男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

53、夜月と銀の輪

 エストは二つ続きの部屋を借りている。
 生活する場の部屋と、続きの間の一室は国から連れて来た黒鶏の、夜月のための部屋である。

 エスト以外に、伝書用の小鳥を連れてきたり、愛玩の猫やペレット、爬虫類などの小動物を連れてくる者もいる。半年にわたる長丁場の夏スクールのため、動物を飼うことに関して寛大であった。エール側は、指示した特別な配合の餌や、少しさぼると手に負えなくなる掃除などの衛生面に関しても、専門の小間使いを用意してくれるなど特別な配慮をしてくれていた。

 夜月の部屋も快適に整えられている。
 上下運動をさせるための高さや角度を変えた棒を渡し、藁を敷いた寝床を天井近くの高さに設置し、十分な運動と快適な睡眠をとれるようにしている。ベランダへの窓には縦の格子を嵌めてもらい、開け放していても外に行けないようにしている。絶えず空気を循環させ、外界からの刺激を取り入れるようにしている。

 夜月は王が飼っていた闇夜よりも黒いのではと思えるような漆黒の黒鶏のメスと、王家主催の鶏の品評会でダントツの美しさで優勝の栄冠を抱いた雄鶏を掛け合わせた子である。

 父王は冷静沈着な目で、ふ化したヒヨコの成長を追う。
 母の黒さと父の羽の美しさと歌声のすばらしさを引き継いだ優秀な次世代から、また次の素晴らしい特徴を引き継ぎ、もしくは親を超えそうな素質を持った子を選りすぐる。
 そうして、優秀な親同士を掛け合わせて、さらに優秀で優美な国鳥を生み出すことが育種家である父王の楽しみであった。

 同じ親から生まれてきたのに、特徴は一つとして同じではない。
 王が選ぶのは、親と同様か、それ以上の際立った若鶏たちで、選ばれたものは特別の環境で、特別の餌で、特別の育種管理人にまかされて、育てられた。
 王の丹精を込めて育てた鶏は、品評会の各種部門で何度も何度も優勝をする。
 エストは子供のころからそれをみて育つ。
 美しく成長していく鶏たちに、心が踊った。
 
 エストはある時、選ばれなかった鶏がどうなるのかと父王に聞いたことがある。
 父王は涼し気な顔で昨夜のスープはうまかったかと聞く。
 どういう意味か分からない。
 スープはいろいろな具材が入っていた。
 ベースになる肉は何の肉だったか。咄嗟には思い出せなかったが、まずかったという印象はない。
 いつものように美味しかったですとエストは答えた。

 父王は笑う。
 「ならよかった。特段取り立てて優秀ではない鶏はただのニワトリだ。我々の胃袋を満たす役割を果たせれば、その命を全うしたことになる。それで十分だ」

 エストはその瞬間吐き気を催した。
 父王が数羽を選ぶまで、父王は分け隔てなく若鶏を慈しみ愛情を注いでいたのだ。
 選ばれたコはいい。その美しい羽と美声を引き継ぐ子孫を残していける。
 なら大多数の選ばれなかったコは?
 選ばれたコとそうでないコの差は、生と死を即時に分けるほど、隔たりがあったのだろうか?

 父王の言う通り、人は命をいただかなくては生きていけない。
 この世の全ての生物は、何かの犠牲の上に成り立っている。
 そしてこの身でさえ、いずれ誰かや何かのために死んでいくこともあるのだと思う。

 なら、自分はどうなのだ?
 自分は父王の優れた資質を引き継いでいるのか?
 鶏の目利き力はあるのか?民を率いるのに十分な思慮はもっているのか?
 自分が決断する時、皆は従ってくれるのか?
 自分は果たして王のあとを継ぐのにふさわしいと思われるような息子なのか?

 エストが恐怖したのは、父王はエストを後継者に選ばないかもということである。
 エストは王の一番目の子で、自分の下に男女合わせて五人いる。
 それまでは、なりたいものが王になればいいと思っていた節があった。
 だが実際は、エストが選ばれなければ、それは即、死を、もしくは死と同等なものを意味することを悟ったのである。

 エストは勉強はそれなりに取り組むが、それ以上に鶏の鑑賞が好きで育種の目利きを養い、美しい鶏の羽や卵の殻などから生まれる工芸品を愛してきた。
 

 だが、それだけでは王には足りないのだ。
 父王を超えていないのだ。
 自分よりもまだ幼い弟を、父王が資質を見込んで次期王にふさわしいとしたら?
 自分は、選ばれなかった鶏になるのではないか。
 
 エストは変わる。
 父王よりもより優れた資質を持っていると思ってもらうために。
 それだけ生き残る可能性が高くなる。
 そのためには、自国だけではなく、視野を広げ学ぶ必要があった。
 ジルコンの広く王族を中心にした若者を集めた勉強会は渡に船だった。
 それがエストがこの夏スクールに参加する動機であった。
 
 連れて来た夜月は、父王が選ぶことのなかったコである。
 同時期に生まれた兄弟姉妹たちよりも、一回り小さかった。
 小さいは弱いに通じる。
 美しさや歌声を競うとはいえ、強さも重要な要素であり、歌声は成長しきらないとわからないところなので、選別のしようがないが、小さいコは早い段階に落とされる。

