Summer Day ~夏の初めの転校生。あなたは誰?~
8月の夜の鼓動
ゆらっと一瞬したもののすぐに体勢を整えると、自転車はスムーズに進んだ。
「わ!安定の走り!」
奈津は楽しげに言った。
「だろ~!体幹はある方なんだよな!」
コウキは顔を横に向け、フフンとドヤ顔をする。手のひらに触れる彼の体は筋肉質だった。ふと見た動画を思い出す。時々衣装がめくれて見えるヒロの腹筋は悠介のように割れていた。改めて、コウキはヒロなんだと実感する。服の上からでは、ただ華奢なだけにしか見えなくて、運動とは無縁と勝手に思い込んでいた。だから、信じたくない気持ちも後押しして、余計にコウキとヒロが重ならなかった・・・。
 奈津は自転車を漕いでいるコウキの顔を下からのぞき込む。背中越しに耳とあごのラインが見える。今日はピアスはつけてない。息を吸い込んで明るく話す。
「コウキはメンバーの中で誰と1番仲がいいの?」
自然と『コウキ』と呼んでいる。そして、核心から離れた、たわいもないことを訊く。そして、それはコウキも同じだった。一緒でいられる貴重な時間、二人の空気がなるたけ重くならないように・・・。
「みんなと仲いいからなあ。難しいなあ。でも、やっぱ、同じ歳だし、ジュンかな。」
「ジュン?待ってよ!思い出す!えっと・・・。空港で赤い髪だった美少年の子!」
「あ・・・・当たり・・・。」
そして、チラッとコウキが後ろを振り向く。なんだかふてくされたような顔をして。
「あいつ、奈津に美少年とか言われてる~。くっそ~!」
そして、笑う。
出会っていなかった頃を埋めるように、二人は話をした。たわいもない話を・・・。奈津は韓国でのコウキ、アイドルとしてのヒロを垣間見る。彼の笑うときに躍動する筋肉や、揺れる髪、コロコロと響く笑い声、そのどれもが奈津をドキドキさせた。でも、それは、彼がコウキだった時から変わらない。奈津はいつも彼にドキドキしていた。そして、何より、彼といると奈津は安らぐ・・・この安らぎがたとえ、期限付きだったとしても・・・。
時はイタズラに過ぎていく。自転車は、もう、奈津の家の近くまで来ていた。自分の気持ちに渇を入れるように、奈津は、コウキの体を持つ手に一瞬ギュッと力を入れた。そして、ぴょん!奈津は自転車から飛び降りた。
「あっ!・・・ととと!」
ヨロッ。かっこよく着地するつもりが奈津はよろけて尻もちをついた。
プッ、ハハハ!奈津は笑う。尻もちをついたまま。
「もう!動いてる自転車から飛び降りるから!ハハハじゃない!」
自転車を停めると、コウキは慌てて奈津に駆け寄った。頭に黄色いひまわりの飾りをつけたままの奈津がサッカーウェアで尻もちをついている。そのなんとなく間抜けな姿に、コウキも思わず「プッ」と吹きだす。笑いながら、その彼女の間抜けな姿さえ、眩しく感じている自分に気づく・・・。そして、奈津を起こそうと手を伸ばす。ウエアから出ている細い腕がコウキに向かって伸びる。その手を握り、引っぱって起こす。
「ごめ~ん!」
引っぱられながら起き上がり、おどけて謝る奈津。コウキはそのまま奈津を自分の体まで引き寄せた。彼の体が奈津を覆う。奈津の髪が自分の顔に触れてから、自転車を漕いでて自分が汗まみれだったことに気づく。
「ごめん・・・。汗だくだった。でも、このまま・・・。」
そして、コウキは何も言わなくなった。奈津の頭に自分の頬を当てたまま・・・。奈津もコウキを抱きしめたくて両手を動かそうと試みた。でも奈津の両腕はコウキの腕に力強く覆われ、動きを止められた。重なったまま二人の時が流れる・・・。コウキの首筋の汗が奈津の髪と頬を濡らす・・・。コウキは力を緩めると、奈津の背中に回していた両手を上にスライドさせ、奈津の頬を包むように覆った。数センチ先にあるコウキの目が奈津の目を優しく射抜く・・・。
『キスだ・・・』
思わず奈津は体に力をいれると、ギュッと目をつぶった・・・。早鐘のような二人の鼓動が真夏の夜の空気に絡み合うように静かに溶け込んでいった・・・。

