男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

5、草原の男 ②

 指定された料亭は目貫通りから奥まったところにあり、人目の届かないところにあった。
 案内の後についてくぐった玄関の石畳みの上には、大きな水盤が置かれその中には溶け切らない巨大な氷の柱をすえ、見た目に涼を演出する。

 乗り気ではなかったラシャールであったが、靴を脱いで上がる造りだとか、青磁の器にあえて花を一輪だけ飾る内部のしつらえなどは興味がわいた。
 通された個室は、低いテーブルにその足元を掘り下げ足を入れられるようになっている。
 葦を赤と青の糸で織り込んだよしずが半ばまで降ろされていた。
 椅子文化のエールでは珍しい、東方の香りがする部屋である。
 ガラスの風鈴の音がわずかな風を捕らえ、リイイインと鳴り、涼やかさを添えていた。

「これは、すごいな。エールではないな。パジャンの、さらに東方の国々の風物だな」

 アリシャンがぐるりと見回していう。
 彼らが席につくと、次々に料理が運ばれてくる。
 食事は伝統的なエールの料理である。一つずつ説明してくれる。
 次第にラシャールとアリシャン分、まだこない一人分の料理も持ってきているのでテーブル全体が料理で埋まり、いろどり鮮やかで細工も美しい料理の数々が並ぶことになる。

「アリシャン、わたしは先に頂く。サーシャ殿が事情があり、来られないのなら仕方がないだろう」

 そう断って、ラシャールは食べ始めた。
 アリシャンもしぶしぶ口にする。
 半分ほどテーブルの上の皿の中身を胃に納めた頃、軽やかな足音とともにサーシャが現れた。
 舞台映えする化粧から普通の化粧に直し、その服は二の腕や胸元を大きく出したワンピースの薄物である。
 目のやり場に困り、アリシャンは目を白黒させている。
 髪は耳のラインよりもわずかに上のところで一つにまとめ、まっすぐな黒髪を肩に流している。
 その手には、エストが持つよりも派手な色をくみあわせたふわふわの扇を持っている。

「こちらからお誘いしたのにお待たせしてしまいました。はじめましてサーシャと申します。ラシャールさまとアリシャンさまですね。舞台の上からも、あなた方が楽しんでいただけていたのがわかり、おおいに勇気づけられましたのよ?」

 真っ赤な口が動く。なめらかなしゃべりである。
 隣でアリシャンが息を飲んだのがわかる。
 楽しんでいたのがわかったのなら感想などもういいではないかと、ラシャールは思う。
 至近距離で憧れの女優と話をしていることに食べることも忘れ、アリシャンは舞い上がってしまっている。
 サーシャのファンであることを力説し、今後も時間を見つけて舞台を見に行くことを約束している。

「エールに来て思ったのは、とても娯楽が豊富だということなんだ。世界中の食事もあるのではないかと思えるほどだし外部のよいところを取り入れるのも盛んだ。演劇は、俺の国にもあるが、これほど完成されたものはないし、劇場は外に設置される即席のものしかない。あなたはエールの国の人だろう?それなのに、そう思えない異国人の演技はなかなかだった!」
 体を乗り出しべらべらと話している。
 サーシャは完璧な笑みを浮かべて聞いている。
「ありがとうございます。ご満足いただけて嬉しいですわ!」
 なおもアリシャンの賛辞が続く。
 賛辞の嵐がひといきついたところサーシャの視線はラシャールに向けられた。
 発言するのを待つような間があるので、ラシャールも口を開く。

 この場所が東方の国の風物を取り入れていて快適だということ。
 エールは異国の文化を尊重し取り入れる土台があること。
 そのことを素晴らしいと思うこと。

「他にも部屋があるのですよ。部屋ごとに趣向をこらしていたりしますの。最近は特に東方の情報を仕入れては改装していて、高貴な方々にもご満足していただいております。ほら、わたくしの髪も、パジャンのポニーテールですが、そのままだと芸がないですから、少し横にずらしてみました。この髪型はどうですか?」

「パジャン風なわけですね!そんな風に横に結ぶ娘はおりませんが、サーシャ殿がそうされると、パジャンの娘たちも真似してしまいそうです!」
 アリシャンが割り込んだ。
 ふふっと上品にサーシャは笑い、白い腕を伸ばしてアリシャンの手を取りガラスのグラスをとらせた。
 透明な液体を注ぐ。シュワシュワと泡が立つ。注ぎ終わっても、ぷつぷつ子気味良いささやきが聞こえる。

