男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

5、草原の男 ④

「僕の女装癖を黙っていてほしい」
 ロズは言う。
 いや、妹姫の名前をかたるアンジュ王子なのか。

「ただでさえ女に見られがちなのに、女装癖があることがわかれば困ったことになりそう。ラシャール、どうか黙っていて」
 アデールの王子は眉を寄せて当惑したようにいう。
 男ことばを崩さない。
 その懇願する姿に心が引かれた。 
 同時に、困らせてやりたいという気持ちも起こる。
 
「どうしてわたしがあなたの恥ずかしい女装癖をだまっていてあげなくてはいけないんだ?ロゼリア姫はわたしの求婚をはねのけてエールの王子と婚約したのに?どうして全く無関係のわたしがあなたの名誉を守る必要があるのか説明してほしい」
「あなたは僕の名誉を守る必要ないけれど。でも僕は困るから」
「おんな口調で話してくれれば検討してもいい」

 アデールの王子は体を完全に起こした。
 青灰色のまなざしは、ラシャールの目を離さない。
 ラシャールの膝の上からするりと足が抜かれた。不意を突かれて足を捕まえるタイミングを逃してしまう。
 だが、アデールの王子はラシャールから逃げたわけではない。
 ただ、身体を起し、視線を合わせたまま顔を近づけただけだ。
 あの女優のようなこれ見よがしに存在を主張するような濃厚な香水ではない、鼻をくすぐるようなバラの香りがする。

「パジャンの使者どの。あなたののぞみは何ですか?いわないでいてくれるのならば、わたしにできることなら力を貸しましょう」

 その言葉は、美しいなめらかなパジャン語であった。
 ラシャールの頬に、草原の風が触れたような気がした。同時に、アデールの王子の背景に森ではなく、風にざわめく海原のような草原が広がるような錯覚。
 声色はアデールの王子が、あの時の娘であることの確証をラシャールに与える。
 だが、同時に、アデールの王子が言うように、彼女もアデールの王子の女装だということもありえた。
 ラシャールの盤石であったはずの確証がゆらぐ。


「わたしにキスを」
 ラシャールは言う。
 はっと見開いた青灰色の瞳がゆれる。
「絶対に黙っていると約束してくれるのなら」
 ロズの紡ぐパジャン語にぞくりとくる。
「……約束する」
 
 アデールの王子の手が肩に置かれた。
 目がきつく閉じられ、大きく息を吸った唇がぎゅっと引き結ばれる。
 顔が勢いよく寄り、唇がラシャールの頬にぶつかった。
 その衝撃に、ラシャールは笑いそうになる。
 潜水するかのように息を止めた状態でされる頬への激突キスとは思わなかったからだ。
 己の美貌とその利用価値を知り尽くしているあの女優とは全く違う。
 そして、与えられたキスに対するラシャール自身の反応も違っていた。
 
「これで、絶対に約束……」
 完全に離れてしまう前に、ラシャールはその後頭部を押さえて自分の方に引き寄せた。
 驚き、あっと開いた唇を追いかけ唇をかさねた。
 何か言おうとした舌を己の舌で封じ言葉を紡がせない。
 ふわりとした唇の弾力と柔らかさにラシャールは夢中になる。
 唇の震えさえも、愛おしいと思う。
 
 頭を押さえている手と逆の手で、アデールの王子の背中を撫で下げた。
 そのまま細い腰を抱えるようにして手を添え、背後のクッションに押し倒した。

 今なら、アデールの王子が本当に女装しているアンジュなのか、ロゼリアなのか容易に暴くことができる。
 ワンピースの下から手を差し入れまさぐるだけですぐにわかる。
 もしくは服を引き裂き胸に顔をうずめれば。

 女であれば、この場で容赦なく奪うつもりだった。
 ロズの身分がアデールの姫であれなんであれ、かまわない。
 そして翌朝にはエールの王都を去り、パジャンに連れ帰り自分の妻にする。
 普段がどんなに穏やかにみえても、愛を貫く状況が難しいのであるならば、草原の男は強硬手段をとることも厭わない。
 ジルコン王子が言うように、草原の男の恋は一度火がつけば激しく燃え上がる。
 声高にいえないが、略奪婚は、過去の遺物とはいえ、全くないということではないのだ。

 そうなればアデールの王子は今夜限りに姿を消すことになるだろう。
 なにか事件に巻き込まれたのかとエールの王都は大騒ぎになるだろう。
 ジルコン王子は石畳みを全てひっくり返してまで捜索するかもしれない。
 そして、失踪したアンジュ王子はその遺体でさえもみつからないのだ。
 
 だが、万一、アデールの王子の言葉がそのとおりで。
 この手が男である証拠をつかんだならば。
 それでも彼を愛せると思う。
 自分が気に入っているのは、彼が名乗ったロズ、その人なのだから。
 女の場合と同じく略奪するのか、たまゆらに抱くのか。
 女装の秘密をちらつかせれば、きっと意のままになるだろう。
 もしかして性癖も女であるかもしれない。
 体を重ねれば、取引とは関係なく、彼の愛も得られるのかもしれない。

 だが、自分は遅かれ早かれ子を残さなければならない。
 周囲からの圧力は年々強くなっている。
 彼を愛し、略奪した場合は、傍に置きながらも子をなすために女を抱くことになるだろう。
 そんな状況に、彼が耐えられるのかどうかわからない。
 そうなれば、自分は彼の愛を失ってしまうかもしれない。


 今ここで、アデールの秘密の真実を暴いてしまえば、ラシャールの人生とアデールの王子の未来が決まるという確信があった。
 知ってしまった結果、下さなければならない決断の重さにラシャールは震え、そして躊躇した。


「あ、はあっ」
 アデールの王子が苦し気に喘ぎ、ラシャールはようやく唇を解放する。
「重いから、どいて」
 涙を浮かべながら命令されて、いわれるままに解放してしまう。
 アデールの王子はよろけながら立ち上がり、手の甲で唇を拭っている。
 
「ラシャール、ひどすぎ。口へのキスだとは思わなかった。キスの代償の約束、しっかり守ってもらうから」
 憤慨しながらも、サンダルを手に取っている。
 そのまま乱暴に床を踏みしめながらづかづかと部屋をでる。
 ラシャールはその背に声をかけた。

「どこに行くんだ?その足で」
「着替られるところに戻る!すぐ近くだから来なくていい!」


 ラシャールはロズが背にしていたクッションに体を落とした。
 仰向けになり、ロズがしたのと同様に手の甲を唇に押し付ける。
 だが、拭うのではなくてロズの唇と熱の感触をとどめておくため。

 結局、ラシャールはアデールの王子が男装しているロズなのか、本当に男なのか確認できなかった。
 欲望のままに突き進むことができなかった。
 自分の決断に巻き起こるであろう波乱と混乱への覚悟が、今は足りない。
 夏スクールは折り返しにもきていない。
 まだまだ続く。
 そのうちに、アデールの王子が男なのか女なのか、わかるときがくると思う。
 その時までラシャールは己の決断を先延ばしすることにしたのだった。



5、草原の男 ④ 完
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