 予想通り、案の定、部活の雰囲気は悪かった・・・。いや、悪かったのは全体ではなく、一部の奈津に対しての態度だった。和田くんと3人の2年生と詩帆ちゃんは妙によそよそしく、必要最低限、仕方のない時だけ接してくる。壮眞に至っては、睨んでくる上にガン無視だった。悠介は・・・感情のこもらない声で社交辞令的なやりとりはしてくれるが、奈津のことは一切見なかった。
当たり前だった。誰より、何より優しい悠介の目の前で、わたしはコウキの手を取った・・・。わたしは、悠介の優しさに甘えた。これは当然の報いだ・・・。
「奈津さん!」
そんな中、まなみだけは違った。何が楽しいのか(分かるような気はするが)、昨日からラインもひっきりなしだし、今日も何かを聞きだそうと猫なで声でやってくる。
「ツィッターにジュンがあげてた写真にヒロが写ってたんだけど・・・わたしには分かる!あれはヨンミン!」
「ね、そうだったんでしょ。本物でしょ。」
すれ違う度に、小声で何かを言ってくる。
「奈津にちゃんと会いに来たんよ!やっぱり両想いだったんよ!」
何も知らないまなみは脳天気にちゃかしてくる。でも、奈津はそのまなみの脳天気さが好きだし、今は本当にありがたかった・・・。多くを語れないわたしなのに、変わらずいつものように接してくれる。
午後を少し回って、部活が終わった。奈津が部室から出ると、着替え終わった悠介が自転車置き場に向かっているのが見えた。一人だ。奈津は駆け寄って行った。
「悠介!」
奈津の声に立ち止まると、返事もせず悠介が振り返った。その目には静かな怒りが宿っている。
「あの・・・、あの・・・、昨日はごめん!傷つけてごめん!」
奈津は思いっきり頭を下げた。
「いいよ。もう・・・。」
抑揚のないその言葉に、悠介のやるせなさが伝わってくる。しばらく沈黙が流れる。話したりないまなみが奈津を追いかけて来ると、ちょうどこの場面だった。まなみは慌てて木の後ろに隠れる。
「悠介の気持ちをもてあそんだみたいになって・・・、ほんとにごめん。」
奈津は頭を下げたまま、もう一度謝った。
「もう、いいって。」
ため息交じりに悠介は答えた。そして、一息つくと、悠介は頭を下げたままの奈津に言った。
「もう、あいつとキスした?」
唐突だった。奈津は思わず顔をあげた。ふいに右手の人差し指と中指を唇に当てていた・・・。目が泳いだ。
「したんだ・・・。」
ズキンと悠介の胸ははち切れそうになる。指が触れている奈津の唇に目が行く。そして、目をそらした。奈津はごまかしの言葉が出てこなかった・・・。
「さすが、手、早いな。奈津こそ、あいつにもてあそばれんなよ。わざわざこんなとこに来るのって、それしか目的ねーだろ。あいつの女癖ひどいらしいじゃん。後で泣くようなことになっても知らねーからな。」
そう言うと、悠介は奈津をそのままに、自転車に乗って去って行った・・・。木の後ろで、まなみも両手で口を押さえていた。『キス・・・!?』

 悠介は気づいている・・・。コウキがヒロだと。
奈津の頭の中で、ネットでの情報とそこで見たヒロと女優のキスの写真がフラッシュバックする。パーマのかかったピンクの長めの髪。奈津の知っているコウキじゃない・・・。でも、あの射抜くような目は・・・。奈津は首を振った。
『それしか目的ねーだろ。』悠介の声が蘇る。奈津は夕べのコウキを思い出していた・・・。

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