「これは……?」
「これはブドウを発酵させた発砲酒です。アルコール度数は馬乳酒よりも三倍ほど高いのですよ。お酒はいろいろためされておられますか?何がお好きですか?」
「スクールは酒は厳禁だから飲んでいない。未成年が多いからだが」
 ラシャールは丁重に断った。
「アリシャンさまは?」
 アリシャンはラシャールの静止もむなしくぐいっと一気にグラスを空にする。
 サーシャは大きな目を丸くする。
「草原の男の成人は15歳。エールより早いから問題ない。それよりもサーシャ殿もお酒や食事を召し上がられたらどうだ?」
 アリシャンが言うそばから、空いたグラスにサーシャは酒を注ぐ。
「お強いですのね……」
 アリシャンは立て続けに何杯空けたのか。
 止めるのも馬鹿らしく、ラシャールはアリシャンの好きにさせておく。
 話したいのならば酒の量を控えて、相手に飲ませた方がいいと思うのだが、それだけアリシャンが初心なのだろう。
 案の定、アリシャンはラシャールの横で機嫌良く睡魔に襲われ、突っ伏して寝てしまったのであった。
 サーシャは申し訳程度に食事を口にする。
 居住まいを正してサーシャはラサールを正面からみた。
 その時、ラシャールはサーシャがあえて、アリシャンに酒を進めてつぶしたのだと感じる。
 寝てしまえば、アリシャンが何かを望んだとしても、問題も何も起こりようがない。

「スクールはいかがですか?先日は狩りなどなさったとか。逃げた鶏を生け捕りにしてくださったことは草原の者たちに対してみんな感謝しておりますのよ?誰も怪我などなさりませんでしたか?」
「別にたいした怪我はしていないですよ」
「そうなのですか。王城の、皆様はご健勝でしょうか」
「みんなとはどなたのことをおっしゃられているのでしょうか」
「それは、フォルス王とか」
「王とは顔を合わせる機会がございませんが」
「ならジルコン王子や、ジルコン王子が婚約されたアデールの姫の、その双子の兄王子はご健勝にされておられますか?」
 ラシャールをみつめる女の目は、どこか底光りしているような気がした。
 笑みを形作る口元は笑っているのに、笑っていない。
 サーシャが知りたいのはジルコンとアデールの王子の事のようだった。

「俺から情報をとりたいのか?他のスクールの参加者から聞き出したらいいだろう。あそこの席は招待席なら、他にも王子たちがやってくるはずだ」
「わたくしはあなたがいいと思ったのです。評判は前からうかがっておりますから。この目でみて、素敵だとおもいますし」
 胸の谷間を強調した大きくひらいた胸元を腕を閉めながら強調し、身体をラシャールの方に乗り出した。
 ラシャールは目をそらした。

「申し訳ないが……」
「ただスクールでジルコン王子がどんな様子なのか知りたいのです」
「ジルコンの動向を知ってどうするのですか」
「それは、わたくしの国の王子で、王位継承権のある唯一の男子だからです。個人的に興味をもって当然でしょう?ただ、知りたい、というだけなのですが」
「あなたは将来王妃になりたいとでも思っているのか?」

 そういったとたんに、サーシャの大きな目の中で欲望と野心が燃え上がった。

「王妃なんて思ってませんわ。わたしの才能を見出したのがジルコンさまでしたので。むしろ、わたくしはあちこち見聞したりして、その地で、自分の才能を存分に発揮してみたいと思っているぐらいですわ。パジャンの王族の方に気に入られてみたいとも思いますし、さらにこの部屋ような美しいみすを垂らした東方の国の王の前で、踊りを披露してみたりするのも楽しいのかもと思います。でもわたくしは今エールにいますし、東方に行ったとしてもいずれこの国に戻ってくるでしょう。エールの王子のことを気にするのは当然とは思いませんか?」
 
 ラシャールは席を立とうとする。
 白い手が伸びてラシャールの顔を両手の手のひらで押さえた。
 赤い唇がラシャールの唇に押し付けられた。
 ラシャールは女からの強引なキスに体を硬直させる。

「情報はだだで欲しいと申しているわけではないのですよ。実はいうと、ラシャールさまのこと気に入りました。ジルコン王子のことは知りたいと思うのですけど、本当は、あなたのことをもっと知りたいのです。草原の男がどんな風に女を愛するのか。草原の男の愛は激しいと聞きました。略奪婚の噂も本当なのですか?こうして、ここで、わたくしのことを愛したら、わたくしから女優の夢を奪って、パジャンに連れ帰ったりするのですか?」
 
 サーシャは頬を高揚させ目を潤ませて、ラシャールの手を取りその豊かな胸に押し付けた。
 ひんやりと冷えた胸は夏の暑さには心地いい。心臓の音が女の興奮をラシャールに伝えていた。

 だが、ラシャールの気持ちは波立ちも浮き立ちもしない。
 略奪婚など過去の遺物にすぎないのだ、と訂正するのも面倒だった。

 ラシャールはその手を抜いた。
 サーシャの顔色が変わる。
 己の美貌と魅力が通用しない男がいることが信じられなかったようだった。
 
「エールの女優とは娼婦と同義語とは思わなかった。わたしは情報をあなたの身体と交換するつもりはない。寝ている馬鹿はわたしの護衛を引き取りに来させるからそのまま寝かせておいてほしい」

 ラシャールはもう振り返らない。
 女がどんな顔をしているのかも興味がなかった。
 そのまま、料亭を後にしたのである。

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