月に魔法をかけられて
「失礼致します」

予告通り14時過ぎに帰ってきた副社長に、私は用意していた手土産と一緒に温かいお茶を入れて副社長室をノックした。

「おかえりなさいませ。お茶をどうぞ」

「ああ、ありがとう」

副社長はスーツの上着をハンガーに掛けながら、チラリとお茶に視線を向けた。

「こちらが村上ホールディングス様に渡す手土産です。村上社長は甘いものがお好きですので、どら焼きに致しました。ただ日持ちが3日間しかありませんので、生菓子であることをお伝えいただけますでしょうか」

「わかった。ところで村上社長は甘いものが好きなのか?」

椅子に座った副社長が、ふいに目線をあげて私の顔を見る。

バチンと視線が合ったことで、また心臓がドキンと反応し、全身に緊張が走る。

「はっ、はい。とてもお好きのようです。もし村上社長に餡子について聞かれましたら、粒あんの方がおいしいですねとお伝えください。おそらく喜ばれると思います。あっ、副社長にも味見用として手土産と同じどら焼きを買ってきましたので、お召し上がりください」

私は狼狽えながらもそう早口で告げると、机の上にどら焼きをのせたお皿を置き、頭を下げて副社長室を後にした。


あぁ、もう! ほんとに心臓に悪いよ……。
あんな整った顔で見ないでよね……。

苦手なうえに目が合ったりしたら、緊張して言葉も出てこない。
金曜日のことがなかったらもう少し普通に対応できたはずなのに、副社長がどう思っているのか分からないせいで、いつも以上に緊張してしまう。

副社長ってあのことどう思っているんだろう。
やっぱり怒ってるのかな。

副社長はこの日、そのことに関して何も言ってこなかった。
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