月に魔法をかけられて
「あっ、すみません、運転手さん。このコンビニを過ぎたマンションの前で停めてもらえますか?」

運転手さんは『わかりました』と答えたあと、すぐにタクシーを左側に寄せて停車させ、ドアを開けた。

私は急いで鞄の中からお財布を取り出し、お金を出そうとすると、副社長の左手が制止するように右側から伸びてきた。戸惑いながら副社長に視線を向けると、眉間に皺を寄せて「いいから」と首を振っている。
私は「すみません」と頭を下げてタクシーを降りると、早口でお礼を言った。

「送っていただいてすみませんでした。今日はありがとうございました」

「ああ、お疲れ」

副社長が穏やかな顔をして頷きながら私を見る。

「お気をつけて。お疲れさまでした」

そう言ってもう一度頭を下げたとき、バタンとドアが閉まり、タクシーはそのまま発進し始めた。

目の前にいたタクシーがどんどん遠くなり、小さくなっていく。タクシーが見えなくなったところで、安堵からか溜息が溢れた。

あー、緊張した……。
東京駅からここまで長すぎるし。
ほんと心臓に悪い………。

それに急に金曜日のことなんて言わないでよね。
忘れてたから何にも答えを用意してなかったじゃん。

そう思いながらも、副社長が全く怒ってなくて逆に感謝してくれていたことに、私はほっとすると同時になぜかとてもうれしく感じていた。
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