溺愛音感


正確に言えば、弾けないわけではない。
音はすべて頭に入っているし、技術的に弾けないところもない。

ただ、弾きこなせない。

これまで、何度か弾こうと試みた。

しかし、弾けば弾くほど、出口のない迷路をさまよっているような心地になって、リタイアするのがいつものパターンだった。

けれど……


(今度だけは、諦めたくない)


この曲が弾けるようになったら、何かが変わる――そんな予感がする。


(とりあえず……ちょっと休憩しよ)


一旦リビングへ戻り、グリーンティーとおせんべいを楽しもうと電気ケトルのスイッチを入れたところへ、どこからか着信音らしきメロディが聞こえてきた。

音の発生源を探してウロウロし、辿り着いたのはマキくんが仕事用に使っている部屋。

ちょうどデスクの下に黒いボディのスマホが一台落ちている。
拾い上げ、応答しようとしたが、パスワードがわからない。


(どうしよ……)


モタモタしているうちに鳴り止んだスマホ片手に、持ち主であるマキくんに連絡したほうがいいだろうかと考えていたら、今度は別の着信音が。

慌ててリビングへ戻り、片隅に置いてあった鞄の中から、自分のスマホを取り出す。
架けてきたのは、「ORESAMA」だ。


「もしもし、マキくん……」

『ハナ! いまどこにいる? 家か?』

「そうだけど、スマホ……」

『忘れたことにいま気がついた。たぶん仕事部屋にあると思うんだが……』

「デスクの下に落ちてたよ」

『やっぱり……。ハナ、社まで届けてくれ』

「え」

『そっちは仕事で使っているものだから、ないと不便で仕方ない。そんなに遠くはないし、迷うような場所でもないが、念のため地図を送る。受付で名前を言えばいいだけにしておく。頼んだぞ』


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