溺愛音感
ハナ、踏み出す


******




「夜は出歩かないように」

「ん」

「昼間も、なるべくタクシーを使うように」

「ん」

「食事はコンビニ弁当ではなく、ちゃんとデリバリーを使って……」

「ん」

「ヘアサロンとエステの予約はすっぽかさないように」

「ん」

(歩いて行ける距離でタクシー使うのは、ないでしょ。デリバリー頼むより、コンビニ弁当のほうが安いし、早いし。セレブじゃないんだから、毎週トリートメントとエステに通うなんて贅沢できない……)


どうでもよさそうな、細々した注意事項を述べるマキくんはいたって真面目なので、内心ツッコミつつも頷いておく。


「出張は一週間程度の予定だが、場合によっては延びる可能性もある。少しでも体調に異変があれば立見、何か困ったことがあれば蓮に、連絡しろ」

「ふぁい」

(二人とも忙しいんだから、多少のことでは連絡できないってば)

「ハナ」

「うん?」

「寂しい思いをさせてすまない」

「…………」


俺様が謝罪したことに、驚いた。

そして、それまではなんとも思っていなかったのに、途端に「寂しい」という感情が湧き起こった。


(あー、もうっ! たった一週間でしょ? なんで寂しいなんて思っちゃうの? むしろ、自由に、のびのび過ごせてるって喜んでもいいのに……)


「ハナ?」


引き結んだ唇に重なる柔らかな感触に、可愛げなく反論していたわたしがかき消される。


「いい子で待ってるんだぞ?」

「うん……」


本物の尻尾が生えていたならば、だらーんと垂れさがっているだろうな、と思いながら俯く。


「行ってくる」

「……行ってらっしゃい」


頭を軽く撫でた手が離れ、ドアの向こうに磨き上げられた靴が消えるのを見送って、トボトボとリビングへ引き返した。

今日から一週間、マキくんはアジア圏の支社へ出張。
飼われるようになってから、距離も時間もここまで離れるのは、初めての経験だ。

仕事なのだからしかたないとわかっていても、不安と心細さに苛まれる気持ちはどうしようもなかった。


(わたし……すっかり飼いならされて、ダメ犬になってる気がする……)


< 133 / 364 >

この作品をシェア

pagetop