男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

5、草原の男 ③

 エールの夜は不夜城の如き賑やかな歓楽街や食事処、しんと闇ふかい住宅街にくっきりと分かれている。
 日が落ちてまだそう時間もたたないうちに、来た時と町の表情がガラリと変わっていた。
 目貫通りまででれば王城まで一本道である。
 最短で戻るには歓楽街を通らなければならなかった。
 案の定、ラシャールの立て襟に膨らんだ袖は、最近、パジャン風の服装がはやっているとはいえ、眼を引いた。
 商売女や既に酒に酔っ払い、難癖をつけようとする男たちを、適当にいなす。

 ラシャールは速足で人の流れを進むが、中にはうまくよけきれない者もいる。
 少し前を歩くその娘はそんな一人だった。
 初めはそのパジャンのポニーテールにしている金髪が目についた。
 ふらふら肩がゆれ、不自然に腕を振っている。足取りはおぼつかない。
 膝より上丈のワンピースに、すらりと伸びた膝下がきれいである。足の甲で留める形で、銀色にきらきら光る珍しい素材の、ヒールの靴を履いている。
 足取りがおぼつかないのもそのヒールの靴のせいのようである。
 もしくは酒を飲んで酔っ払っているかである。
 若い娘が一人で歓楽街をふらふらしているのは危ないと思うが、ラシャールには縁もゆかりもない娘を気にかけてやる必要などない。
 厄介ごとは御免である。
 
 ラシャールは、そのまま追い抜かそうと思ったが、追い抜かす前に、娘は正面から来た羽振りの良さげな大柄な男の一人にぶつかった。
「う、わあッ!」
 声をあげて、娘はバランスを崩した。
 よろけて踏ん張ろうとして足首をぐねらせ、さらに崩れ落ちそうになる。ラシャールは腕を伸ばして支えてやる。
 娘はラシャールの腕にしがみつきながら、ぶつかった男に抗議の声を上げる。

「そっちからぶつかってきて、女を弾き飛ばしたのに、謝りも助けもせずそのまま素通しようなんて、エールの男たちは薄情だな!」
 ラシャールはその威勢のいい男口調にぎょっとする。
 その瞬間に、娘が誰だか顔を見ないでもわかってしまった。
 驚いたのはぶつかった男たちも同様である。
 連れと話すのをやめ、足をとめて、ラシャールに抱えられている娘を見た。

「なんだ、きれいな姉ちゃん。ぶつかってきたのはそっちだろ。俺の服があんたの化粧で汚れたことの方が深刻な問題だと思うんだが」
「謝らないつもりなのか?」

 往来で始まったもめごとに道行く人たちは足をとめ、たちまち人が集まりだす。
「ぶつかって悪かったと謝るのなら、許してやる」
 娘の憤りに、男たちは顔を見合わせにやついた。
 何かの合意が形成された。

「わかった。俺たちが悪かった。お詫びなら別のところできちんとしたいんだが、ちょっとそこまで付き合ってくれないか?」
 娘はうなずくと彼らについていこうとした。
 ラシャールは離れようとする娘の腕をつかみなおした。

「ロズ!まさかついていくつもりじゃないだろうな!」
 名前を呼ばれて娘の身体はびくりと跳ねあがり、ラシャールに顔を向けた。
 ラシャールが思った通りの、アメジストの雫が一滴混ざる青灰色の瞳である。
「どうしてわたしの名前を。ラ、ラシャール!?」
「靴を脱げ、走るぞ!」
「は、はああ??まだ謝ってもらってない」
「脱がないなら、俺が抱えて走る」
 ラシャールが担ぎあげようとすると慌てて娘は靴を脱ぐ。
「いい娘だ!走るぞ!」
 ラシャールはロズの手を取って走り出したのである。


 ロズとはエールの王都に来てしばらくたったころに再会した、アデールの姫である。
 そのロズは、なぜかエール国の夏スクールに王子として参加している。
 その理由を知りたいと思っているが、そのようなことは不用意に王城で問いただせなかった。
 二人は息を切らして、人込みを抜け、人通りがすくない裏道を走り、パジャンの店に雪崩込んだ。
 パジャンの王子の突然の来訪に、主人は手際よく奥の個室に通した。
 幾重にもフェルトの壁が厚くたらされた、雪の洞のような防音の効いた部屋である。
 ここはラシャールにとって隠れ家的な安全地帯のひとつである。
 部屋のそこここには大小のクッション敷かれ、あらかじめ馬乳酒とフルーツと甘い菓子類が置かれていた。
 ここで話すことは外には漏れることはない。
 密談ができる部屋である。

