月に魔法をかけられて
「あっ、副社長お疲れさまです。会場とクロークの忘れものチェックは終わりました。私が行った時にはもう会場の中は片付けられていたのでスタッフに確認したのですが、何もありませんでした」

「あ、ありがとう……。助かったよ」

「それともう支配人とはお会いになられました? 先ほどクロークのスタッフがそのように話されていたのですが……」

「あ、ああ……。支配人にちょうどそこで会えて話をしたよ。だからもう大丈夫だ」

いつもと違う副社長の様子になんとなく違和感を持ちながらも私は話を続けた。

「わかりました。あとすみませんが瞳子さん……吉川チーフを見ていませんか? さっきから探しているんですけど……」

「マーケのやつらは先ほど揃って帰っていったけど。その中に瞳……吉川チーフもいたはずだが」

「えっ? 瞳子さん帰られてました? どうしよう……」

困ってしまった私は眉根を寄せて両手を口元にあてた。

「どうした? 吉川チーフに何か用事でもあったのか?」

「はい。瞳子さんにジャケットを預けていて……。受け取るのを忘れてしまったんです」

どうしようと視線を下に落とすと、副社長がスーツの上着を脱ぎ、私の肩に優しくかけてくれた。

「俺ももう帰るから送っていくよ。それまでこれを着ておけばいい」

ふわりと爽やかな檜のようなフレグランスの香りが漂い、いままで着ていた副社長の体温がほんのりと身体に伝わってくる。反射的に身体がビクンと反応した。

「いえ、大丈夫です。副社長が風邪ひいちゃいます」

慌てて肩にかけられたスーツを返そうとすると。

「この冬の気温でどっちの服装が風邪をひくと思う? 考えなくてもわかるよな? 早く袖を通しておけ」

副社長はフッと口元を緩めて横目で私をチラリと見たあと、「行くぞ」と言ってエレベーターの降下ボタンを押した。
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