冷徹御曹司は初心な令嬢を政略結婚に堕とす
彼はひとつ(かぶり)を振ると、その美しい顔に自嘲を浮かべた。

「……政略結婚に愛はいらない」

静寂に満ちた薄暗い寝室に、月のない夜を思わせる彼の冷たい声だけが響く。

「恋情、愛情、劣情などなくても、紙切れ一枚で夫婦にはなれる」

宗鷹さんは頬にかかった藍墨色の髪を、骨ばった男らしい手で煩わしげに搔き上げる。そして、薄く形の良い唇を微かに緩めた。

「そうだろう?」

あまりにも冷淡な表情と声音に、私はただ息を呑んだ。
唇から吸い込んだ空気が、胸の中を凍てつかせる。

……それなら、今までのキスは……どういう意味なの……?
さっきまでの愛してやまないと伝える瞳は、なに……?

「俺は君の唇も、名字も、帰る場所さえも奪ったが」

文字通り〝紙切れ一枚〟で夫となった宗鷹さんは、まるで持ち主に捨てられた悲しい人形にでも触れるかのように、私の心臓へそっと長い指先を這わせる。

「あ……っ」

そんな場所を男性に触れられるなんて初めてで、艷めく指先の感触にふるりと体が震えてしまう。
すると彼はわずかに目を見張り、ぐっと眉根を寄せた。
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