 一度ロズを連れてこの店には来たことがある。この奥の部屋に女を連れてきたのは初めてだった。
 竹の器に馬乳酒を注ぐと、ロズはごくごくと喉を潤し、クッションの上に倒れ込んだ。
 手に持っていたサンダルはそのあたりに投げている。
 かなり奔放である。

「いきなり走り出すなんて」
 頬を上気させ、楽しそうだった。彼女は基本的に走ることが好きなのだ。
 森の中を鶏を追った時も、森の中を走ったという。
 ラシャールは濡らしたタオルを持ってこさせて受け取ると、ロズの投げ出した足元に腰を下ろし、拭いてやる。
 ラシャールのやることに目を瞠るが、足を清めさせるままにしている。
 特にうっとりとするわけでもない。
 誰かかいがいしく世話をする者がいるならば、ついその者に身を任せてしまう。
 どんなに奔放でも、かしずかれて当然なところが田舎とはいえ王族の生まれの隠しきれないところである。

「……説明して欲しいんだが、ロズ」
「何を」
「どうしてひとりでふらふらして歓楽街を歩いていたのか。あれだから男に絡まれるのもしょうがない」
「それは、サンダルを試したかったんだ」
 ロズはサンダルを指さした。
「蛇革でサンダルをつくったんだ。履き心地を試そうとしたんだけどヒールが馴れなくて。歩いているうちになれるかなと歩き回っているうちに歓楽街に紛れ込んでしまい、ぬぐに脱げず。あんなに裸足で走ることになるのなら、途中であきらめて脱いだらよかった。一人なのは、僕は一人できたから。だけどみんな誰か護衛を連れてきているようだから、僕にもだれか来てもらおうかと思っている。いつも黒騎士たちに迷惑をかけられないから」

 ラシャールは両足裏を清めると、捻った方の足首に、絞り直したタオルを置いて冷やしてやる。

「ありがとう、ラシャールはいつも優しい。玉投げのボールだって、崖から飛んできてくれた時だって……」
「もうひとつ、説明して欲しいんだが。どうしてアデールの姫ではなくて王子のふりをしているんだ?」
「はあ?僕は、女ではなくて男だよ」
 即答である。
 だが、先ほど料亭で聞いた風鈴の、音が消えていく最後の余韻のようなわずかな震えがその声にあった。

「アデール国でわたしは娘のあなたに会っている。あの娘はロゼリア姫だった。あなたとあの娘は同一人物だ」
 娘はクッションから体を起こしていた。

「あの時の娘は僕だよ。女装していた僕とあなたは会っていたんだ。昔は体が弱くて、妹のロゼリアと立場を入れ替えていたんだ。これはアデールの秘密だ。それは七つのころから数年続いていて、元気になった僕とロゼリアは本来の性別に戻ったんだけど、入れ替わる習慣が抜けきらず、こうしてね。つまり、僕はたまに女装したくなって、ロズになるんだ。すっかり板についているでしょう?僕の、女装」

 ロズはラシャールから目をそらさない。
 一語一語、その効果を確かめるように言う。

「女装だって?」

 上半身をクッションから起こしてはいても、毛足の長い絨毯に腰を下ろしワンピースの裾は乱れている。
 美しくも無防備な足を投げ出し、片足をラシャールの足に乗せていた。
 その足は男だと言い張るには華奢である。

「体が小さいのは、夜月の鶏冠や耳朶が小さいのと同じ。メスに見えてもオス」
「そういいはるのか?」
「何度も言うよ。僕は、アンジュ。あなたの目からどんなに娘にみえたとしても、僕の女装歴は長い。アデール国民全員をたばかってきた。ラシャールが惑わされるのも当然だよ」

 ラシャールの膝に乗せる足を掴んで開き、脚の間に割り入り、ワンピースの奥をまさぐれば、男か女かなど一瞬で判明するはずである。
 だが、自分を男だと言い張るロゼは、すんなり探らせないだろう。
 死に物狂いで暴れ蹴り上げ、逃げようとする。
 ラシャールは俊敏な動きでロズの抵抗を封じる。
 身体能力は誰にも負けない。
 手首を頭の上で押さえ、体重をかけ、暴れる体を押さえつけ、クッションと己の身体に閉じ込める。
 柔な素材の服など力任せに引き裂き、肌をあらわにさせ、そのふくらんだ胸をまさぐりキスをすることだってできる。
 この場で女としてラシャールに奪われ愛されれば、もう自分を男だとは言えなくなるだろう。

 ラシャールは己の中に欲望が膨れ上がるのを感じた。
 ここは、男が女を連れ込む部屋でもあった。


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