月に魔法をかけられて
瞳子さんは右手で前髪をかきあげると、とても優しい笑顔を浮かべて私を見つめた。

「美月ちゃんが男性が苦手なのはよく分かったわ。それだったらね、今回の内示を受ける方が絶対いいと思う。副社長の秘書をするべきだと思うの。これから仕事をしていると異動は必ずあるから。その時に男性が多い部署に異動させられるよりも、ほとんど副社長ひとりしか関わらない秘書の仕事なら、美月ちゃんにとってもいいと思うし、私もその方がいいと思う。

それにね、今回この話を断ったとして、このままマーケにいることは可能よ。だけどね、内示を断るってことは、近いうちに必ずまた異動の話が出てくるの。その時はこの東京で働けるかどうかはわからない。一度異動の話を断るとね……」

「……………」

「それに秘書と言っても、副社長と一緒に同行するわけでもないし、スケジュール管理をしたり、資料を作成したり……といったことが業務になるわ。副社長はほとんど外出していることが多いだろうしね。美月ちゃんが他の部署で知らない男性たちと一緒に仕事するよりも、相手が副社長の方が私も安心だし」

瞳子さんの言いたいことはとてもよく分かった。

私は総合職の正社員として入社している。

それは昇進やスキルアップを見据え、定年まで色々な部署を経験することが予定されているため、必ず人事異動が伴うということだ。

正当な理由がなく断るということは、業務を拒否したということになり、働きづらくなることは確かだ。

そのうち、最も苦手とする営業部などに異動させられ、多くの男性たちと働くなんて考えたら、退職しかないだろう。

だけど……。
いきなり副社長の秘書だなんて……。
なんだか目の前が真っ暗だ。

「瞳子さん、1日だけ……、1日だけ時間をいただいてもいいですか?」

私は窺うように瞳子さんの顔を見た。

「分かった。美月ちゃんにも考える時間は必要だもんね。じゃあ、明日返事を聞かせてくれる?」

「はい……。わかりました……」

「美月ちゃん、今日は仕事にならないでしょ。いろいろ考えたいだろうし。これから半休にしてもいいわよ。私が部長に伝えておくから」

「ありがとうございます」


そして1日考えた私は、翌日、塩野部長と瞳子さんにこの内示を受けることを伝えた。
< 91 / 347 >

この作品をシェア

pagetop