男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

49、馬小屋 ②

いつも斜めに構え、余裕な笑みを浮かべているウォラスには、直視したくない現実があった。
ここには誰もいない。
静かに飼葉を食む馬たちだけである。
だから独り言つ。

「そうだよ、俺は可哀そうなヤツだよ。本当に好きな人には好きと言えないのだから。
手を伸ばしたら触れられるほど近くにいるのに、触れてはならない。
彼女を忘れさせてくれる女を探しても、いつまでたっても現れない。結婚している女にも、それから男にだって手を出したさ。だけど、俺の心の中から彼女は出ていきそうにないんだ。
そして、その彼女は俺の恋心など歯牙にもかけていない。
俺は、幾人もと浮名を流す、退屈な暇人の、遊び人だからな。こんな相手に本気になるまともな女なんかいないだろう、、、」

こつんと塗り壁に後頭部を打ち付けた。
銀色の巻き毛が窓から差し込む日差しにきらきらと輝いた。
熱量を増していく日差しがウォラスの頬を温めていく。
ようやく目を開いた。
その時には、いつものウォラスに戻っている。
退屈しのぎを見つけて、いたぶることを楽しむウォラスである。

「なんだ、ジルコンに加えてあいつもアンジュを本気で?森と平野の国の王子と、草原の国の王子とが一人の男を取り合うなんていうこともあるのか?
まさかな。確かにあいつは気になる存在ではあるが、これはもしかして退屈な夏スクールが、がぜん面白くなりそうな気がする」

ウォラスは体を起こす。
いつもの余裕の表情はもう取り戻している。
落ち込んだのはほんのひと時。
誰も見ていないし誰も聞いていない。
苦しい内側の独白を知っているのは馬たちだけなのだ。
身体に付いた藁を払い、身だしなみを整えた。
自分の馬を触りもせず、ウォラスは馬小屋を出たのである。




ラシャールもウォラスも全く気が付かなかったことがある。
二人が時間差を空けて出て行くのを息を殺して物陰から見ていた者がいたことである。
彼は、馬小屋に一人になってからもさらに十分な時間をあけた。
ようやく深いため息をつき、恐る恐る自分の馬の影から頭を上げる。
パジャン派の、眼鏡のレオである。

その彼は、約束の時間よりも早く来たラシャールよりもさらに早く、馬小屋でロゼリアとベラが来るのを待っていたのだった。
男にしては細身の体型で、騎馬が主体の草原の国で育っているにも関わらず、運動が極めて苦手という欠点があった。
さらに、彼は地味で目立たない外見に性格である。
性格がそうだから外見がそうなのか、外見に引きずられて地味な性格になったのか、レオ自身にも悩むところである。
だが、突き詰めて考えるのも馬鹿らしかった。

あの球投げ競技の時も、レオがいないことなど誰も気が付かなかった。
同族であるパジャン側の者たちもである。
競技が始まりこっそりと日陰で声援を送る仲間たちに紛れたのだが、一度も試合に呼ばれることはなかったのだった。
自分がでても足手まといであるとは思いつつ、自分が試合に呼ばれないことにどこかほっとしつつ、その場は笑顔で声援を送る。
だが、レオが不機嫌な顔をして声援を送らなかったとしても、誰も何も思わなかったのかもしれない。
上機嫌であっても怒っていても、自分が何かに欠片でも影響を与えることなどないと思うのだ。

だが、そうは思ってもその日、夜に自室に戻りベッドに横になり、虫の音を聞いていると悔しさに涙が流れ出て止まらない。
無視されるくやしさ。
運動ができない不甲斐なさ。
自分が取るに足りない存在であると自覚していることの悲しさだった。

レオはベラを知っていた。
やる気のなさは明らかで、自分よりもみじめそうだった。
だから初めから気になった。
彼女がいることで自分が地味で目立たないのも、他にベラというみっともなくて目立たない存在があることで薄まり、許されるような気がした。

赤い毒々しいジュースをジュリアにぶちまけたときのみっともなさは、笑ってしまえるぐらいだった。
汚れた真白のショールを別物に直してジュリアに渡したとき、驚いた。
自分とおなじ底辺にいたはずのみっともないベラは、変わろうとしていた。
そして、食堂での、アデールの王子への朝練のお願いである。

レオは置いていかれると思い、これ以上ないほどあせった。
だが、そのベラの勇気は素晴らしいと思った。
食堂での例の一件の、ベラの勇気に触発された。
あのベラでさえも頑張ろうと決意したのだ。
自分もベラとアデールの王子と一緒なら、頑張れるような気がした。
自分にも、毎日ベラとアデールの王子と自主的な朝練だけでも頑張ったという思い出が欲しかった。

そして馬小屋で、大人しい愛馬をくしけずりながら待っていた時。
誰かが来る。
咄嗟に身を隠す。
それはパジャン側の王のごとき男、ラシャールである。

まさか自分以外にも参加するものがいるとは思わなかった。
それが、ラシャールなのだ。
運動神経も並外れて優れている。
格闘技も強い。
彼には何も欠けたるところがないではないか。

ラシャールには落ちこぼれたちと朝練する必要性などまるでないようにレオには思われた。
なぜに?と思っているうちに、色男のウォラスが来て、馬の影から出るタイミングを見失ってしまった。
グランドでは、なんとエールのジルコンも合流し、ベラを一人走らせたまま、彼らで体術の手合わせを始めている。
そして、馬小屋ではじまったウォラスとラシャールの対決である。

なすすべもなく、レオは委縮し息を詰める。
自分がいることは気づかれてはならないと思った。

レオの馬は一番奥で、大人しい雌馬である。
その主人のレオが、己を世話をするわけでもなく固まっているという挙動不審な行動にも、ラシャールが出て行き、ウォラスが独り言をぶつぶつ言い始め、なにか楽し気なことを思いついた様子となり、そのうちに出て行っても、雌馬は動じない。

レオを貼りつかせたままヒンとも鳴かなかったのだった。





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