月に魔法をかけられて
「あっ、副社長、お疲れさまです。会場とクロークの忘れものチェックは終わりました。私が行った時にはもう会場の中は片付けられていたのでスタッフに確認したのですが、何もありませんでした」

「あ、ありがとう……。助かったよ」

「それと、もう支配人とはお会いになられました? 先ほどクロークのスタッフがそのように話されていたのですが……」

「あ、ああ……、支配人にちょうどそこで会えて……、話をしたよ。だからもう大丈夫だ」

いつもと違う副社長の様子になんとなく違和感を感じながらも、私は話を続けた。

「わかりました。あとすみませんが瞳子さん……、吉川チーフを見てませんか? さっきから探しているんですけど……」

「マーケのやつらは先ほど揃って帰っていったけど。その中に、瞳……、吉川チーフもいたはずだが」

「えっ? 瞳子さん帰られてました? どうしよう……」

私は困ったように眉根を寄せながら両手を口元にあてた。

「どうした? 吉川チーフに何か用事でもあったのか?」

「はい。瞳子さんにジャケットを預けていて……。受け取るのを忘れてしまったんです」

どうしよう……とうなだれながら視線を下に落とすと

「俺ももう帰るから送っていくよ。それまでこれを着ておけばいい」

副社長がスーツの上着をサッと脱ぎ、私の肩に優しくかけてくれた。

ふわりと爽やかな檜のようなフレグランスの香りが漂い、いままで着ていた副社長の体温がほんのりと身体に伝わってくる。

反射的に身体がビクンと反応した。

「あっ、いえ、大丈夫です。副社長が風邪ひいちゃいます」

慌てて肩にかけられたスーツを返そうとすると。

「この冬の気温で、どっちの服装が風邪をひくと思う? 考えなくてもわかるよな? 早く袖を通しておけ」

副社長はフッと口元を緩めながら横目で私をチラリと見たあと、「行くぞ」と言ってエレベーターの降下ボタンを押した。
< 133 / 347 >

この作品をシェア

pagetop