくなってしまった。
 砂糖のような、雪のような。正体はわからないままほうきを取って集めていると、空気の流れを感じた。
 鳥の羽音が聞こえて、突風が撫子たちを襲う。
「危ない!」
 撫子はとっさにチャーリーのはしごを支えようとしがみついた。
「え、えええっ!」
 けれど突風は撫子すら吹き飛ばした。
 倒れていくはしごがスローモーションのように見えた。落ちてくるチャーリーに伸ばした手は空を切る。
「つぅ!」
 仰向けに床へ叩きつけられた撫子は、息を詰まらせて倒れる。
 目の前が出来の悪い抽象画みたいに歪んだ。
「撫子様!? 撫子様!」
 優雅に着地したチャーリーにだけは安心した。
 ほうきで集めた白いものを視界いっぱいに映したのを最後に、ぷつりと撫子の意識が途切れた。





「あなたのような優秀なホテルマンがここにいてくれれば、心配は要らないわね」
 女性の声がどこかで聞こえた。
「もったいないお言葉です、オーナー」
 聞き覚えのある男性の声がそれに答える。
 その声が誰のものか考える前に、撫子の視界はフィルムのように入れ替わる。
 雲の上を漂うように頼りない感覚が体を包んだかと思うと、ゆっくりと下降し始める。
 ぽすっと何か柔らかいものの上に落ちた。
「もう、子ども扱いして」
 今度は少年の声が聞こえた。
 撫子は頬に当たる柔らかさに、幼い頃母に膝枕してもらった感触を思い出す。
「だってあなたの髪、柔らかくて気持ちいいのだもの」
「見せたいものって何ですか?」
 さきほどの女性の声が軽やかな笑い声を立てて言う。
「オーナーの鍵よ。私の助けが必要になったら使いなさい」
 目の前に映ったものに、撫子は思わず声を上げた。
「あ……!」
 自分の声で目が覚めた。
 撫子は自室のベッドの上にいた。赤茶色の光が部屋を満たしていて、肌触りのいい毛布が肩までかかっている。
 左手が何か温かいものに包まれていることに気付いて、撫子は視線を上げる。
「気分はどうです?」
 緑の目をじっと撫子に向けているオーナーがいた。
「オーナー。その顔怖いです。目が脅してます」
 顔は笑顔なのだが、目がちっとも笑っていなかった。
「笑っていませんからね」
「怖っ!」
 撫子は少し身を引いたが、手は離してもらえなかった。
「私、何かしましたか?」
「お迎えがくるところでしたよ」
 撫子が首を傾げると、オーナーは低い声で告げる。
「この世でも魂があまりに痛むと、回収するために「お迎え」が来ます。あなたの世界で言うところの死神です」
「転んだくらいで死神が来るんですか!」
 お風呂場で転んだら命にかかわることもあると聞いたが、そう簡単に来ないでほしい。
「そうでなくてもお迎えが来ることはあるんですけど。あの方々の基準は私たちにはよくわかりませんから」
「いつ死刑執行人が来てもおかしくないとは」
「ともかく、転んだことが問題ではありません。あなたが大量に吸い込んだ記憶があなたの精神を痛める危険があったんです」
「記憶……? えっと、あの白いものですか?」
 意識が途切れる直前に撫子を襲った大量の白いものを思い出すと、オーナーがうなずく。
「倉庫のような日常的に掃除しない場所には記憶が溜まりやすいんですよ。元々死出の住人なら生まれた時から吸い込んでいますから問題ないんですが、あなたが慣れていないのを忘れていました」
「同感です。そんな未知のアレルギーがあるとは私も知りませんでした」
 生きていた頃は花粉症すらかかったことがない撫子には、想像もつかないアレルギーだった。
「私のミスです。記憶が散らばりやすい場所に近付かないのはもちろん、これからは掃除もおやめなさい」
「え!」
 撫子は起き上がってオーナーの袖をつかむ。
「大丈夫ですよ。ちょっと吸い込んだくらいで死にやしません」
 ハウスダストくらいで死んでたまるか。そう思って言った撫子だったが、オーナーは首を横に振る。
「退屈しのぎにさせている仕事で死なれては敵いません。何か別の仕事を与えますから、掃除はやめるように」
 有無を言わさない様子だったので、撫子は仕方なくうなずいた。
 撫子をまたベッドに横たえると、オーナーは額に手を当てて言う。
「よく眠って記憶を追い出してしまいなさい。何日か眠れば抜けるはずですから」
 ひんやりとしたオーナーの手は気持ちよくて、撫子は目を閉じる。
「オーナー」
「何です?」
 撫子はふいに目を開いて言う。
「私の中に入って来た記憶も、元は誰かのものだったってことですか?」
「そうです。だから捨てていいんです」
 オーナーは撫子の前髪をかきあげながら目を細めた。
「あなたが今を生きるためには、人が捨てたものなど気にしないんです」
 その声が真剣だったので、撫子はそれ以上言葉を続けられなかった。
「おやすみ、撫子」
 繰り返し頭を撫でられている内に、いつしか撫子は眠りに落ちていた。
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