月に魔法をかけられて
タクシーに乗ってからも副社長は別に話をすることもなく、時折腕時計で時間を確認しながら、窓の景色を見つめている。

この時間が一番つらい……。

早くホテルに着いてくれればいいものの、月末の金曜日で夕方の帰宅ラッシュということも重なって、道路が結構渋滞している。ホテルまで10分もかからない距離なのに、到着するまでもう少し時間がかかりそうだ。
私はこの重たい空気に耐えられず、副社長の様子を窺うように口を開いた。

「副社長、今日は新色コスメの発表もあるんですか?」

「ああ。発表が前倒しになってね。瞳子……あ、いや、吉川チーフから聞いた?」

「お聞きしました。パーティーの中盤で新色コスメの発表をするから、私とあゆみちゃん……いえ、小林さんが一緒にモデルとしてステージに上がるようにと言われました」

「はっ? モデル?」

副社長の声が急に曇り、怪訝そうな顔を私に向ける。

「えっ、あっ、はい……。なので先ほど呼ばれて新色のメイクをされたんですけど……」

そう告げた途端、眉間に皺を寄せた副社長の視線が私の目、頬、唇、そしてワンピースへと移る。

「あいつまた勝手なことを……」

副社長は大きな溜息をつきながら、組んでいた腕を外して考え込むように右手をおでこに当てた。

あいつ?
副社長、瞳子さんのことあいつって言った?
そういえさっき瞳子さんのこと、瞳子って呼び捨てにしたような……。

いや、みんなが瞳子さんって呼んでるから、思わず瞳子さんって言おうとしただけ……だよね?
でも、あいつって……。
< 112 / 347 >

この作品をシェア

pagetop