 エストは駄目の箱に入れられた真黒のコを取り上げた。
 ぱっちりと開いた目はまっすぐにエストを見る。
 口を大きくあけて餌をねだる。
 まだ飛べないのに羽を大きくばたつかせる。
 ちいさな身体の割に、アンバランスに羽は大きい。
 地面を蹴る指は完璧な角度と長さと強さを生後10日で備えている。
 姿勢も凛とした気品のようなものを感じられた。
 他にも選ばれなかったコはいたのだけれど、エストはそのコが気に入ってしまった。

 それで拾い上げた。
 王の鶏は確実に廃棄されるまで厳格に管理されていたが、夜月は免れた。
 全身闇夜のように真黒なのに、額にまん丸い白い点があった。
 漆黒の黒さは母親の特徴を強く引き継いでいた。
 父王には選ばれなかったけれど、夜月は素晴らしい『メス鶏』になるとエストは直感したのである。
 初めて、自分が鶏を選んだのだった。

 それ以来、夜月は共にいる。
 呼べば、多少鳴くし、どこにいても飛んでくる。
 父親譲りの歌声の才能は、残念ながらまだ開花していない。
 早く仲間から引き離してしまったことが影響しているのかもしれなかった。
 相変わらず身体の割にアンバランスに羽は大きかった。
 それに、そろそろ伴侶を求めてもいい頃だった。
 
 爪の武器が禁止になったとはいえ、闘鶏はまだ血なまぐさく、鶏冠や羽がぼろぼろになってみるに堪えないのではあるが、エール最大の闘鶏場は、エール国最大の育種愛好家が集まり、常時、品評会や、交換会、繁殖の相手探しに雛の売買などが行われているところでもあった。
 エストは、その育種愛好家広場に行くついでであるのなら、バルドを筆頭にした男子たちが騒いでいる闘鶏につきあってもいいかなと思ったのであった。

 
 交流会の後、エストの鶏を見せて欲しいという友人たちが入れ替わり立ち代わりやってきて、夜月を鑑賞していく。
 草原の者たちは夜月を見たら瞬時に獲物を狙う目になる。
 かれらは基本、狩る者なのだ。
 農耕を中心に生活する森と平野の者と異なっている。
 そういう目を見たとき、エストはこいつらは気を付けなければならないな、と心に刻む。
 酒を飲んで酔っ払ったりしたら襲いに来ないとはいえない。
 次に、見る者は一様に、技巧を凝らした銀の足飾りがついていることに驚く。フィンから購入したものである。

 人の流れが止まり、エストは一息ついた。
 明日闘鶏に行くといっていた者たちはだいたいが来たようである。
 女子は男子の階には入ってこれない。
 誰がまだ見に来てなかったかな、と思った時に、控えめに扉が叩かれた。
 開けるとアデールの王子であった。

「見に来たんだけど、夜月だっけ?僕のところの黒鶏とどう違うのかなって思って」
 エストは招き入れた。
 きょろきょろと部屋を伺い、しげしげと夜月を眺めた。
 それだけで好奇心旺盛であることがわかる。
 アデールの王子は夜月に話しかけた。

「お前はとても綺麗だね。ごめんね、遅くに来てお邪魔して。これはお土産、食べてくれるかな?」
 櫛型にカットしたリンゴを差し出した。
 そんなもの食べるはずはないだろ、夜月は穀物と虫しか食べない。
 エストは言いかけた。
 だが、夜月は首をかしげてアデールの王子とリンゴを見比べると、エストが驚いたことにぱくついた。
 アデールの王子はあははと笑う。

「やっぱりクロと同じだね。リンゴが好きなら夜月はキュウイも好きだよきっと。じゅくじゅくのではなく、まだ青い、固いヤツ」

 クロとはベランダに餌をねだりにくる半野生の黒鶏のことのようである。
 持ってきたリンゴをすべてやると、アデールの王子は満足した。
 餌を持ってきた人は他にはいない。夜月もまん丸い目を細めて満足そうである。
 
「僕も明日行こうと思うんだけどいいかな」
「闘鶏に?」
「闘鶏もだけどいろんな鶏を見てみたい。歌声なんかも聞いてみたい」

 ここに闘鶏の興奮よりも、美しさに興味がある者がいてエストは嬉しくなる。
 ついにっこりと笑いかけてしまった。
 一度も授業中も授業外でも、彼にはみせたことのない笑顔である。
 自然な笑顔はとめられないではないか。
 アデールの王子は、艶やかな花のような笑顔をエストに返した。

 エストはそれを見て、交流会の時に妄想した、白鶏の綿毛を紡いだショールを羽織り、女のように美しく装うアデールの王子を再び見てしまう。

「夜月は、気品あふれる『オス鶏』だね。クロに合いそうだ」
「オスじゃないよ、夜月は『メス』だよ」
「え?ええ?そうなの?本当に?わからなかった」
 アデールの王子は驚いた。
 どうして雄と思ったのか訊く前に、最後の客は出て行ったのであった。



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