もう二度ともう一度

「帰還」

暗い。まるで視界の利かない真っ暗な深い闇、そんな沼の底へ沈む様な感覚だった。
 身体は酷く重たくて、もちろん呼吸も苦しい。息が出来ずに死んでいくとはこの様なモノだろうかと思えた。

「眼を、開けなくては」

 光だ。それは久しぶりに見たような、外世界の光だった。
 瞼が開いた時、激しい頭痛を覚えて薄っすらと天井が見えた。その色や蛍光灯の形は他に視線を這わせる事を躊躇わせた。

「ここって、おい!?」

 恐る恐る、周囲を確認した。それは早川には懐かしい部屋模様だった。

「なんでだ!?」

 ここの景色は彼が少年の頃、母親と暮らしたアパートのそれだ。
 飛び起きて、台所まで走った。蛇口を撚り勢いよく水が出てそれをかぶり付く様にそのまま飲んだ。

「こんな、こんな事があるもんか!」

 夢か?そう思いながら、テレビを点けた。どこを回しても少し古臭い様な内容で、夕方の空色なのに戦隊モノも映った。
 カレンダーは平成五年とある。頭がおかしくなった気がした。

「これ・・」

 テーブルには食事がラップされていて、茶碗が伏せらていた。その下にメモがあった。

【休みだからって寝てないで勉強しなさい】

 母親が書いたメモ。しかし、彼の記憶ではもう10年以上前に亡くなった人だ。立っていられなくて、テーブルに崩れる様にもたれた。

「おぉ・・おふくろぉ!」

 人間がどんなに複雑な感情に飲み込まれた時こんな声が出るのかは知れないが、この声が彼の母親への感情の全てなのかもしれない。

「夢じゃない、夢なんかじゃないんだ・・戻って来てしまった!」
 
 早川は頭を整理していた。もう元に戻る手立てもないし、ここで生きるしかない。
 時間は逆行し、もう一度あの死の瞬間を書き換えるしか無いのだ。
 もしかしたら、今自殺すればさっきの数分前にまた目覚めるかもしれない。あの男の口ぶりからして、どこでリセットしようとも、あのカードに記入された日に戻る可能性が高い。
 
「いや、やれる。やり方はあるんだ」

 呻いた。早川は記憶を辿り思案しながら、今後をどう生きるか考えていた。
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