月に魔法をかけられて
「美月、そろそろ出かけるぞ」

副社長がビシッとスーツを着こなし、左手にコートと鞄を携え、私を呼んだ。

「わかりました。じゃあ、会社でまたよろしくお願いします」

急いでコートと鞄を持って玄関へと向かう。

「はっ? 会社でまたよろしく?」

「はい。多分8時半過ぎには着いてると思いますので」

靴を履きながら副社長に視線を向けると、上から気の抜けたような声が降ってきた。

「何言ってるんだ? さっき俺の車で一緒に行くっていっただろ?」

「えっ?」

副社長は呆れたようにフッと口元を緩めると、私のコートを取り、左腕にかけていた自分の黒いコートの上に重ねた。

「やっぱり聞いてなかったんだな。今日から俺の車で一緒に出勤すること。わかった?」

「いえ、電車で行きます。ちゃんとルートも調べましたし……」

慌てて首を振りながら、通勤ルートの検索をしたスマホを見せる。

「いやダメだ。犯人が捕まるまでは俺と一緒に車で行くこと。会食が入ってる日は電車になるけど、それ以外は車な。これは決定事項だから。ほら、行くぞ」

副社長はドアの鍵を閉めると、エレベーターの前にある降下ボタンを押した。

言われるがまま、一緒に地下の駐車場まで降りて車に乗る。

シートベルトを締めていると、副社長が私の手をとり、手のひらにそっと鍵を置いた。

「これ、俺のマンションの鍵な。なるべく一緒に帰るようにするし、会食の時は早く出て先に美月をマンションまで送るようにするけど、急にスケジュールが入る場合もあるだろ? もしひとりで帰ることになったら会社からタクシーを使えよ。あとでアプリを教えるから。それで予約したら、自動的に俺のカードで支払いできるようになってるから。絶対に電車は使うなよ。わかった、美月?」

口調は優しいけれど、目には力が込められていて真剣だ。

「はい……」

そう小さく返事をすると、副社長は私の頭にポンポンと触れ、「じゃあ、行くか」と言ってアクセルを踏み始めた。
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