月に魔法をかけられて
地下の駐車場に降りて、副社長がスマートキーでドアを開ける。

助手席に座りシートベルトを締めると、副社長がアクセルを踏み、車が静かに動き出した。

窓からの流れる景色とともに、車は穏やかに街中を走り抜けていく。

そんな穏やかさとは裏腹に、私の心臓は跳ねるように激しくなり始め、さらに緊張感が増してきた。

身体がガチガチに固まってしまい、副社長に何か話しかけたいのに、口を開くこともできない。

震え出した手を押さえるように膝の上で両手を組み合わせていると、ハンドルを持っていた副社長の左手が私の手の中に落ちてきた。

ギュッと私の手を握ってチラッとこっちを見る。

「美月、緊張のしすぎ……。そんなに緊張しなくても大丈夫だって」

「だ、だって……。そっ、壮真さんのご両親に会うの……初めてだし……。そ、それに、私のお家……、ふっ、普通のサラリーマン家庭だし……」

そう、副社長の実家に連れて行くと言われてから、私はどうしてもひとつ気になることがあった。

国内で1、2を争う大手化粧品メーカーの社長の家と、私のような一般家庭の人間が結婚してもいいものなのだろうか。

副社長にはもっとふさわしい、取引先や銀行の頭取の娘さんの方が家柄的にも合っているのではないか。

副社長のご両親に挨拶に行ったところで、私のことは受け入れてもらえないのではないか。

ここ数日そう考えるようになっていた。


「んっ? はっ? どういうこと?」

副社長が怪訝そうに眉間に皺を寄せる。

「う、うちみたいな一般家庭の人と……、結婚っていいのかなって……」

「ああ、何かと思ったらそういうことか……」

副社長が口元を緩めてフッと笑う。

「そんなの全く気にすることはないよ」

「き、気にすることはないって言っても……。うちと壮真さん家じゃ釣り合わないし……」

「釣り合うとか釣り合わないとかそんなのねぇよ。なんだよそれ。うちも普通の一般家庭だよ。あのな、美月。ひとついいこと教えてやるよ。うちのお袋な。元はじいちゃんの秘書だったんだ」

「えっ?」

「昔はさ、まだ携帯とかメールが珍しかった時代だろ? 固定電話やFAXが主流だった時代だ。だからじいちゃん、つまりその当時の社長な。その社長と連絡を取るには秘書を通すしかなかったんだ。その社長の秘書をしていたお袋に、年齢の近かった息子の親父が惚れたわけ。だからうちのお袋も一般家庭の娘だよ。美月が心配することは何もないから安心して」

副社長が握っていた私の手をもう一度ギュッと握り締める。

「今回な、美月のことを話したときに親父に言われたよ。『お前も俺にそっくりだな。やっぱり俺の息子だな』って。俺ら親子揃って秘書と結婚するみたいだ」

副社長の優しい笑顔に、少しだけ私の心が軽くなった。
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